もくじ
卒業アルバムや文集、写真などを捨てたこと
夏になるとなぜか物の整理がはかどります。
聞くところによりますと動物の習性として冬は寒いので物を溜め込みやすいと聞いたことがあります。
捨てるのに迷っているものがある場合は夏の暑さの勢いで処分するのが良いのかもしれません。
梅雨が開けたらスッキリと卒業アルバムなどが処分できました。
(注)この記事は、いち個人のよもやま話程度に読んでいただければと思います。私は大切な他の方の記憶など、なくなるものについて保証はできませんので、個人的な体験談の記録と思って読んでいただければと思います。何かお役に立つ部分があれば必要なところだけ参考いただければと思います。
卒業アルバムを処分しようとしたきっかけ
そもそも卒業アルバムを捨てるなんて感覚や感情は今までありませんでした。
ただ家の整理をする中で、あれ?あの昔にふと読んだ母の日記ってどこにあるんだろうと思いました。
ずっと昔、子供の頃に読んだ手記、
いま読み返すとどんな感情になるんだろうということをふと考えました。
それで見たい日記を探したのですが、あったと思うところ、しまっていた思われるところをくまなく探したのですが出てこない・・・
たった一冊のノートを探すのに、収納されていた物を戸棚から押し入れから色々と全てひっぱり出すことになってしまったのです。
それで日記ノートを探すにあたって、個人的にとっておいてあった私の卒業アルバムや文集などを保管していた収納ケースを開いてしまったのです。
結論としては、ものを探すためにしたことが、過去の記憶、パンドラの箱を開ける行為となってしまいました。
私は今回の卒業アルバムの処分で感じたことは、どうしても取っておきたいものはせいぜいひとつかふたつあれば十分ではないかと思いました。
卒業アルバムをとっておくデメリット
神様の意図かしわざかわかりませんが、「あった」のでついついて開いてしまった収納ケース。
その中に入っていた卒業アルバムから文集、写真、
これらをとっておいて感じたデメリットですが、
①いちばん感じたことは色々と記憶のどこかにしまっておいた、もしくは忘れたはずの
記憶がこと細かによみがえる
・その時の学校の空気ですとか人間関係
どんどん点と点が結び付いて最終的にはその時の会話すらよみがえる・・・
それもいやな記憶ばかり・・・
当時、嫌だったなんとなくできあがった学校の登下校のメンバーやその時の会話・・・
②何故か律儀にとってある不思議
そんなにいやな記憶ばかり、学校生活の思い出で大切なものはかなり少ない。
思い出しても出てこないのです。
収納ケースを開きながら暑さで熱中症なのか気分的なものなのか、アルバムの埃っぽいにおいのせいか少しクラクラする感じになりました。
「文字や写真が目にはいるだけで血液が錆びそう」という感覚に襲われました。
③寄せ書きなど
とりあえず形だけ書いてもらった寄せ書きに、いちいち考えるので、書いてある内容とは別の意図を思い出してしまう・・・
なんとなく気を使って書いてもらった感もあるので感謝もありますし、ありがとうございましたという気持ちも見返して少しはありましたが、「高校に行ったらもっと今よりもよい学校生活を送ってください」という文字が見にはいった時に、なんだか破棄せねばと感じました。
特によい思い出だったなんて主観でもありませんし、そんなことは重々承知でしたが、客観的に第三者から、しかも会話した記憶もない方が書いていただいた一文に少しカチンときたといいますか、まあ正論だからこそやめてくださいという感覚になりました。
「色んな学生の写真や私の姿を見ると当時の感覚や会話した内容がつながるのでもうダメでした。」
なぜこんなものをとっておいたのか不思議です。
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卒アルや文集を久しぶりに見た結論としては
結論としては私にとってこの卒業アルバムと文集はあらゆる眠っていた嫌な感情が湧きあがるモノでしかありませんでした。
