どこまでも遠くへ行きたくなる気持ち
ふと遠いところへ一人で行きたい。
なんでかそういうことを考えました。
15年くらい前のお話です。
やはり行った、後から思うことですが、気持ちを変えたい、見た事のないものを見て新しい自分になりたい。
そういった理由からでした。
だいぶ前のことですが、当時お付き合いしていた方とうまくいかなかったりなどそういう理由もあったからかと思います。
海外になんていったことないのに一人でいくとういうのも無謀な気がしましたが今では大切な経験となっております。
ガイドブックでしか見たことのない景色、数字をいわれてもピンとこない距離。
わたしが訪れたのはニュージーランドでした。
理由は何個かあります。
できるだけ日本から離れている。行ったことのない南半球。治安が良い。英語圏。チップの習慣がない。
映画のロケ地となっている。
上記に書いたことがほとんどの理由です。
書いたらきりがないので印象に残ったことを先に書きます。
飛行機からの眺めの驚き・・・
飛行機がすごくテンションがあがりました。
高所は怖い人間ですが飛行機ではなぜか別物になる。
不思議です。
その理由はわかりません。
画面のモニターにはいま飛んでいるところが表示されます。
地図でしか知らない場所。
いまその上を飛行しているのかと思うとほんとに胸が熱くなります。
この下にいけばあの熱帯雨林のジャングルかもしれない。
まだ訪れたことのない街並みが広がっているはず。
もうワクワクするしかありませんでした。
おそらくあそこであろう半島の形。
いまその上を飛んでんいるのだと思うとなんとも言えない気持ちになりました。
行きの飛行機の中で印象であったハイライトは、夜の空の星空でした。
それはもういままで見たことのない無数の星が輝いておりました。
子供の頃から都内暮らしでみたくても観れなかった天の川。
その光景は宇宙に放り投げられたかのように神秘的に瞬いておりました。
わたしが行ったニュージーランドは南半球でしたが、子供の頃から天体に興味があったわたしには南の星空もなんとなくわかりました。
正確にいうと北半球で見える星座の位置がありえない場所にあったので、ああ、ここは南半球なんだとわかったといえばよろしいでしょうか。
もう旅の始まりからわたしにとってはクライマックスでした。
本来であれば飛行機の窓の部分のシャッターを開けっ放しであってはいけないのでしょうか、キャビンアテンダントさんがわたしのところに来ては無言で窓を閉めていきましたが、こっちも、もう二度と見ることができない景色かもしれないのでこっそり窓をあけていつまでも眺めていた思い出があります。
明け方にニュージーランドのオークランドに到着いたしました。
飛行機が地面に近づく際の明け方の朝の光が旅の始まりの吉兆にいまでは思えます。
オークランドに到着してからは忙しかったです。
オークランドから再度飛行機を乗り継いで南島のクライストチャーチを目指していたからです。
午前の日が差す光のなか、夜の飛行機とは別の風景が広がっておりました。
わたくしは飛行機をとる際はどうしても窓からの光景が見たかったのですべての予約は窓側にしました。
どこまで広がる緑色の世界。
秋に訪れましたがまだ晩秋ではなかったと思います。
訪問が4月のはじめでした。
クライストチャーチへ到着後してから
クライストチャーチへ到着すると今度は空港から街中心へと車を捕まえて移動になります。
ニュージーランドには移動手段で電車がないんですね。
慣れない、外国の運転手とはなしたせいかひとつ先の目的地のクイーンズタウンと言ってしまい「ちょっと距離が遠くないか?」と運転手の表情が物語っていたので、あわててクライストチャーチと言い直しました。
ドライバーも納得です。
一日目の宿に到着、
そこは日本人のバックパッカーが集まる場所でした。
到着し荷物を置き、それから目的の場所を探すために宿の人に聞きました。
そこのやり取りがあまり詳しく覚えてないのですが、一人で旅行するなら日本人がいる代理店があるので行ってみたらどうだという内容でした。
