どう生きる!?生きづらいINFPが楽になる方法・思考のコツを考える

以前書いた、INFP関連の記事でまたアクセスが多いので、

繰り返しますが、このブログは心理学がメインではないのですが、

INFPの生き方について、考えたことを余裕があるうちに記事に残したいと思います。

ほんとうはINFPからみたINFPのイメージというのを書こうと思っていたのですが、内容的には、こちらの方が先かなと思いましたので、

自身への備忘録も含めて残します。

INFPタイプが生きるのに楽になる方法 

「普通」に生きるのをあきらめる

おそらく、というか、確実にINFPは「普通」ということに対しての基準が高いのだと思います。

例えば、私は、夜、すぐに寝ることがあまりできないので、マインドフルネス的なことをかなりの期間ためしました。

それで、寝る時に望む目標のようなものを唱えるのですが、その目標が高尚なことなどとは微塵も思いませんが、

具体例として

「物書きとして大成する」ですとか「書いた記事が〇〇万PVを残す」みたいなことを、それを数年ぐらい続けて、

毎日ではないですが、寝れない時に夜、瞑想的なことをしながら唱えておりました。

で、数年以上それを繰り返した結果は・・・

マインドフルネス音声の中で、「執着を手放しましょう」などとインストラクターの声が聞こえるのですが、

結果、「そうして唱える目標じたいが執着になっているんじゃないの!?」と最近、ふと思い、

目標を唱えることをサンカルパ(決意・願望の意)というそうなのですが、それを3回となえる時に、

「今日は安眠する」「今日は安眠する」「今日は安眠する」に変えたら、良く寝れました。

なので、

INFPタイプの人で何かとつらい、しんどいと感じているかたがいたら、

もしかしたら、もっと普段持っている目標を低くというか、「今」できそうなことを1個だけにした方が良いような感覚だと楽になれるかなと感じました。

ふだん、私は走ったりするのですが、

ランニングウォッチに最大酸素摂取量の目安がわかる機能があるのです。

それで現在値が、平均年齢の上位10%以内、もしくは5%以内などとわかってしまったのです。

そうすると、そんな値を知ってしまうと、それを維持するために今までとは走るペースや、走る意味が変わってしまって、その値を維持することが目的となり、躍起になってしまったのです。

はじめは、ただ体を丈夫にしようとはじめたことが目的がいつの間にか変わり・・・

ですが、最大酸素摂取量の高い値をずっと維持するなんて、冷静に考えれば絶対無理です。

それは、人は老化しますし、体の調子が悪ければ休むことが必要で、走ることもできないことだって絶対にある。

将来、確実に衰えるであろう肉体と下がる最大酸素摂取量の値をみて、自分を憂う未来しか想像できないです。

でも、よくよく考えると、走りはじめた時は、「健康になる」、ですとか、「体の代謝を上げる」という理由ではじめたはず。

なのに、結果はどうよ!?

肺活量は上がったかもしれませんが、ふだん抱えている慢性的な症状がそれで改善したかと少し冷静になって考えたのです。

結果、「改善していない・・・」

本来は、健康のため、ストレス解消のためが、

それがいつしか「執着」になり、それも根拠のない執着・・・

なんか、こういう考えや思考ですが、現代的にいうと、〇〇障害ですとか、〇〇〇気質などと、

まあもし、診断すれば私は何かしらに当てはまる可能性もあると思いますが、

こういう考えは、できれば個性で良くないか?というのが個人的な意見で、そういう名称によって救われているかたもたくさんいると思いますので否定をするつもりはまったくないですが、

私は、少し曖昧な感じなのであまり断定してしまうのが、ただ個人的に好きではないといういち意見なだけです。

前置きが長くなりましたが、

INFPタイプの生きづらさ、もしくは単に生きづらいと感じているかた向けで良いのですが、

色々と考えやすい思考やこだわりについて、

ひとことで言うと、「もっと簡単に考えた方が良い」と私は最近感じました。

INFPタイプの思考癖:幸せ回避症候群

INFPタイプは、ここまで書いたような感じで、ふだんから考える、その人自身での「普通」の基準(もしくは漠然としたマイルールへのこだわり)が高いので、

いざ、環境が整ったり、幸せな時が来てもそれを認めることができない。

例えば好きなうたの歌詞でも、「もっと先」ですとか、「もっと高く」などそういうフレーズが大好きで、

これじゃまだまだと思う傾向が強いんのではないかと感じるのです。

そうした結果、幸せな状態になったとしても、まだこれじゃないみたいな感じでその状況を拒否するという面倒くさい部分があるかと思います。(少なからず私にはありまして)

