いじめから逃げる選択をした私が かがみの孤城の感想文を【ネタバレなし】

久しぶりに、読書感想文になります。

辻村深月(つじむら みづき)さん「かがみの孤城」を読書いたしました。

本を選んだのは最近でして、別の本、数冊たちをなかなか一気に集中して読むことができず、

読んでも途中で止めてしまって、最後まで完走することのない本がたまってしまっておりまして・・・

なかなかピンとくる本がありませんでした・・・

それで、

近くの本屋さんを通り過ぎた時に、

2018年本屋大賞受賞と、「かがみの孤城」のポスターが目に入り、読んでみました。

一気に読めました。

※この記事はネタバレ要素はありませんが、少し物語の内容(あらすじ)に触れます。あらすじなど、閲覧にご注意ください。絶対ネタバレNGな場合は読後に、こちらにきていただければと思います。

ほぼ個人的な体験談が多めになります。

「生きづらさを感じているすべての人に贈る物語」

本を選ぶ時は、いつも感覚といいますか、なんとなくタイトルで選ぶことが多いです。

少し本の裏表紙や帯に書いてある内容やキャッチコピーも参照にして選びます。

それで、今回、ポスターをみて、

本屋大賞を受賞する作品はどういうものか一度読んでみようかな、という感じで気になりました。

ふだんはあまり、広告として大々的にアピールされているものは、本に限らず、映画ですとか、そういったものは、いったん避けることが多く、

それでも、何かの機会でかなり後で読んだり、観たりすると、ああなるほど・・・っと、

すごい時空を超えて、あとあとハマったりするようなことは良くあります。

その時の旬なものにはすぐにのれないといいますか、タイミングを逃しがちです。

本当に面白ければ、時間が経っても面白いと思いますし、また触れることができる機会がある時にでも良いか、と、思ってしまうところがあります。

本を選ぶのも、ですので、感覚的といいますか、あまりその時の、なんとか賞受賞ですとか、今回の「かがみの孤城」のように本屋大賞受賞という感じのものは、すぐに読まないのですが、

今回、読んでみようかなと感じた理由は、

ポプラ社さんの、「かがみの孤城」の紹介ページに書いたあった部分、

「生きづらさを感じているすべての人に贈る物語。」というキャッチコピーに少し、惹かれました。

どんな感じの物語だろう、と、

この小説、「かがみの孤城」での生きづらさの内容はどんなものだろうと感じて手にとりました。

「かがみの孤城」あらすじ

この本を読んだ、私的あらすじになります。

個人的に印象に残った部分になりますが、

主人公は中学1年の女子、「こころ」、こころは、いじめが原因で学校に行くことができなくなりますが、

学校に行かずに家にいた5月のある日、こころの部屋の鏡が光り、

その鏡の中に引き込まれた先にある「孤城」には、

同世代、中学1年から3年の、こころとおなじように学校に行っていない中学生が集められておりました。

こころをふくめて7人が集まります。

それぞれの部屋などに置いてある家の鏡を通って、かがみの孤城に行けるのは、日中、朝9時から夕方5時まで、

そこには狼の仮面をかぶった少女、「オオカミさま」が、かがみの孤城を管理しており、

あらかじめ決められた約束ごとがあります。

・願いのカギを、来年の3月30日までにみつければ、見つけた一人の願いが叶う

・願いが叶った瞬間に、孤城で過ごした記憶は全て消える

・願いが叶わなかったら、記憶は残る

・朝9時から5時までの間に、各自の家の部屋と孤城に通じる鏡を使って家に帰らなければ、「オオカミさま」に食べられてしまう

そんなルールの中、

一学期の早々から学校に行けなくなってしまった、こころをはじめ、かがみの孤城に集められた、中学生たち7人が過ごした記憶が、

第一部 様子見の一学期

第二部 気づきの二学期

第三部 おわかれの三学期

という形で、5月から物語がはじまり、次の年の3月、かがみの孤城が閉まるまでの間、物語が進んでいきます。

 

