※この記事はネタバレを含みます。
「あたしって…嫌な子だ」
※この記事はネタバレを含みます。
「あたしって・・・嫌な子だ」
第4話はこの台詞ではじまるのですが、
この、まどか☆マギカという作品はいまでも色々と考えさせてくれます。
いまでも録画したこの作品を再生しはじめるとついつい見始めてしまいます。
そして「さやか」について、いつか書こうと思っておりました。
第4話「 奇跡も魔法もあるんだよ」
第4話で魔法少女になるにあたり、キュゥべえと話し悩み、葛藤するさやか、
きゅうべえの言葉、
「確かにマミみたいなタイプは珍しかった。普通はちゃんと損得を考えるよ」
さやかはやっぱり良い子なんだと思います。
恋心を抱く恭介の病院でのお見舞いで、ベットでふて寝している恭介に、ドビュッシー知っているよって、健気にもちゃんと彼の思考にあわせようと、でも、そんな気持ちも事故でバイオリンを弾けなくなってしまった恭介を傷つけてしまうのです。
その時に決心するのです。
「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
魔法少女になる決心をしたのでした。
恭介の腕が治ることと引き換えに、さやか自身にどんな本当の代償があるかもわからないまま。
さやかは、魔女と戦うことになっても上条君(恭介)の腕が治ることを切に願ったのだと思います。
ただ、この時さやかは失敗します。
取り返しのつかない失敗、
人間に戻れなくなってしまうのです。
第5話「後悔なんて、あるわけない」
魔法少女になったことに吹っ切れたと感じるさやか、自信が溢れるというか、なっちゃった後だから言えるとか、まどかに言って、
命がけでたたかう理由、その時はさやかの本心だったんだと、
病院の屋上で再びバイオリンを手に、恭介の演奏を聴いたさやか、綺麗な夕焼けで、美しいバイオリンの音が響き、
さやかの想いは届いた、そう私も思いました。
ずっと、この、さやかの気持ちが続けば良いのにって、
ただ、「ほむら」はわかっていたのですね。
魔法少女になった後、さやかについて、ほむらはまどかに伝えます。
「度を越した優しさは甘さに繋がるし、蛮勇は油断になる」
「そして、どんな献身にも見返りなんてない」
さやかはグリーフシードを落とさない使い魔を狙います。
正義の為なら、人を襲う使い魔であれば、グリーフシードを落とさなくても、
魔力を消費しても戦うことが正義だと、
そのことにイライラした杏子、
杏子とさやかが剣を交えて、だけどこの後で、二人は分かり合えるんですよね。
まどか☆マギカは、ほんとうに素晴らしい作品です。
最初に登場してきた杏子ちゃんは嫌だったのですが、あとで、とても見直します。
そして、その時のさかやとは反対に杏子は何にも精神的に依存せず、自立して、ドライで、
ほむらの言う理想的な魔法少女だったのだろうって、今回アニメを見直してあらためて感じました。
でも考えてみたら、ほむらも精神的にはまどかに依存していたのだろとうともふと考えたり。
ほむら自身が知っているから、さやかにそんな忠告もできたのかと、
人に対しての精神的な依存が、この物語の負の連鎖だったのだろうかと、
繰り返し見ることでわかってきました。
見返りを求めて生きるってどんなことだろう!?
さやかに話を戻しますが、
さやかは魔法少女になったこと、少し意味をはき違えていたのだろうって、
だから最初の恭介への願いが叶ったところから、だんだん、脱線していって、
おかしなことになっていったんだろうって、
でも、私はさやかの気持ちに同情してしまいます。
たぶん私も同じような運命をたどるというか、もし、このアニメの登場人物で一番近い性格って誰かなっていうと、さやかだと思います。
なんというか、人間らしいっていうか、
ほむらや、杏子みたいに、魔法少女に対してドライな気持ちではなくて、
なんか熱くて、正義感を持って、でも、そこに隠れた根底のさやかの正義っていうのが、
実はさやかが欲していた、気づかなかった、気づいていないふりをしていた欲の部分であったり、
まどかのお母さんの台詞で、こういう気持ちに対して、
ある意味答えを教えてくれた気がします。
一つの価値観です。
「ずるい嘘ついたり、怖いものから逃げ出したり。でもそれが、後になってみたら正解だったってわかることがある」
「本当に他にどうしようもないほどどん詰まりになったら、いっそ、思い切って間違えちゃうのも手なんだよ」
「わかってもらえない時もある。特にすぐにはね。言ったろ、きれいな解決じゃないって」
「その子のこと諦めるか、誤解されるかどっちがマシだい?」
退院した上条君は、さやかのことを見向きもしなかったのです。
なんでこの物語はこうも精神的に残酷なんでしょうか。
でも人間の欲望というか、表面上見えないで綺麗に隠れているであろう願望というのがうまく表現されております。
こんな気持ちあったな、
誰かのためとか思ったつもりで、ほんとは自分の為だったんだなって、
そんなことが私にもありました。
例えば、恋愛なんて、みんなそんな感じだったんじゃないかって、
相手のことを思ってしてあげたつもりでも、どこか相手に対して見返りを求めている自分がいた。
それは、ほんとうに対等な関係ではなかった。
もし、上条君が元のようにバイオリンを弾けるようになること、それがさやかの本当の願いであったのであれば、
それでずっとさやかは幸せでいれたはず、
魔法少女になっても、
その真実の姿がどんなものであったとしても、
壊れていかなかった、精神が崩壊しなかった。
さやかに見向きをしない恭介であっても、ほんとうに恭介の幸せを望んでいるのであれば、恭介が幸せになればそれで良かったんじゃないかって、
でも、どこかで相手を自分の思うようにできなかった苦しさですとか、でもそんな考えを考えてることすらも認めることができなくて、
ごちゃごちゃになって、何考えているのか、わからなくなって、
恋愛になぞらえると少し伝えやすいですが、