生きやすくするポイント=あなたの人生は完結したと考える

INFPタイプは、「生きる意味」「なぜこの世に生れたのか」など漠然とした哲学ですとか、禅問答を好む傾向があると思います。(個人差はあると思いますが)

それがこの世で生きていく部分でけっこう面倒くさいと言いますか、少し足かせになってしまう部分もあると感じるのです。

やはり面倒くさい性格です。

で、そんな時ですが、例えば、いざ幸せな状態、ちょっとした幸せな時でも、もしくは一定の望んだ環境になった時に、漠然とした不安が襲ってくるとき、

「私の人生は完結した」と思うと、私の場合は楽になれました。

人生が完結とはどういうことか?

例えば、今抱えている不安ですとか未来などがあった場合、

人間関係など、その当事者同士ではなく、まったくの第三者、ひとつの例ですが、親子関係での問題であれば、あなたが子であれば、あなたの親をいっさい知らない、まったくの他人(第三者)に問題を話して、理解されるのが良いのかなと思います。

それで、他人に話し「たいへんだったね」と思ってもらえたり、言ってもらったら、その抱えた問題や過去のつらいことなども、「その人に預けてしまった」と思うと楽になるといいますか、

こうした心労や苦労も、その人に伝えるための物だったと完結してしまう。

伝える相手は、第三者の知人でなくとも、例えば、こうしてブログに何か感情を残したり、誰かの共感があったりでも良いと思います。

それで、誰が他のかたに共感いただいたのであれば、その問題は「完結した」。誰かに伝えるためにあった問題だったのだと私はそれで、区切ってしまうように考えました。

ブログ記事でなくとも、SNSや動画、Twitterでも度を越えた承認欲求にならなければそういう方法でも良いと思いますし、全てに理解されるワケではありませんが、誰かしらに届けばよいのではないかと最近は思いました。

話す第三者がいない場合ですが、行ったことはないですが、お寺や教会、もしくはインターネットで探すと同じ悩みを抱えるコミュニティーなどがあるかもしれません。(くれぐれも怪しいものにはご注意ください!!)

補足:人生が完結とは・・・

人生が完結したという表現がどれだけしっくりくるのかわからず、別の言い方があるかもしれませんが私はこうした考え方でぴったりと色々おさまりました。(治まる・修まる・収まる、どちらの意味でも)

どなたかの悩みにつきまして禅問答をする余裕が私にはあまりありませんであしからず・・・。こうして個人的な対処方法の記録を残すことしかできませんが、こう書くことでどなたかの何かにお役に立てればと思うしだいです。

それで、持っていた問題なりが「完結した」と思ったら、次は、

生きるうえでの「普通」のハードルを下げてしまうと色々なことがシンプルになってきます。

はじめに書いた、寝ることに戻りますが、

寝る前に考える、唱える、将来の展望なり、望む在り方なども、

「今日、寝れること」でOKで、それで良くないか!?ぐらいな気持ちになると楽になりました。

立派な人ですとか考えれば、かなり抽象的なものだと思いますし、そもそも立派ってなんだよと考えはじめるのがINFPタイプでもあると思うので、まあそういうのは足かせになるようであれば捨ててしまった方が良いかなとは感じます。

生きづらいと感じるINFPタイプのどなたかの参考になればと思い、今回、記事を更新しました。

この記事じたいも、誰かに伝わるとかでもなく、まあどなたかの参考になったら嬉しいですが、私への備忘録としても書いているので、それだけで良いのです。

 

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幸せ回避症候群を歌で聴く

ちなみに、幸せ回避症候群について、歌などを聞いて、そう感じたのは、CHAGE and ASKAさんの「太陽と埃のなかで」のサビの部分や、Mr.Childrenさんの「くるみ」の最後のCメロ?あたりのサビの部分は、現状に満足できずに幸せを追い求めるINFPの感覚がよく伝わる歌詞かなと聴いていてふと感じました。

太陽と埃の中でみたく生きると、いつでも心拍数160ぐらい超えて走りながら生きているようで、めちゃくちゃ大変そうです。歌詞や歌じたいは大好きです。

生きる基準はかなり相対的である

人それぞれが生きる基準なんて、かなり相対的であり、ある人によっては簡単なことでも別の人にとってはすごく難しく、その逆もあり、どういうものか曖昧なもので(書きながらこの曖昧な表現がいかにもINFPっぽいとも思いました・・・)、