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読みはじめた時の感想

物語の最初の設定が部屋の鏡が光り、その中へ引き込まれ、孤城にたどり着く。

そして、学校に行っていない、同じような境遇の子供が集まるという内容は、

最初、読んでいて、少しファンタジー色が濃い感じがしまして、色々な理由があって学校に行きたくない、行けない、

という現実世界では、触れることがデリケートな内容になるのですが、

言葉で話すことが難しい事実に対して、

オオカミの仮面を被った少女の存在(「オオカミさま」)も含め、

かがみの孤城の物語の設定は、少し現実離れしている感じがありました。

各、登場人物に置かれている状況は、それぞれにしんどい背景、

もしくは、読み進めていくうちに少しずつわかってきまして、なお読んで苦しくなっていきます。

それぞれが学校に行かなくなった背景については、現実で起こりそうな部分だと感じたのですが、

「かがみの孤城」の設定、現実場馴れした感じが、本の中身へ感情移入していく難しさを少しだけ感じた前半でした。

かがみの孤城の、異世界のようなファンタジーな世界観ですね。

それは、主人公のこころが、現実世界で読みたいと思っていた本で、登校拒否になる前、近所に引っ越してきた、同じクラスの東条さんの家に置いてあったアンデルセンやグリム童話、母国語で描かれた本場の海外の絵本に近い世界観なのかなと感じました。

この、鏡の中につながる、ファンタジーと感じた「孤城」の設定も、

あとから考えれば、

学校に行かなくなった中学生たちの背景を物語が進むうちに理解していくと、

その現実だけを小説でリアルに描いてしまうと、

少し、いや、かなり残酷な感じになったと思いますし、

最後に読み終わった時は、現実世界のリアルで複雑な問題と、かがみの孤城の異世界が物語としてつながっていくので、

物語・ストーリーの展開も、つらい描写とうまくバランスがとれた素晴らしい小説でした。

物語の最後、エピローグの展開は、涙がボロボロでてしまいました・・・。

最初の方、5月からはじまり、次の3月までに、「願いの鍵」をみつけるという、

 

はじめは、みんな、なんとなく過ごし、

徐々に、お互いのことを知っていき、

そして、こころと他の仲間たちは、自身のことを考えていくようになります。

現在の状況、いじめのことや今後について・・・

そうした月日は、読んでいる側としては、最初は11ヶ月もあって、ずいぶんと先の長い話だなと感じていたのですが、

読んでいくうちに、

いつの間にかあっという間に月日が過ぎていく感じで、

気が付くとクリスマスを迎え、年もかわり、もう3月・・・

それぞれが直面している問題に対して、

そして、「かがみの孤城」の世界でも3月30日までに、願いの鍵をみつけ、みつけたら鍵をみんなでどうするのか、答えをださねばならなくなります。

この感覚って、現実世界でも似ているような気がしました。

なんでしょうか、学校生活というか、受験もそうですし、宿題なども・・・

いつかはやらなくてはいけなくて、もしくは答えを出さなくて、その人なりに決めなくてはならないことが迫っていて、

でも、なんとなくその日まで過ごしてしまって、時間がくるので一応、形だけでも「成長」しなくてはならなくて・・・

たとえばですが、ある決められた年齢になったら進路を決めなくてはならないような・・・

でも、そんな先のこと、なんとなくしかわからなくて・・・

いや・・・ぼんやり考えもあるけど、

なんだろう、はっきりとテキパキ目的を決めて生きているごく一部の優等生をのぞいて、

だいたいが、おそらく、

こんな、なんとなくの感じで学校生活を過ごして、月日を過ごし、

いつの間にか、目の前に3月がせまり、

ドタン場になって、色々と決めるしかない・・・

そんな生き方、すくなくとも私の場合はこんなパターンだったなぁと思い出しました。

どうしたいか、生きたいように選びなさい、あなたたちには無限の選択肢があります。

ですとか、

それも「努力」でつかめるような、

そんな学校や世間のフレーズに惑いながら、

じゃあと、思った理想と、そんなに、なにもできてないどうしようもなさと、

でも前に進まなければならない、時間がとまってくれない恐ろしさ・・・

本を読み進めるごとに、そんな私自身の過去と小説の中の感覚が重なり、だんだんと時間の深みが深刻になっていく感じがしていきました。

 