私の実生活の中でも、人との関わりあいで、恋愛以外でも、人に対して自身が抱くイメージ、こうあって欲しいとか、どこかで相手をコントロールしようと無意識にしている部分があったり、
それは次に進む話のタイトルでも教えてくれます。
第7話 「ほんとうの気持ちと向き合えますか?」
さやか自身がなぜ魔法少女としてキュゥべえと契約したのか、自身のほんとの気持ちに気が付きます。
友人の仁美から、上条君(恭介)のことが好きなことを告げられます。
そして仁美は上条君に告白し付き合うようになる。
この物語は大好きですが、ほんとうに残酷な、でも実際にある人間の心理描写があって・・・
もうこれで、さやかは壊れちゃうんですね。
正義のためとか、そんな理由で魔法少女になったはずだったのに、
潜在的な理由に気づいてしまうのですね。
私も一緒に見ていて壊れてしまいそうでした。
さやかのことを心配してくれる大切な親友、まどかに対しても、
「私の為に何かしようって言うんなら、まず私と同じ立場になってみなさいよ。無理でしょ。当然だよね。ただの同情で人間やめられるわけないもんね?」
「何でも出来るくせに何もしないあんたの代わりに、あたしがこんな目に遭ってるの。それを棚に上げて、知ったような事言わないで」
後から考えるとほんとに最悪の台詞のような気もするのですが、
いざとなったら私も言ってしまうかもしれないと思ったりしました。
教えてよ。今すぐあんたが教えてよ
さやかが魔女になる前の台詞、
もう、色々な感情でごちゃごちゃになってしまったんだと思うのですね。
上条君の腕が治れば、正義のために、
でも、あとからさやか自身が本心に気づいた本当の気持ち、
これでおかしくなってしまったのですね。
この物語で感じることができたこと、
ほんとうの自己献身ってなんだろう?
人の為とか言いつつ、いつかそれが自分の為だったり、
そんなこと私の今までの生活の中でいくらでもあった気がします。
優しさを意識した裏の気持ちが、相手に対しての同情や見返りだったり、あるいは蔑みだったり。
でもそれは人間のリアルな、生々しい本心だということも理解できました。
希望と絶望のバランスは差し引きゼロ、
誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。
これはある意味、ふだんの生活でも感じることだなって、
さやかから学ぶこと、このアニメを見ていると、私が今まで経験した、なんとなく思っていたことをさやかの生き方で教えてくれたような気さえしてしまったのです。
だから、まどか☆マギカは凄いなって感じるのです。
自分が今まで経験してきた間違えのような、
さやかと同じ境遇ではありませんが、
考え方の部分ですとか、いつか人に対して勝手に期待して、勝手に恨みの気持に移ろってしまう思考なども共感せざるを得ないのですね。
ボーイッシュで活発で可愛い、さやかちゃんに対して少し好意目でみることができるから、さやかを許せたのかもしれません。
でも、そんなことを抜きにして、さやかを許すことができなければ、今までの私自身を許すことすらできないように感じてしまったのです。
ああ、長くなってしまいました。
かつてないほど、たくさん、書いてしまいました。
そして、
この記事を書くにあたり、久しぶりに見直したまどか☆マギカを結局12話までみてしまいました。
今回、さやかに対して、フォーカスを当てて記事を書いたので、最後の部分、ほむらの部分ですとか、何故、まどかが魔法少女になったのか、
そこの部分も大好きな作品です。
この作品からいただけたもの、それを最後に記したいと思います。
さやかが自身のほんとうの気持ちに気づいてしまい、魔女となってしまう気持ちに対して、
ほむらが魔法少女になった理由、さやかとは対照的にほむらの動機が人間の愛情だとしたのならそこに物語の救いがあったのではないかと。
さやかの感情も確かにありえる感情でして、例えば人が抱く気持ちの中で、「恋愛感情」に例えるのであれば、
さやかは「恋」が根底にあって、
ほむらは「愛」が根底にあって、
そんなことも思ったりしたのです。
ほむらが最後まで突き通した心、
それが人間の愛情だとしたら、
この物語には救いがあったのだと、
ほむらについて書こうとしたらまた長くなってしまいそうです。
まどか☆マギカは何度見ても、やはり、色々な側面の人間の感情、私が抱いてきたけれど、なんかぼんやりはっきりしなかった気持ちをたくさん気づかせていただけた作品でした。
人によって、この物語の様々な感想、作品に対して、キャラクターに対しての想いがあると承知しております。
その中で、勇気を出して、あくまで私の気持ちを記させていただきました。
最後に、魔法少女まどか☆マギカの一番好きな印象的だったシーンですが、
10話の最後部分、ほむらの謎がわかって、いつものOP「コネクト」がEDに流れるこの描写は個人的に大好きですし、はじめて見た時にあっけにとられたというか、ポカーンとしてしまったというか、ああ、すごいものを見てしまったというか、腰が抜けてしまった感覚というか、
もう、うまく例えられない、アニメではじめて出会った感情でありました。
『魔法少女まどか☆マギカ』に出会えたことを感謝したいと思います。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
追記:この記事でちょうど100記事となりました。いつか大切な作品についての思いを記したい、でもまだ正直、私のブログに対して当の私が自信がありませんでした。まだ全然ないのですが、100記事になるまでやってきたのだからこの時くらいは大好きなものを書かせていただいても良いかなと思い、100記事目はこの作品について書こうと記事数が近くなってきた時にずっと思っておりました。まだまだ日々コツコツになりますが、ひとつの通過点としてこの先もこのブログ書きを通して感じた気持ちを記させていただければと思います。
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