ですが、

誰もがTVの向こうの芸能人やアーティスト、スポーツ選手のように常に高い理想のまま生きることは難しいと思います。

例えば、励ましソング前向きソングに共感や感動することは良いことですが、無意識の中に自分を重ね「そうしなくては」などと思いがちな受信力がINFPタイプには多くあるのかなと思います。

そんな時ですが、いちばん良いのは「見ている時だけ、聴いている時だけ」共感・感動するくらいでよいんじゃないかと最近は考えるようにしました。

いつの間にか本人の中で知らずに、無意識に聴いた曲の歌詞やフレーズにふだん生きる上でひっぱられる傾向が強いのではないかと、今までの生き方の中で考える部分は多々あります。

その時、「良かった、感動したー!」で終われば良いのですが、後々、その意味をかみ砕いたり、個人的に内省するのが、INFPタイプは良くも悪くも大好きなのではないかと思うのです。

思ったとしても、誰かに話したり、こうして記事にして残してその感情を終わらせるのがいちばん健康的かなと感じます。

結果を求めることについて

とりわけ人は何かにつけて「何か」結果を出さないと、と思いがちで、

結果、それに「縛られる」。

例えば、こう、人生を完結させるという表現で私は書いていますが、人は、何か成功例ですとかサクセスストーリーを語りたがち、つくりたがちであると常々感じます。

すごい広義なところで、

人生「自由になれた」「楽になれた」などでなく、

今回この記事でお伝えできればと思ったのは、

もう、ただ、何か、ひとつのことだけでも出来たらいいんじゃないかと思うのです。

できることを一日にひとつできたらぐらいの気持ちで良いのではないかと。

例えば、昨日良く寝れたぐらいハードルを下げ、「もしその日寝れなかったら、おととい寝れたから良いよ」ぐらい生きる基準をさげて良いと個人的には思います。

なにが、成功か?何をもってして成功なのかなどわかりませんが、だいたいそのストーリーの背景にはすごいエピソードがあり、

例えば、〇〇になるまで、毎日〇〇をやり切ったですとか、

偉人と呼ばれる人たちのエピソードは山ほどなのですが、

まあ私を含め多くの人が「偉人」ではないので、そもそも凄いエピソードやサクセスストーリーなんて本来であれば遠い世界の話で、現実にはごく数パーセント、もしくは数ミリほどの存在だと個人的には思うのです。

それに、そういうエピソードって少々「盛られている」と冷静に考えると感じる部分もありまして、

私だってそれっぽいことをあえていうのであれば、

以前、応募した小説コンテスト、ふたつ応募したことがあるのですが、どちらも出版しませんか?という回答がきたこともあります。あるひとつは丁寧に講評まで書いていただき、二次選考まで行ったという。ですが「自費出版というオチですが・・・!!」

それに書いた物だって3日ぐらいでしあげた、一夜漬けならぬ、三日漬けのような物でした・・・。

少し話が逸れますが、基本INFPタイプはコツコツができないと思います。

できるとしたら、「今できる!」と本人の感覚の中で思った時にしかできないことが圧倒的に多いのではないでしょうか。それも根拠があまりない直感で、この、ブログの更新もかなり適当ですし。

戻りますが、それもあえてこじつければ最初に書いた、物書きとして大成すると、寝る前に唱えていたマインドフルネスの効果が少なからずあったのかもしれませんね・・・。願えば思考は実現するのかもしれませんが、

「そんなの正直、疲れましたよ…。」

こんな話だって盛ればいくらでもサクセスストーリーになりそうですが、

やはり、少し俯瞰(ふかん)して考えれば、

もっと簡単なこと、「今夜ぐっすり寝る」ぐらいの目の前の目標で生きて、

かつ、

「普通に生きるのをあきらめる」ぐらいの方が無駄な自律神経を使わなくて良いかなと思いますし、

ちょっと息が苦しい時は「普通に生きるのをあきらめる」、このおまじない、呪文が今は好きです。

どれくらいINFPの検索キーワードと一緒に、”クズや社会不適合”など出ようとも、私はそれぐらいハードルを下げて生きて良いと思います。

小学校の時のある先生が、人は自分の能力の数パーセント(具体的な数字は忘れました)しか発揮しないで生きているなどと教壇で言っていて、当時は、「へーそうなんだ・・・もっとやらねば」みたく思いましたが、今、考えればどんな根拠なんでしょうかね・・・。