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いじめなどについて・・・苦しかったら逃げても良いし、そんな逃げ場があってほしい

この本に惹かれたキャッチコピーの部分になります。

記事の最初に書いた、「生きづらさを感じているすべての人に贈る物語」のところですが、

この小説、「かがみの孤城」では、おもに、

主人公の「こころ」のいじめられた体験もふくめ、

学校に行けない子供、もしくは自分の意思で行っていない中学生たちについての話が中心になる本です。

それで、この本を読むのにおすすめの方は、キャッチコピーの通りですが、

それこそ、今の学校社会での居場所がないですとか、

本当は行くのが嫌な方、

実際につらい思いをされている方、

過去に経験した方、

そして、学校でなくても、

大人になり、会社などの日常の組織で苦しんでいる方、

そういった方々が読むと、登場人物に共感できる、もしくは気持ちを代弁してくれている、と感じることができる小説かなと思います。

「かがみの孤城」が本屋大賞に選ばれたということは、

実際の社会でも、そう感じている方が多いということでしょうか、

難しい部分です。

ふだんの生活ではあまり感じないような気もしますが、

そんな生きづらい感情を心のどこかに隠して、

毎日をやり過ごしている方が多いという、社会の仕組みの部分を、うまく、この小説を通して、色々な人に伝えているのかもしれません。

私がこの本を読んで感じた部分では、かがみの孤城に集まる中学生たちの問題、

学校への恐怖心、学校もしくは集団への恐怖心、家庭問題などがこの本の世界のメインな問題ですので、

その部分で考えてしまいます。

学校での、いじめ・・・

ここはストレートに言う、例えばこう文章にするのも、けっこういやな感覚なぐらい、なんだか奥歯に物が挟まったような感覚になってしまうのですが、

ここは少しリアルな話しになります・・・

私の場合ですと、学校というよりも、中学にあがる時の学習塾でした。

それまでは、普通?に生きていて、そんなに集団ですとか学校が嫌な感覚になったこともなく・・・集団に対して何かの気使いを強くするような感覚はあまりありませんでした。

姉が通うのと同じように、あたり前のように高校の受験に備えて同じ学習塾に、小学校を卒業した春休みから通ったのですが、

そこで、はじめて私がいじめの対象になりました。

はじめは良くわからない感覚といいますか、なんだろう、


どうして?という感覚で、

この物語に出てくる、こころと同じように、

中学になると学区があわさるので、色々な知らないところの12才と学習塾で突然、一緒になる環境でした。

で、その学習塾がけっこう、

色々な、それこそ勉強できる子から、こういってはダメですが、あまりできない子までいるようなところでした。

その学習塾はテストの結果でクラス分けがあり、成績順にクラス分けされて、クラスによって受ける授業内容も変わるところでした。

その学習塾に行く前までは、そんなに勉強などに対しても、難しいですとか、できないですとか、あまり考えずに、

それこそ、勉強する意味すらほとんど考えずに、

ただ通っていて、言われたところや宿題を淡々とこなすような感じでして、

そこで上位の人が集まるクラスの方になったのですが、

そこら辺から、いじめがひどくなりまして・・・

ちなみに、同じ小学校の人はいなかったです。

みんな他の小学校の人たちばかりで・・・

ある時に、それは突然でした。

同じクラス分けになった異性の子と、「できてる」と、からかいはじめるんですね。

その子と話しすらしたこともない別の学校の子なのに。

ことあるごとに、

例えば、塾に到着する時間が重なっただけで一緒に家から来たのだの・・・

今に思えば、幼い子供の、まだ中学生になる前ぐらいの子供の冷やかし程度のような気もしましたが、

そういった経験がない私は、はっきり言って衝撃でして・・・