よく17まで学校生活を送っていたといいますか、毎日のようにこんな感情にふれていたらそりゃ体も悪くなるなとしみじみ感じたのです。
卒アルなどをとっておくメリット
ここまで捨てた方がよいと感じたメリットを書きましたが、あくまで個人的によかったなと感じたこともあります。
①小学校の時の連絡帳があった
学校を休んだ時の連絡帳ですが、子供の頃に患っていた病気のために症状が悪化すると都内の大学病院まで連れられまして、片道1時間半ぐらいかかる病院までひどい時は週に2回も早退などをして通っていたんだと、当時の記録が正確に出てきました。
親も連れていくのは大変だったんだろうなと考えると、申し訳なくもなりました。
入院などをしていた時期もあやふやだったのですがちゃんと連絡帳に残っているものなのですね。
そんな記録を今さら知ったところでですが、それでも過去にあんなに病院に通ったにも関わらずによくまだ生きているなとも少し感じたのです。
ですので、こういった過去、苦しかった記憶や感情を手放すことにもなります。
卒業アルバムや文集などを捨てるのもそうした過去のいやでしたが頑張った記憶を捨てることにもなるので、あの時つらかったから現在があるという記憶も詳細には思い出すことができなくなります。
人の記憶というのは都合のよい感じでいつのまにか記憶も変わりますし、忘れるようにできているんだなとつくづく思いました。
でなければ、今を肯定することができなくなりそうです。
②感情の記録
ただ、はっきりと感じたデメリットはこういった過去のものを手放すと、たとえば物を書くときのネタを手放すなぁと思ってしまいました。
たとえば、誰かとの日常のシーンですとか思い出したら短編の一話ぐらいにはなりそうだなぁと感じます。
卒アルはネタの宝庫で捨てるのがもったいないかなと少し感じたしだいです。
③行った場所の記録
行った場所の記録がメリットとかほんとうにあなたの学生生活は大丈夫だったのですか!?と思われそうですが・・・
なぜか律儀にも修学旅行やスキー教室、移動教室などのしおり、いわゆる行動予定表が残っておりました。
ああ、こんなところに行ったんだと。
今までの人生の中で有名なのに行ったことがないと思っていた場所に訪れたことがあったのは驚きでした。
実は行ったことがあった場所、ベスト3
1 北野天満宮
2 嵐山
3 平等院
京都への修学旅行だと思うのですが、まったく記憶にありませんでした。
この先に、もしこれらの場所を訪れることがあったら、「生まれてはじめてきました」と、とはずを語るところでした。
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アルバムなどを整理して感じたこと 人間の記憶は筋力のよう
卒業アルバムを残しておくデメリットに戻りますが、人の記憶は筋力のようなものだと思います。
思い出さなければどんどんその記憶の筋力は落ちていっていつか無くなる。
ですが時間を置いて今回みたいに卒業アルバムや文集、行動予定表などを開いて、すごく時間をおいてまた当時の記憶を思い出すと記憶の筋力が鍛えられて強くなってしまう・・・
もちろん良い思い出であれば、いくらだってそれが強くなって良いと思いますし、悪い記憶だって人生の場面によっては、何かを乗り越えるためのバネになるので悪いばかりではないと思います。
なにごとも程度だと思うので、
今回のように全て破棄したいというのも私としても極端すぎると思いますし、何事もそれについて今どうやって捉えるのかによる気もします。
ですが度を超えた、最初に書きましたが血液が錆びそうな感覚の記憶であればやはり私にとっては必要ないモノと判断しました。
その記憶の容量は別のことにできれば使いたい。
脳みそも記憶する機械のように消耗品だと思うのです。
今回のように探しモノのついでに、ふと開いてしまった記憶の扉はしんどい感情、思い出の筋力を強くしてしまった気がします。
もうじゅうぶん思い出しました。
悪い思い出ばかり。
どうやって処分するか!?
