どうしても安曇野へ行っておきたかった
安曇野はずっと行きたいと思っておりました。
アルプスの麓の街並みどんな感じだろうと。
高校の頃の学校旅行でわさび田や松本城に行った記憶がありましたが思い出もなんとなく曖昧でした。
車で走った町並みですがあまり記憶にありません。
ただ中学くらいの時に一人で長野の田舎まできて親戚の家族にガラス工房に連れてこられたのを車道から見えたガラス工房の案内看板を見て思い出しました。
「あっ、ここ来たことある」と思い出しました。
まだ春先だったなぁ、松本城にも行ったなぁと。
高校よりも前の話なのになぜだかこちらの方が記憶が強いです。
あいにく、訪れたら日は週末の台風が二週間続けて直撃しておりました。
午前に安曇野へ向かったのですがお昼過ぎにつく頃はまだかろうじて雨も降っておりませんでした。
高速道路で安曇野が近づくにつれてふと車から目に入るアルプスの山々、多きさ、高さに息をのみます。
ただ、雲がかかってきて空もグレーだったのでコントラストが悪く晴れた日の写真で良く見るその風景とは少し違いました。
もっと晴れていれば、多きさ、高さの迫力も、もっと際立ってみえたのではないかと感じました。
今回の目的は穂高神社に行くことでした。
着いた頃にまだかろうじて雨は降っておらず、七五三なのか着飾った子供や親の姿がたくさんいました。
千歳飴も売っていましたが懐かしい気分になりました。
駐車場に着き境内に入ろうとすると回りを囲ってある木々は綺麗な紅葉の葉に色づいておりました。
石を踏みしめて境内へすすんで行きます。
お参りをすませて、御船祭で使用した過去の人形などをみました。
この人形の作り方は確かに歴史があると思われました。
過去につくられた人形が展示されている御船会館まで入ってくる人は私と父親しかその時はおらず、中に入ると乾いた暖房機の音と特別に保存しているのかわかりませんが、どくとくの乾いたにおいと人形の視線に少し気持ちが不安定になりそうな感情がわいてきたりしました。
シーンとしていて、歴史絵巻のように昔からつくられている人形の表情。
空気やにおいから伝わる昔からのもの、まるで昭和のそれこそ私が生まれる前にスリップしたような気持ちにふとなりました。
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神社の雰囲気
神社の境内はそんなに広すぎずに参拝にもちょうど良い広さ、すっきりとした雰囲気でした。
やはり都心にある神社というよりは田舎に昔からのある雰囲気の神社でした。
私はこういうパワースポットの気を感じるところは鈍いような気がします。
ただそれでも綺麗な空気、水に包まれた大地のこの神社というのはとても清らかな雰囲気というのを感じました。
やはり日が晴れていればなぁと、アルプスの山々が背景にみえる神社の景色でしたらまた違う雰囲気をみせてくれたように感じます。
ちょうど帰るころに雨になりました。
もうあまり外で色々みることもできないので、このまま温泉に行こうとなりました。
「安曇野みさと温泉」というところに行きました。
ほんとにすぐかなぁと思いましたがやはりこちらは広いですね。
いつのまにか勾配をあがっていて山の付近まできておりました。穂高神社から40分くらい走ったでしょうか。
途中で道端にお猿さんが何匹かいて、ああほんとにここは自然に近いのかと思いました。
神社からもらった観光マップをいただいてながめると上高地もけっこう距離がありますが行こうと思えば近く、晴れていればなぁと思いました。
温泉は山の上の方にありました。
ここも何度も言うように晴れていればと思う場所にありました。
こんな山の中ですが人もそこそこおりまして、お風呂場も広めで綺麗な感じでした。
体を温めて帰る準備です。
雨が強くなり、秋なので日も暮れるのが早いのが手伝って直ぐに真っ暗になりました。
路面もけっこう濡れているので車線が見えなく、また長野は高速の道でもトンネルが多いのですね。
トンネルの出たり入ったりの間の車のフロントガラスにふる雨のちがいに苦戦しながらもようやく田舎の家にたどり着きました。
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実際にいってみた安曇野の感想
思っていたイメージと少し違いました。雨が降ったいたということもあると思いますし、季節も10月の下旬でした。しかしここら辺にもし住むとか考えた時にメージがわいてきたかというと直感で40%ぐらいな気もしました。
やはり知らない土地へ行くことの難しさ、実際の距離的なものよりもある、頭の中の距離的なもの。
安曇野はかつて九州の安曇族(あづみぞく)がここまで移住してきたのだそうです。
「安曇」の由来
「綿津見命(わたつみのみこと)」を信奉する安曇族(あづみぞく)は、かつて筑紫を中心に北部九州で海運を司っていたが、のちに東遷して当地に定住。律令制のもとで信濃国安曇郡が成立した。「アヅミ」は海人津見(アマツミ)の転じたものであるとされている[要出典]。
筑紫と近似した風習は食文化(馬食等)や地名、方言(安曇弁)などに残る。出典 Wikipedia
大昔、どうやってこの地にたどり着いたのでしょうか。
そして何を決め手にこの地に暮らすことにしたのでしょうか。
もし、その時に遡って確かめられるなら聞いてみたいと、ふと思いました。
当時、九州から日本の中部までやって来た時の気持ちはどうだったのだろう。
どんな希望をもっていたのだろうかと。知りたくなりました。
また行ってみたい、晴れた日に夏の日でも冬の日でもアルプスの山々をしっかりみれる時におとずれてみたいなと思いました。
そしていまさらですが長野は広いと感じました。
隣りの市といっても平気で30㎞ぐらい先にありますから。
そして雨中訪れた安曇野は少し私の中では不完全なものになってしまいました。
だからもう一度、時間がある時に晴れている時に訪れたいなと感じたりしました。
ただの旅行の作文みたいになってしまいました。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
長野の田舎の感想を次の記事こちらに記載いたしました。
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