え、なに、なんかしたんだろうか・・・・って感じで・・・

授業の休み時間の合間ですとか、色んなからかいがはじまり、

それで、別のクラスの子とか、クラス分けの成績で下になった子なんて、

授業の休み時間にやってきて、人の机や椅子につばをつけて行ったりと、だんだんと内容もエスカレートしていったんですね。

ちなみにですがからかわれていた異性の子は、けっこう肝がすわっているというか、

動じないといいますか、

後々で、へぇーって感じで、まあそれはそれで嫌だったとは思いますが、そんな状況をスルーできるようなタイプの子でした。(ほぼ話したことはなかったのですが、当事者じゃないくらいの感じで・・・)

本人はどう思っていたのかはわかりませんが、そのまま塾もやめずに高校も進学校へ進んでいったようです。

私は、それで、中学に入る前の春休み、

ほんとうに、精神的にしんどく・・・

あの時、笑って返せる余裕があれば少しは違ったのかもしれませんが、

何しろ、はじめての経験でして・・・

というか、学習塾って勉強だけしてれば良いところじゃなかったんだ・・・

勉強とは別に集団の中での過ごし方も身に着けていかないと生き残っていけないところだったのか、と・・・

それがストレスになってしまいまして、

授業についていけないですとか、そういった問題よりも、

学習塾の環境に・・・・

はっきり言いますと、

テストで点をとって受験をしていく競争社会のその前に、

勉強以外でも、

集団生活のサバイバルでも生き残って行かなければならないとなんとなく感じてしまいまして・・・

例えば、集団の中での立ち位置、ポジションも、周りの空気をいつも読みながら、考えて生きなくてならないような・・・

それで、口に出しはしませんでしたが、思春期の入り口に、いきなり集団が、かなりおそろしくなってしまったことは確かでした。

なんとなく、親には、あそこは私にはあわないからと言って、

一学期まで通い、夏休みに入った時にあわせて学習塾を辞めました。

逃げました。

ですので、学校の成績も中学一年の一学期までは、なんとか我慢して塾に通っていたので、

良かったですが、はやくも、そこが学校の成績のピークだったと思います。

夏休み明けに、さすがに、その塾のクラスで同じだった人たちに、中学校の中で会って、

むこうも、やり過ぎと感じたのわかりませんが・・・

すこし気まずそうな、妙な空気感で急にやさしくなったりしましたが・・・

それで、私が言いたいのは、あの時に感じたのは、

普通にただ、勉強するのに、別に特別したいとも思っておりませんでしたが、

塾へ行くのにも、精神をそぎ落として命がけ・・・

学んでただテスト受けるだけでなくて、

人間関係もそこで、うまくやり過ごしていかないと、この世界は難しいんだということをなんとなく感じてしまったのです。

いま思えば、こう言っては悪いのですが、成績の順位発表ですとか、多感な時期の子供に、廊下にテストの点数を貼り付けるようなやり方をして、

競争心をあおるような塾もどうかと思いましたし、

そういった点数の高い低いでいちいちと、

気に食わない感情を、

当たりやすそうな人間に、ストレスをぶつけてしまうような部分もあったと思うんですね。

それで、誰も救ってくれないのでなおさら苦しい・・・それは、思っていることをうまく伝えられない、

塾をやめることじたい、姉は普通に通っているので引け目だったのか、本当のことも言えない、

ぼーっとしているほうですので、人と人との優劣ですとかにはあまり関心が強い方ではないと思うのですが、

そんな思考の鈍さが、逆に交感神経が活発そうな子には、格好のえじきだったのかなとも思います。

あの時に、授業中の教室の風景を観察して感じたのは・・・

そこに集まっているのは成績では上位の人たちで、一応、進学校という名のところを目指すような人たちでしたし、それぞれの進路も最終的には良いところに行った人たちがほとんどでした。

