「コスモナウト」花苗での考察 「秒速5センチメートル」の感想です

※この記事にはネタバレが含みます。

映画の内容を知っている方、鑑賞後になんとなくこういう考えもあるのだなと読んでいただけたらと思い記させていただきました。

「第二話 コスモナウト」で花苗から感じたこと

はじめてこの映画を観た時に、「第一話 桜花抄」~「第三話 秒速5センチメートル」まで話がつながっているとは思いませんでした。(どれくらい鈍感なんだろうと・・・)

「桜花抄」から「コスモナウト」の流れの場面ですが、物語が種子島に移ったこともあり、桜花抄からの続きとは最初、気がつきませんでした。

ただ、「第三話 秒速5センチメートル」で明里の結婚の話が出てきて、全体を通して最後にハッとしたのでした。(気づくのが遅くてすいません)

「コスモナウト」の花苗(かなえ)からこの物語に感じるところ。

終始、主人公の遠野貴樹(たかき)が明里(あかり)の心的亡霊と表現すれば良いのか、この映画は貴樹が明里との出会いで生まれたトラウマを引きずった話という感じがしました。

このトラウマという表現ですが、私は桜花抄の冒頭で、この物語の主人公である貴樹が、「僕と明里は精神的にどこかよく似ていたと思う」と語るところで感じました。

貴樹も明里も転校生として出会い、幼くから思春期にかけて、ほとんど一緒に過ごしていた明里という存在。

図書室で同じ本を貸し借りし、登下校も同じ。

この映画の描写では、貴樹も明里も兄弟・姉妹がいないように映りました。

一人っ子で、しかも親の事情で転校し、心をしっかりと通わせる存在がその二人だけの間に成立してしまったような雰囲気がしました。

貴樹にとっては、明里は、貴樹自身の分身でもあり、貴樹の世界の中で唯一の存在であったのではないかと。

貴樹も、明里も、体が弱くおとなしい、互いに似通っているところがあり、意思疎通が何も言わないでも感じとることができる、そんな存在だったのだろうと。

しかし、二人とも再度、転校という形で離ればなれになってしまいます。

貴樹にとっては、明里という存在は、貴樹の唯一の理解者でもあり、自己を肯定してくれる存在だったのではないかと。

特に思春期の少年では、そのような明里が突然、転校という形で生活からいなくなってしまった。

おそらくとても居心地が良い、そして思春期独特の恋の味も含めて、どうしようもなくかけがえのない存在だったのだと思います。

そんな存在が突然、生活から消えてしまった。

貴樹はずっと、大人になっても引きずります。

本人はそれに気づいていないかもしれませんが、貴樹が生活していくなかで忘れられない存在となり、明里と会えなくなった以後の貴樹の人生、考え方、生活、意識のどこかにずっとまとわりつくという意味で、明里との出会い、存在がトラウマになっているのでは感じました。

 

そして、「第二話 コスモナウト」で登場する澄田花苗の側面からこの映画に感じたところを記させていただければと思います。

 

第二話で登場する、花苗の描写があったことで、貴樹がどれくらいの気持ちを抱いて日々生活していたのか、より考えることができたと思いますし、花苗自身の気持ちを考察することによって人間の恋愛の部分も、貴樹と明里だけではない恋愛の複雑さを考えることができました。

私が感じた心のベクトルというところではこんな感じだったのかと思います。


この話は両想いが結ばれないということで確かに、心の向かう先をたどると、答えが見つけられない方向になっておりました。

太陽系の距離で考える登場人物の心の描写

「第二話 コスモナウト」では深宇宙探査機「ELISH(エリシュ)」という架空の太陽系外探査機が打ち上げられますが、宇宙の秘密を探す、旅をする、この心理が貴樹が明里を心の中でいつまでも、どこかで探している描写に感じました。

 

コスモナウト(Kosumonauto)の意味するところは「ソ連の宇宙飛行士」です。

人類で初めて宇宙に飛び立ったのは旧ソ連でして、

宇宙開発の歴史をみると、旧ソ連の開発した「ソユーズ」は今でも現役とのことです。

旧ソ連の技術である「ソユーズ」は1960年代から開発された技術が今でも現役なのです。

いわゆる「枯れた技術」「ローテク」とよばれるものですが、打ち上げ成功率が97%と高く、宇宙開発では信頼されている技術となります。

いざ、太陽系外の遥か遠く、まだ人類が到達したことのないものを見つけるには、「枯れた技術」の方が良いのではないか。

貴樹の心は、この「枯れた」「ローテク」のような技術で、明里と出会った本当の意味を探し求める気持ち、だから「コスモナウト」という表現になったのだろうかと考えました。

いずれ、人類が進化し続けて、今から例えば1000年以上経って、現在の技術が何を考えていたのか、この先の人類がわからなくなるような気の遠くなる未来になったとします。