さて、探し物ついでにどんどん要らないモノを片付けしたのですが、それで卒業アルバムや文集などもどうしようかと考えたのです。
物を置くスペースも無限ではありませんし、誰も見ない。もちろん私じしんも、もう開きたくない。
ですが色々な個人情報もあるので燃えるゴミで出すのもなんだか心のどこかがひっかかる。
人が書いた文章もあるのでそのまま捨てるのは感覚として嫌だ。
あんなに嫌な思い出があるのに、いざ卒業文集では良いことを書いている同級生とかの文章にはもう気持ち悪くなるといいますか、もちろん私の書いた文章もなにも感情がこもってないので嫌だ、大嫌いです。
「完璧な形で処分したい」
それで、私が思った方法ですが、
①ガソリンをかけて燃やして処分する
②JAXAやNASAに頼んで宇宙へ飛ばしてもらう
上記のふたつのどれかであればスッキリすると思いました。
ですが、
①の燃やすは実現できそうですが法律上、野焼きは禁止なのですね。バーベキュー場でもダメなようです。
遠い田舎の方は農家ではないですが農作業で出た乾いた枝木であれば燃やしても良いようですが、どちらにしても枝木でもないのでダメなようです。
やはり、法に定まった形でちゃんと納得する形で処分をしてスッキリしたい。
②のロケットで打ち上げるは到底現実的ではありませんが感情としてはそれほどの思いです。ですがどこかで聞いた話ですと、宇宙の果てまでいくと光はまた同じ場所に戻ってくるというような説を何かで聞いたことがありまして、まだ宇宙の謎が解明されていないので、可能性があるのであればどちらにしても完璧な方法ではありません。
どれくらいの時間かはわかりませんが、何億年というか単位が存在しない遠い未来に宇宙から地球にそれが戻ってくるのも勘弁です。(注:あくまで個人の妄想です)
もし遠い未来の人間かなんらかの生命体が地球にいたとして、それが戻ってきた時に「なんじゃこれ」となったら面白いのかもしれませんが、可能性がある限り気持ちとしてはいやです。
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あらためて現実的な処分方法「お焚き上げ」
それで現実的な方法ですが、機密文章を溶かすですとか業者に預ける方法もありますが、
この目で消滅するのを確かめたい。
わたしの目で確かめたい。
そう思い見つけた方法が、神社でのお焚き上げでした。
神社にお願いをするお焚き上げも段ボール箱に入れて郵送などで送り、ある程度まとまったら他の人の物と一緒にお焚き上げをするところが多いようですが、
今回お願いしたところは別途、立ち合いをお願いすると、お祓いと一緒にその場でお焚き上げを行っていただけるとのことでした。
もしその場でお焚き上げをして欲しい場合は、別途対応可能かどうか事前に神社の方に相談をしてみるとやっていただけるかもしれません。
卒業アルバムを捨てた感想
お焚き上げの前に処分するものと一緒にお祓いをしていただけました。
お祓いをしながら、神主さんが「役目を終え」と祝詞を唱えていたのが印象的でした。
そう、役目を終えたのだ。
と、言霊ではないですがそういっていただけると処分しても良いものなのだと思うことができました。
もう何十年も前の学校生活の卒業アルバムや文集を律儀にとっておいた不思議。
卒業してからもこうして長いあいだとって置いたのですから、本当の意味でもうサヨナラをしても良いよねと感じました。
スキー教室のバス移動に使う歌集などまで残っていて、おかげでその曲のタイトルを目にしてあの時のバスの中の雰囲気すら思い出してしまった。
歌にはまったく罪はないのですが。
それに、子供の頃からの写真、見返しても良い感情はない。
私の中では、学校はあまり必要なところとは思っておりません。
なので幼稚園をふくめ高校まで14年間、長い苦行といいますか集団生活・・・だった。
幼稚園からはじまり中学卒業まで11年同じクラスの人がいましたがアルバムを見てもなんの感情もない・・・
それなので学校生活での写真もすべてお焚き上げをしました。
最終的に残したのは大学の卒業証書だけになりました。
お焚き上げは、暑い中、その場で色々な卒業アルバムを含め、手紙や過去の日記、写真、病院の検査の資料、嫌だった上司からのメール、
すべてこの目で燃えたのを確かめてお焚き上げをしてもらい、綺麗になくなりました。
お焚き上げの最中に焼却炉から出てきた灰は、真夏の陽射しの中、はらはらと雪のように綺麗に舞っておりました。
すっきりしました。
私は、今を生きるのでせい一杯なので、脳みその余計なメモリーを減らすことができて軽くなりました。
過去の記憶をとどめる為に脳みそのキャパを使うことは難しいです。
ノートに留める。ブログに残す。写真を残す行為は、脳みその外付けHDDのようなものなのかもしれません。
親ですとかアルバムをつくっていただいた方などに申し訳ない気持ちもありますが、(親の許可を得たうえで処分しております)消耗品でもある脳の容量を開けるためにも、今回、思いきって処分をしました。
なにより、この目で確認した上でモノが火で消えてなくなったので体内が綺麗になったような「気」がしました。
あとがき
それで結局、最初に探していたノートは見つかりませんでした。
本当に必要な物は見つからずに、さして必要でないことほどたくさんある。
なんだか人生の真理のひとつのようだなぁと今回のことで感じたしだいです。
親戚のおばさんがいつか言っていたのを思い出しました。生きる上で持ち物なんていざとなったらかばんひとつぐらいで大丈夫と言っていたのですが、今となり、なんとなくそれを理解できた気がします。
以上、卒業シーズンでもないのに、卒業アルバム処分のお話になりました。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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