私みたいに途中棄権せずに・・・

だけど、そうした成績が比較的良い人が集まる場所でも陰湿な部分がはっきりいってある。

例えば、勉強のできる子、おとなしそうな人、

その人たちも、特にふだんの塾の教室で起こっている光景がなんともない・・・と思っているように、

私には感じたのですね。

人の席にツバを飛ばしたり、知らないのになれなれしく、言い寄ってきたり。

特定の人にだけストレスあたえて面白がって、

そんな光景が授業の休み時間などに繰り広げられていても、

この狭い空間にいる人たちは、どれだけ鈍感なんだろうか、と、

いや、

違うのかもしれません、

私がもし、いじめられてない立場であっても、個人の安全の確保のために無視をつらぬいた気もしますし、

まあ・・・、ようは、

学校の勉強がこなせようとも、そこには、テスト結果以外の、教室内でのマウントの取り合い、いじめ、陰湿なやりとり、何か個人の中で精神的に抱えた劣等感に対しての、はけ口などが存在すること・・・

そういったものを知りました。

そうした経験は、今となっては良い経験だったのかは、わかりませんが、

ですが、

そうですね、かなり時間が経った今だと言えるのですが、

もし、過去に戻って、私に何かを伝えることができるのであれば、

そんな集団環境で、しんどい目にあっていた場合、

例えば、義務教育があるのだから学校に行かなくてはいけないですとか、

将来の為にも勉強をしなくては、というような、

世間一般の常識にとらわれ、いまの心を無視して、苦しんで生きなくても良いんだよと、そう伝えることができたらな、と、かがみの孤城を読みながら思いました。

今、現実にも、小説の中の、こころたちのように、学校の世界などが苦しいと思っている方がいれば、

嫌だったらいかなくてよいって伝えることができれば・・・

かがみの孤城の本を読んでみると、

生きづらいと感じている方であれば、

おそらく、誰か似たような、同じような心境の登場人物がいると思います。

それで、別に、

学校の義務教育なんて、なんて、という言い方もあまりよくないですが、

大人になった今でも、

学校生活振り返って、しみじみ良かったなぁなんて思うことがほとんどないのですね・・・

学校の勉強が仕事の役に立ったとも、あまり感じませんし、文系でしたし・・・

私は登校拒否はできませんでした。

正直にいうと、する勇気も、誰に言う勇気もなかっただけです。

その塾をやめた後は、こんどは学校で、嫌なことがあったりと・・・

ことごとく学校に対して、良い思い出はありません。

それで、無理して過ごして、我慢しすぎたせいか、自律神経かなんだかわかりませんが、おかしくなってしまい、

高校にあがったあとでも、人と話す瞬間にめまいがしたり・・・

どんどんストレスをためこんでしまう体になってしまって、

体まで壊したら、それを元に戻すのも大変になってしまいました。

 