そして、もしもの話ですが、この映画で打ち上げられた、遥か太陽系外を旅する「ELISH」(エリシュ)から送られてくる信号を未来の人類が見つけたとします。

「ELISH」からの信号を受けとったとしても、遥か遠く未来の機械やコンピューターでは理解できないとしたら、単純な理屈で造られた物の方が、過去の人間が残したものを解明するヒントになるのではないかと。

昔の宇宙飛行の技術は手動での計算に頼った部分もあり、同じようなことを現在の技術でするのが難しいと聞いたことがあります。

でも、それが枯れた技術、ローテクの良い部分なのではいかと、コンピューターや人工知能の進化に関わらず、人間その物の力で答えをだすことができるのではないかと。

 

人間の心がアナログであるなら、それを貴樹の心に例えると、旧古式で宇宙へ進むイメージがコスモナウトなのかなと感じるのでした。

 

かなり話がそれましたが、

貴樹の心というのは、この遥か遠くの、まだ人類が到達したことのない場所、深淵を彷徨うほど深い暗闇の旅になってしまったのだと思うと、明里を探し求める気持ちがいかに孤独だったのか伺えます。

少しは花苗の気持ちに気づいて、振り向いてあげても良かったのではないかと思いました。花苗を思うと少し気の毒になります。

貴樹の同級生から花苗のことを聞かれて「彼女とかじゃないよ」って返すのですが、その台詞には少しドキっとしました。

あんなにいつも近くにいる花苗なのに、貴樹は何も感じないのだろうか、

それほどまでに貴樹の心に住み着く明里の存在は強い物を残しているのかと考えると、もう貴樹の暮らしの中には存在しない明里の陰が私にとってはヒヤッと感じるぐらいでした。

まさに宇宙の深淵を探すほど孤独です。

調べると太陽系の半径は1.6光年とされております。実際に1977年(40年前)に打ち上げられたボイジャー1号が2012年に太陽系外に到達したと知った時にやはりそれは遥か遠すぎる距離だと感じました。「参照:Wikipedia 太陽系の果て

 

ちなみにですが、この映画は、感じた心を距離で表現するところが好きです。

・明里が貴樹に教えた、桜の花びらが散る速度「ねぇ、秒速5センチなんだって。
桜の花の落ちるスピード。秒速5センチメートル。」

・花苗が貴樹に教えた、ロケットが打ち上げ場まで移動する速度、「時速5キロなんだって、南種子の打ち上げ場まで」(ここで貴樹の心に明里から教えられた「秒速5センチメートル」の言葉がフラッシュバックします。)

・水野さんが貴樹に別れの際に放ったメール「でも私たちはきっと1000回メールをやりとりしてたぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした。」

 

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遠野貴樹から花苗が感じとった心

この記事のはじめの部分に戻りますが、明里との出会いは貴樹にとって、淡い恋の思い出とかそのようなものでは例えられない、「トラウマの心理」に近いような気がしました。

そして、花苗は遠野貴樹が抱いている心の深淵を知りたかったのでないだろうかと感じました。

秘密を知りたい、人の心の内側を覗きたい、そのような気持ちが誰にでも少しはあると思います。

だから遠野君に惹かれて、好きになって、

遠野君のことがミステリアスにも映ったのではないだろうかと。

 

人類が宇宙の秘密を知りたいように、

花苗にとって遠野君はそのような魅力を何か感じたのだと、

こんな宇宙の闇ほど深い心を知ることになってしまった花苗を思うと、正直、切なくなってしまいました。

花苗も遠野君の心を感じとる、繊細な心の持ち主だったと思うのです。

花苗は、遠野君のことも、進路のことも、お姉ちゃんにねだって始めたサーフィンもみんな中途半端になってしまいます。

花苗の気持ちの迷いが、遠野君の心を解明できない謎が、花苗自身の迷いにつながっていたのかと、

花苗がサーフィンで波の上に乗れた時から、半年間、

ずっと迷っていて、

だから半年間も波に乗ることができなくなってしまって、

半年間この気持ちって長いなって感じました。

ずっともやもやした気持ちのまま、半年思い続けて、花苗も苦しかっただろうと。

ただこのコスモナウトの話の中で、遠野君も生きていく中で迷っていることを知り、一瞬ふっきれた花苗、

(姉)「花苗あんた進路決めたの?」
(花苗)「ううん、やっぱりまだわかないけど決めたの、ひとずつできることからやるの 行ってくる!」

かろうじて、夏の残る季節、半年経って、やっと久ぶりに波に乗れたのです。

この映画の中で一番好きな雰囲気の場面で、光が見えて、明るい描写があって、

ここは一番キラキラしていて好きでした。

(「秒速5センチメートル」公式サイト フォトギャラリーより引用いたしました。)

 

ですが、その吹っ切れもほんの一瞬というところに、この物語全体の切なさがありまして、波に乗れたその日、花苗は、遠野君へ告白しようとしますが、

一緒に歩いた帰り道、一緒に見上げたロケットの打ち上げで、知ってしまったのです。

遠野君の心の真相に。

以下、花苗の心の内側の台詞を引用いたします。

必死にただ闇雲に空に手を伸ばして、あんなに大きなかたまりを打ち上げて気の遠くなるくらい向こうにある何かを見つめて、

遠野君が他の人と違ってみえる理由が少しだけわかった気がした。

そして同時に遠野君は私を見てなんていないんだということに私ははっきり気づいた。

だからその日、私は遠野君になにも言えなかった。

 