地図も併せて渡してくれました。
本来であれば自分でネットなり電話なりで宿を用意するべきところでしたが、これは指示にしたがって正解でした。
まず、治安がいいとはいえ一人で訪れた遠い異国では誰かと話すことで非常に気持ちが安心した記憶があります。
街のビルの一角のフロアーにあった旅行代理店は雰囲気も日本にあるようなイーメジと同じです。
観光のポスターが貼ってあったりしました。
訪れたときに日本人の若い女性の方が対応してくださりました。
主に、宿の交渉、そして、ミルフォード・サウンドまでの間のバス手配でした。
どうせ行くなら天井が透明で見渡せるタイプのバスがありますがというお勧めでした。
それも現地の方のお勧めであればと従いました。
結局こういう旅のこまかいところは自分で決められなかったのですが。
また、宿の交渉も大変たすかりました。もちろん英語で交渉頂くのですがわたしが一人身である部分で簡単に見つからなかった記憶があります。またこれは少し嫌な話ですが国籍を尋ねられていた際に日本人だと伝えた回答で断られておりました。
値段も含め、はてはここのホテルは幽霊がでるというそんなお勧めもありましたが、なんとか無事に移動手段も宿も確保できました。
そこからはクラストチャーチの街並みを歩いてぶらぶらしたり、そんなに大きな街ではなかったので思ったよりも早く街を一周できました。
いよいよ翌日、朝早くおきてバスで移動です。
まだ明け方、だれにも挨拶せずに出発のバス停へ。
ツアーの観光客も入り乱れておりました。
そこから先の細かい部分は良く覚えておりませんが、とにかく道が長かったのを覚えております。
「テカポ湖」「善き羊飼いの教会」
最初は綺麗だった緑の大地、しかし、そこは続けど、続けど、景色がかわらない長い時間が過ぎました。
ここは時間の感覚の違いでしょうか。とにかくこの距離は電車などがあればそんなに長くかかるところではありません。
途中で休憩などもはさみますが、目的地へたどり着くのにずっとじっと座っていた記憶が強いです。
とくに隣の人と話すことでもなく。もちろん日本語でしかはなせないので。
休憩途中に戻ってきた人の点呼をするのですがそのような習慣がなく、はっきりいうと子供の頃の学校の遠足のような行いにちょっと恥ずかしい気持ちが強烈でした。
おそらくですが、この国ではそのようなことが当たり前なので点呼もとくに珍しいものではないのでしょうが。
後の記憶は泊まった場所など様々ですが。
途中で立ち寄った「テカポ湖」の「善き羊飼いの教会」から眺めた湖は、今までみたことのない、なんと例えて良いかわからない、エメラルドグリーンともいえない、特徴的な湖の色でした。これが「レイクブルー」という色でしょうか。
さて旅の続きになりますが、
旅の目的地、ミルフォード・サウンドへ向けて
ミルフォード・サウンドに訪れるのが今回の目的です。
途中でクイーンズタウンで2泊し、目的の入り江まで再度バスです。
飛行機の方が早いというのは行ってから知ったことでした。
そうですね、金銭の余裕も行動の余裕もありませんでしたのでただ数人しか乗れないセスナのようなものはかなり怖いとの話でしたが。
幸いなことのに、わたしがついたミルフォード・サウンドは晴れでした。
現地では日本語のアナウンスも流れるのですがあまり晴れることのない場所で年間の降水量も多い場所になります。
しかしわたしの行った時は晴れておりました。フェリーで入り江をクルージングします。その時間は記憶では1時間ぐらいだったと思います。
見上げる山々も遠くまではっきりしており青空が広がっておりました。
その景色は雄大です。
途中で壁面から流れる滝のしぶき。
それはここまで訪れてみるに値する景色でした。
この景色を観たくてここまできたのだと・・・。もうそれしかありませんでした。
あとから時間が経ち感じたことですが、それが一人旅だったからなおさらイメージが強かったのかもしれない。
これは正直におもうところです。
というのも、ここまで旅のメリット、印象的な部分を書き連ねましたがその反面に一人で孤独だったというのも事実です。