これから大人になる大事な時期に、

結局、集団社会の無理になんとなく、ただしがみついてしまっていただけだったのではないか、と・・・

今の世の中ですと学校の受験勉強ができた、できない、で、その先がある程度さだまってしまう部分も多いと思いますが、

じゃあ、たとえ、テストの点などが良いかといって、人として優れているかというとそれは全く別ものだったというのは、

振り返ると、正直なところ感じてしまいます。

勉強ができて進学校に行くような子だって、学習塾では人にいやがらせして、

ストレスを吐き出して、

もしくは見て見ぬフリして・・・

実は、今の大人が育ってきて、いまある世の中の環境の多くは、過去にまあ集団で強くて、もしくは良い意味で鈍感で、スルーできるスキルもあって、

それは、そういった経験から人を傷つける残酷さを知って、逆の立場の部分を考えて生きている方もいると思いますので、全ての人を否定するつもりはないのですが、

あと、当たり前にそんな環境も知らずに普通に生活してきた方もいるかと思いますが、

集団の中で、優劣をつける、それも、人を何らかの形で蹴落として、いじめて、というのは、

どの世界にも、それは、大人になった会社の集団でも、残念ですが存在するのが現実なのかなとも経験上感じます。

そんな現実について、あってもあきらめてしまっているのか、

そもそも、それを感じずに人は生活をしているのか、

色々と、考えてしまいます。

本の中では、こころの、この部分が印象に残りました。

彼らの世界で、悪いのはこころ。

どれだけこころの立場が弱くても、弱いからこそ、強い人たちは何も後ろ暗いところがないから、堂々とこころを責める。

学校にも来ないし、先生に意見も言わない人間は何を考えているかわからない、理解しなくていい存在だから。

「かがみの孤城」P383より引用いたしました。

これは、学校だけでなく、どの社会、集団でもいえるのかな、と感じた部分です。

学校でも会社でも、私の場合、学習塾でも、

どちらかというと、おとなしい、こころのような立場の人間は、すぐに、あっという間に、逆の立場の人間に飲み込まれてしまって、

それでいて、いてもいなくてもみたいな存在になってしまう。

何も言えない。

痛いとも、苦しいとも言えない。

それでも世界はまわってしまう。

むしろ、そんな苦しい立場の人間は、複雑な人間社会のバランスを保つために必要な存在なのかもしれないのに、

あえて、ずっと押し殺された存在のまま、世の中は動き続けているような気すら感じることがあります。

まるで、それは、世間的にいうと、よく出来て、優勢で、協調性もあって、明るくて、ハキハキして、誰ともうまくやれて、

そんな人たちが、生きるためにごく自然に酸素を吸うように、逆の立場の人間は、存在じたいが、その人達らに搾取されているように、黙って苦しんでいるような部分もあるんじゃないかと考えることがあります・・・。

ですが、そのような部分も、なにも社会は言わないのが現実だと・・・・

悲しいことですが、

そういった部分があるのかなと感じるのです。

ですが、それを、当事者も、

そして、加害者でも、被害者でもない人もほとんど何も言わない。

それは、それぞれの安全を確保することが生きる上での先決なのでしょうし・・・・

だったら、もう、

最終的には、受ける側は逃げるしかないんじゃないかとは思うのです。

それで・・・

別に、そんなに世間一般でいう強い人たちという例えがあっているのかわかりませんが、

作ったルールや環境に対して、

我慢をしなくても、

もしかしたら違う世界もあったかなって、今となれば思うのです。

例えば、

今の私が、あの時の私に過去戻れて伝えることができるのであれば、

こんな感じで伝えることができれば、と、

「いまいる場所だけが、世界の全てではない。」と、

これは、この小説の中でもなんらかの生きづらさに苦しんだ登場人物が、

かがみの孤城を知り、

みんなを救済する手段として、鍵を探して最終的にどうするかと、悩んで、

生きづらい世の中に対して答えを出していく部分に似ているような気がします。

 

