完璧を人に求めるから自分が苦しむ
親がダメだと、嫌いだと思う気持ち。
それに対してどう向き合うか。
そうですね、この本を読んでほんとになるほどって思いました。
なんとなしに読んだ本なのですが、
私にとっては、この本の解説の部分を読んでそういうことなのだと率直に思いました。
素人の私の感想よりも、よりわかりやすい、その通りだなって解説している部分があります。
「親は立派な人であるべきだっていうのは子供の幻想だ」
「親も単なる人間だ。人間は迷うし間違うし卑しい。親だって迷うし卑しい。そういうもんだ、諦めろ」
「その方が楽だぞ、自分が親になった時を考えたらな」
(「ヒア・カムズ・ザ・サン」P255~256解説部分より抜粋しました。)
本書は親に対してゆるせない登場人物が抱える気持ちについて、書かれております。
抜粋した文章の気持ちは自分がリアルに親に対して抱いていた気持ち、それに対してなんとなくそう思ってきたことを的確に言ってくれた文章になりました。
そう子供からしてみたら親は立派でちゃんとしていて、恥ずかしくないような人間でなければならない。
私の親は実際は全くの逆でした。
少し暗い話になって申し訳ありません。
毎日酒浸りで、良い時と悪い時の差が激しい。
二重人格をみてしまうという表現の方がわかりやすかもしれません。
ただ、確かに親の行動にも限度や節度ってあるかもしれませんが、それでもその中でも完璧を求めすぎていた自分がいたことは確かです。
現実と理想とのギャップがあるから苦しむ。
それを理解するまでにほんとうに時間がかかりました。
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確かに親も卑しい でも自分も卑しい
親だけが特別な存在なのではない。
自分だって親と同じ人間だ。
じゃあ、自分のこころが神様や仏様のような心を持っているかと言えば嘘だ。
自分が人に言えない卑しい心や、ありえないほど心の中で毒づくこと、信じられないような酷い考えだって思ったりもする。
じゃあ、なんで親だけが、特別なんだ、
やっと、自分と親とを切り離すこと、他人のように思えることで、本当の親の姿が見えてきたような気がした。
自分の存在の、心の、魂のもとになるから完璧を求めていたような気がする。
親が完璧でなければ、自分も完璧にはなれない。
いま考えるとなんて他人まかせな考え方をしていたのだろうか。
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それで与えるプレッシャーもあったような気がする
親もおそらく根は真面目なんだろう。心が優しいのだろう。
私が子供の頃には、ちゃんとした親にならなくては、しっかり育てなければ、そういうふうに思っていのだろう。
もしかしたら、そういう気持ちが強すぎたのではないかって。
はじめからアルコールに浸るようなそんなつもりはあたり前だがなかったんだろうって。
やっと距離をおけたから、余裕ができてきたから、そんな視点を持つことができてきた。
子育てをうまくできない葛藤や、それでも子供の期待にこたえなくていけない苦しみや、そんなの片親だからだれにも相談できなかったのだろう。
そういう意味では母親は図太くなかった。
神経がこまやかすぎた。
だから壊れてしまったのだろう。
今ならそんな気持ちがすこしわかる気がしてきた。
申し訳ない、自分はそういうことを理解できずにいた。
知らずにプレッシャーを与えてしまっていたのだろうって。
わたしがタンスの中にあった母親の日記をみたのは小学生くらいの頃だった。
私を含めて、姉が生まれてきた時に記してあった日記だ。
とても繊細で綺麗な文字で毎日のことが書かれてあった。その文章には希望や優しさや楽しさの全てがつまっていたのが伝わってきた。
現実とのギャップに苦しんでいた時になんで、こんなに違ってしまったのだろうかと感じた。
でも、今ならわかる気がする。
全てを理解できるほどまだ自分はできてはいないが。
でも、それがその時の母親の素直な気持ちだったんだって。
だから、もう、そういう気持ちをもって生きていてくれただけでも、許してあげてもいいんじゃないかって。
お酒でおかしくなってみてしまった姿も現実だが、私たちを生んだ時に書いた日記に記した気持ちも現実だったのだ。
だったらそれで良いじゃないかって。
今の私にもう一度その日記を見る勇気はまだない。
思いが強すぎるからだ。
でもいつか、こういう素晴らしい景色があったこと。
大切にしていこうと最近やっと思えてきた。
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