旅の不安をなかなかに話すことができない。
相談することも難しいので与えられたルートを守ることに必死でした。
例えばですが予約したバスの時間を守るということでしょうか。
ほかにもありますが、簡単に言うとそんな部分です。
帰りのバスの乗車について口頭で受付の方と話しましたがなんとなく意味はわかりました。
しかし細かい部分についてどうしても、このバスで良いのか不安なところがありました。
後にも先にも英語を勉強していてよかった思うのはこの時だけです。
簡単な文法の質問をノートに書いて質問しました。
向こうも、ノートに回答を書いてくれました。
筆記体ではなくブロック体ではっきりと。
安心しました。
帰りは無事に乗れたバスに6時間ぐらい揺られました。
旅の始まりだったクライストチャーチへ戻ります。
もう夜も21時くらいを回っていたかと思います。
久しぶりに見る夜の街の明かりの光景。
建物がならぶ街並みをバスが通ります。
乗っていた乗客たちも目的の場所へ降りてだんだんと少なくなってきます。
正確にどこら辺かの場所は区別がつきませんでしたが、先に降りる女性の乗客が「もう少しであなたの場所よ」と降りる間際に声をかけてくれました。
ドライバーもあなたをどこでおろすかわかっているよと伝えたかったのだと思います。
ありがたかったです。
出発の際に泊まった、日本人がバックパッカーが泊まる宿の目の前で降りました。
目的は達成できました。
帰りへ向けて
日本へ帰国するまでに2日ほどまだ時間はあり、同じ宿の4人部屋に泊まりました。
他の人たちはワーキングホリデーなどで数か月など長い期間滞在しているとのことでした。
2段ベットに横になりながら、ポツリポツリと会話を始めました。
日本の野球のこと。
吸っているタバコのこと。
ソフトボールで活躍できたこと。
夜に一緒に近くのスーパーまで買い物に行こうとなりました。
なんとなく3人です。
もう一人は自転車でずっとニュージーランドを旅行しているとのことでした。
見上げた空にはわたしにでもわかる「南十字星」がはっきりと頭上にありました。
買い物の際に細かい小銭も計算してレジの店員へ渡すことができ、ニュージーランドの店員もサンキューとにこやかにお釣りを渡していただけました。
ぽつりと帰り道に一緒に来てくれた日本人にいったことは、「せっかく物の買い方もわかった頃に帰国になりますね」ていったら、仕方ないねって感じで答えてくれました。
帰りの空港は朝早くだったのでひっそりと一人で起きて門の鍵を閉め、鍵をポストの中に入れて後にします。
起こすこともできないのでそのままお別れです。
空港に向かうバスの中は、まだ空が白みはじめる前でこれから帰るんだなって気持ちが、今でも印象に残っております。
わたし以外、誰も乗ってなかった気がします。
あと、もう一つ書いておきたいことがあります。
先に書かないといけなかったのですが、クライストチャーチへ帰ってきた翌日に、この旅の手配をしてくれた旅行代理店へ訪れました。
幸いにもその方はいらっしゃたので、簡単に話しました。
うちの庭の落ち葉を拾わないといけないですねと。
紅葉の話になった際に言っておりました。
ニュージランドは日本とは季節が反対なので秋だったのです。
帰りの飛行機から日本列島の明らかに地図で知っている海岸線、そして富士山の山頂を見たときは心のそこからほっとしました。
このままで日本に帰れる。
帰りの空はキャビンアテンダントも日本人でした。
食べ物も日本語で注文できますし、差し出してくれた新聞も日本のスポーツ紙でした。
東京についた時には財布の中身も心のエネルギーもすっからかんでした。
ただ、よく訪れていた新宿のマクドナルドへ帰る途中に寄った時に、ああ、これで何があっても家に帰れるんだとおもった瞬間、
日本の季節は春だと実感しましたし、
これから初夏になる大好きな季節だと感じました。
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