たぶん、おそらくですが客観的に気づかなければ、多くのINFPタイプの人は見えないところで、頭の中で相当、息を切らして全力フル回転で生きているような気がします。

 

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最後にINFPが「普通」に生きるのをあきらめるとは

それで、この記事の終わりになりますが、例えば、今の状態も良い環境が整えば、それ以上を欲するのが人ですが、

個人的には、悪かった体調が良くなれば、もっとやりたかったことに手を出そうなど、まあ、最近まではよく考えていたのですが、

私の中でのおまじない、呪文は、さきほども書いた、

「普通に生きるのをあきらめる」となりました。

私の中での、最低限で最高の生きる目標は、

「ふだんから体調を整えストレスマネジメントを心がけること」だと現時点では思います。

つまりは、良くなり、調子にのって、

また、本来できる能力以上のことを求めて、ふたたび撃沈するのでなく、個人的な感覚の中でかなり生きるハードルを下げる。

もうちょっと自分のことを低く見積もって逆に大事にした方がよいのではという感じです。

目標が高いのも良いですし、それができる方の可能性をつぶす気はまったくないので、その判断は各個人におまかせしますが、

私の場合は、もう今日ぐっすり寝られれば良いぐらいの感覚です。さらに、今日寝れなければ明日寝ることができれば良い、ぐらいもっとハードルを下げる。

「普通」というのも人それぞれによりますし、単に私の中でのこだわりの「普通」であって、人それぞれ、他のかたにとっては、普通ではなく他の言い方もあると思います。「あきらめる」という表現もまた別の言葉に置き換えることができると思います。

私の中でピンとくる単語が思いつかずに、「普通」「あきらめる」と表現しただけであり、何かどなたかの中で生きる上での生きづらさがあり、特段のこだわりが現状において足かせになってしまっていることをいったんやめてみる。みたいなニュアンスでお伝えできればと思い記事に残しました。

それが他の言葉で、それぞれの人にぴったりとくる別のおまじないがあればそれで良いと思いますし、私の場合は、ふだんの生活の中でなんか妙だなとか違和感のようなものを感じた時に、「普通(私の中での普通)に生きるのをあきらめる」と心の中で唱えるとちょっとは楽になったという話です。

長くなりましたが、INFP関連の記事にアクセスが多かったので、どなたか、同じタイプのかたや生きづらさ的なキーワードを抱えているかたの参考程度になればと思ったまでです。

これは、いちINFPタイプが感じた生きづらさの解消法であって、どなたか生きづらさを抱えるINFPのかた、一人に届けば、いや、届かなくても個人的に備忘録を残せたのでそれで良いとすら思った内容になります。

まとめ:この記事で伝えたかったポイントになります。

・何か抱えている生きづらさがあった場合に、第三者に話した(預けた)時点でそのことについては終了とし、極端な話、人生も完結させてしまう

 

・生きる中でのその人なりの「普通」のハードルをずっとずっと下げてしまう。

ほどほどに頑張って生きましょう。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

(INFPタイプからみた同じタイプのイメージにつきましては、また余裕のある時、いつになるかわかりませんが余力があれば書けたらなと思っております。)→追記:INFPからみたINFPタイプの性格・印象、わたし的あるあるなど

→「MBTI」のカテゴリー記事一覧

 

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2 Comments

もちこ

とても参考になる記事をありがとうございます。
私もINFPですが、こんなにも考え方が似ている・共感できる人がこの世界にいることに驚き、嬉しくなりました。社会人になってから、数回軽いバーンアウトになりながらなんとか自己理解を深めてきた中で、晴れ色さんの言葉がめちゃくちゃ腑に落ちました。「普通に生きるのをあきらめたほうがいいのかな?」と感じてはいたものの、普通のハードルを下げてしまっていいのか否かで自問自答をしていたところなので、答え合わせができた気持ちです。

考えていることを言葉にしてくださり、ありがとうございました。
ほどほどに頑張って生きましょう。

返信する
晴れ色

コメントありがとうございます。バーンアウト大変でしたね。
ハードルを下げてみると、今までよりも優しくて、もちこさんにとって良い感じの環境などがやってきて、
また別の世界が広がるかもしれません。(なんだかふんわりした言いかたになってすみません)

ほんとに、ほどほどに頑張って生きましょう!

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