宇宙の深層を探る気持ちは、遠野貴樹も、澄田花苗も同じだったのではないかと。

貴樹が見つめる明里への心のベクトル、花苗が見つめる遠野君への心のベクトル。

これが宇宙を旅する人工衛星のように、果てもなく、一直線でいつまでも交わることも、たどり着くこともない。

それを花苗はロケットの打ち上げを見つめることによって感じてしまったのではないかと。

「気の遠くなるくらい向こうにある何かを見つめて」それは明里をどこかで探している遠野君のことなんだろうって、そして、それはいつたどりつくかわからない、

同時に、花苗が遠野君に対して想う気持ちも、打ち上げられたロケットのように手の届かないものであると直感で花苗は感じ取った。

もっとはっきり言うと、花苗の恋は成就しないと花苗本人が感じ取ったのだろうと思いました。

たとえ花苗が、遠野君の中にある明里という存在を知らなくても、遠野君の見つめる先にあるもの(明里)と同じ存在にはなれない、そして見つめる先に接点がないということを感じ取ったのではないかと思います。

「第二話 コスモナウト」で、貴樹の、そして、花苗の心も、ロケットを打ち上げて宇宙の果てを旅するという形で表現したのではないかと感じました。

 

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コスモナウトより感じたこの記事のまとめになります

「第3話 秒速5センチメートル」で貴樹が立ち寄ったコンビニで手に取った科学誌にて「ELISH(エリシュ)」が1999年に打ち上げられて、2008年に太陽系外へ到達したと記載されておりました。

貴樹が高校時、種子島で花苗と打ち上げを一緒に眺めてから9年、考えただけでも気が遠くなります。

貴樹が高校よりもさらに前、中学の時、明里と最後に出会ってから、ずっと思っていた気持ちの描写が9年かけてやっと太陽系外にたどりついたのだと感じます。

貴樹にとって明里という存在はそれほどまでに想い続ける存在という意味ではトラウマだと思いますし、同時に貴樹との出会いは花苗にとっても同じであったのだろうと感じました。

 

最後に流れる曲

「One more time, One more chance」の部分になりますが、

「いつでも探しているよ どっかに君の破片を」この歌詞の部分で、花苗がバイクに乗り視線を左にそらすその先の次のシーンには明里が写っておりました。

高校生であろう明里は、貴樹が手紙から感じとるように、どこか、一人で孤独で頭をかかえて寂しそうな雰囲気が伝わってきましたが、

ここの一瞬のシーン、花苗の左にそらす視線の先にある、明里、

花苗の心の視線の先には、遠野貴樹を通して、明里の存在をどこか感じとっていたような気さえしました。

決してこの映画の中で交わることのなかった花苗と明里の二人、しかし、遠野貴樹と接する中で貴樹の心の中にある、明里の破片を花苗も探してしまっていたのであろうかと勝手に解釈してしまいました。

おそらく、遠野君は誰か想っている人がいるんじゃないかと、花苗はなんとなく気づいていたんだとこの描写で感じました。

人の情、第六感、目に見えない気持ち、それが伝わり、どうしようもない気持ちに少しなりました。

一瞬の場面です。

宇宙の深淵を探すほどに、誰かを想う。

貴樹が誰かと一緒に描かれていた部分は花苗が一番長かった気がします。

桜花抄で描かれていた貴樹はずっと孤独に映りました。

「第二話 コスモナウト」での貴樹と花苗は、貴樹と明里よりも会話が多くて(ただこの二人は手紙での会話が多い印象です)、だけど一緒になることはできなかった。

花苗の視点があることによって、主人公である貴樹の考えていることも、より理解ができました。

「第2話 コスモナウト」を観直すことで新たに感じることができた部分について記させていただきました。

 

例えば、誰かを思って、ずっと思って、いつか心のどこかで探していた気持ち、今でもどこかで探していることがあるんじゃないかって、

でもそれは決して二度と交わることがない気持ちだと思うと、

もうまさに宇宙の深淵を探るというか、望遠鏡で覗いても決してわかることではないのではないものなのかと。

愛情の深さと表現すれば良いのでしょうか、人間の想いの不思議を感じたのです。

子供の頃にプラネタリウムに初めて行ったことがきっかけで、良く私は天文年鑑を買って宇宙の不思議について考えたこともありましたが、

貴樹の心は、そして花苗の心は、子供の頃抱いた、宇宙ってなんだろう、どういうものなのだろうって感じた、そんな、手の届かないものを探る気持ちも一緒に思い起こさせてくれるのでした。

特に人間の心は、宇宙の真相を探るほど謎なのではないかと感じたりしました。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきましてありがとうございました。

 

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