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ダメなら逃げてもよいと過去へ戻って・・・

おそらく、中学生ぐらいの世間では、

まだ経験してきた世界も狭く、そこにいる現実しか世界がない人が多いのかな、と、思います。

習い事ですとか、学校以外の別の世界があるならまた少し違うかもしれませんが、

だから必死に、いまいる環境に振り落とされないように、

世界は、今いるところしかないって、

そう思いがちになるような気がします。

少なくとも私はそうでした。

ですが、もし、かがみの孤城で、ここの7人のような人たちと出会えたら・・・

もっと別の世界があるとしたら、

別に、塾や学校なんて行かなくても良いって、

逃げて良いって・・・

そう言ってくれる誰かが居てくれたら・・・

逃げても良いと思いますし、むしろ逃げるべきだと、

我慢をし過ぎて、心を通りこして、体も壊してしまうなら・・・

そもそも、おおもとで、絶対的な価値観が違う人たちがつくる社会の基準にあわせなくても、

別の居場所があれば、

例えば、行ける心の余裕があれば、この物語にもあるフリースクールのような、

そうした環境で、

むしろ、ふだんとは別の世界で生きてきた人の方が、

最終的には、あとあと、色々な人生の知見を知り、それは心の部分でも、受けてきた痛みの部分を通して普通の人よりも良い意味で個性があったりと、

広い心の視野をもっている気がするんですね。

ですから、多くの人よりも広い世界でものごとを感じることができて、心も広い人になる部分があると思うのです。

受験ですとか紙面上での競争で勝ってきた人たちを軸に、

多く存在している社会って、

正直、生きづらい・・・

でも暗黙の雰囲気でみなが黙って・・・

何も不思議に感じないのか、

いや、感じたらおかしくなるからあえて、無意識で無視しているのかもしれない・・・

そう思うと、

なんだか、ほんとに息苦しいなと思います。

じゃあ、って現実の世界で、

あまりそう言葉で言えなくて、発することができなくて、

でもやっぱりつらかったら・・・

この、かがみの孤城を読んでみてはいかがでしょうか、

あっという間に3月が訪れるような、

もう、かがみの孤城に来ることができなくなってしまうのだろうか、という、

読んでいて、少しずつ感じてきた、かがみの孤城の居心地のよさが消えてしまう恐怖、

読んでいて、ここが印象に残りました。

四月の日付を見るたび聞くたび、こういうことが増えていた。朝ごはんに毎日食べているヨーグルトの賞味期限でさえ、もう、この期限の頃には何かを決めていなければならないのだ、城ももうないのだと思うと、胸が微かに痛む。

「かがみの孤城」P402より引用いたしました。

こころの世界を理解できる人であれば、共感できる感覚だと思います。

食べ物の賞味期限でさえも目に入れば、考えなくてはならない、おそろしい現実・・・

ですが、

最後、

「かがみの孤城」にいる人間たちは、どうやって、それぞれを救っていくのでしょうか。

これは・・・

そうですね、

今、現実の世界で生きづらい人も、そして過去にきついことがあった人も、

最後は、本の中には、救いが待っている展開でした。

ネタバレを含んで、感想文を書こうと思いましたが、

最後は物語としてもすごい展開でしたので、この記事では触れないようにしました。

ですので、この本を読んで思い出した私の経験を主にこの記事で書いてしまったままです。

文字にして書いても、話をしても、やはりデリケートな部分にも触れる問題なので、感想は難しかったのですが、

ぜひぜひ、物語を読んで、

季節が進むたびに、

迫ってくる最後の3月30日はどうなってしまうのだろうか、

そう感じながらハラハラとページをめくるストーリーも面白かったですし、

そして、はじめに書いた、生きづらさについても考える小説でした。

苦しかったら逃げても良いと感じましたし、その先には、今とは違う別の世界があることも教えてくれる本だと思います。

本屋大賞受賞も納得の作品でした。

この本は、感想文を書かされる生徒ではなく、むしろ、学校の先生の「かがみの孤城」を読んだ感想を聞いてみたい気がしました。

いつも子供にやらせるだけでなく、たまには先生がお手本でも・・・と、

そんなことも読んだ後に考えた小説です。

エピローグの部分、誰がどうやって誰を救ったのか、物語としても素敵な、好きな展開でして思わず涙が出てしまった終わり方でした。

この物語を読んで、誰か一人でも、こころが救われればと、そう願います。

「かがみの孤城」の感想文は以上になります。

読んでいただきまして、ありがとうございました。

※追記:「かがみの孤城」は現時点(2019年11月)ではまだ文庫化されてませんで、ハードカバーの本になります。

 

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