御嬢さんはどちらが好きだったのか「こころ」(夏目漱石)読書感想文

文豪が書いた作品、「純文学」というジャンルについて、今さらながらの感想文になります。

名作であり、学校の授業でもよく扱われる作品ですので、今回、感想を書く「こころ」のあらすじをご存じの方も多いかもしれません。

あくまで、私見、個人的感想です。

文学史の考察など、専門的見解については、この記事に期待せず、あくまで「こころ」を読書した人の感想のひとつとして、お読みいただければと思います。

「こころ」についての記憶と、あらためて読み直した簡単な感想

「こころ」の話の内容をおさらいいたします。

読んだのは高校生のとき以来でしたでしょうか。

学校の授業で読んだのか、なんとなく読んだのか、かなり記憶が曖昧です。

読書感想文は違う作品だったので、おそらくですが、なんとなく読書したような気がします。

物語の内容の記憶が少しある中、読み直しました。

最後の展開を良く覚えておらず、あらすじを忘れてしまっていたので読み始めたら面白くて一気に読み終えました。

「読書の秋」、夜更けに一気に読み進めてしまう内容、100年前の話ですが面白い、昔の文章なのに読みづらくないという印象も持ちました。

特に先生の手紙の部分は、まさに人から読み手へ想いを打ち明かす秘密の手紙でして、人の手紙を読んでしまったかのような気持ち、信書を閲覧してしまったような気持ちで、面白かったです。

「こころ」を読んで、私的な「あらすじ」です 

考えたら名作と呼ばれる作品のストーリーを私はよく覚えてないことにふと気がつきました。

子供の時に読んだ児童文学などもけっこう忘れております。

例えばですが人魚姫など、どんな内容でしたでしょうか、

はやくも脱線しそうなので、「あらすじ」について元に戻ります。

※私的に印象に残った部分をまとめた形になります。

あらすじは、「先生」の下宿先、そこでおこった過去、大学時代の、「先生」「御嬢さん」「友人のK」、三人の恋の話。

小石川あたり(文京区)の下宿先の娘、後に妻となる「御嬢さん」に先生は恋心を抱く。

下宿先は、先生と御嬢さん、他、戦争で主人をなくし未亡人となった御嬢さんの母の三人で最初は暮らします。

途中、「先生」の親友の「K」を招き、先生の下宿先は、4人での生活となる。

「K」を同郷の親友として信頼しきっていた先生、もともと女性に興味がなさそうな親友Kであれば下宿先へ来ても大丈夫と感じKを御嬢さんと暮らす下宿先へ迎えます。

哲学、思想、学問の道ばかりのKを先生は心配するところもあり、下宿先へKを招きました。

「先生」、「K」、「御嬢さん」、「奥さん」、4人での生活に変わっていきます。

精進の道に進み、恋愛に興味などなさそうなKであったが、しだいに、Kもお嬢さんに恋心を抱くようになる。

そして、ある時、先生はKから悲痛なまでのKのお嬢さんに対しての恋心を告白されます。

なにしろ先生自身が御嬢さんに恋心を抱いており、その中にKが入ってくる。

親友のKは、同じ一人の女性に想いを抱くライバルとなり、先生は親友であるKに対して、そして自身の御嬢さんに対しての恋心に葛藤していく。

先生は、Kを裏切りに近い形で出し抜けでお嬢さんを奪い、先生と御嬢さんは、結ばれる。

Kは自殺し、先生はお嬢さんとの結婚後も、Kの自殺の真相をずっと一人抱えたまま、この小説の「私」宛の手紙で、今までずっと抱えていた「こころ」を独白し、そして先生も自殺する。

私的に簡単にまとめたあらすじはこのようになります。

※人により読んだ中で印象に残る部分があると思います。大切なところが抜けていたら申し訳ありません。

「御嬢さん」は先生とKどちらが好きだったのか、どちらと結ばれた方が幸せだったのだろうか

「こころ」について、この小説を読み個人的に考えた部分です。

この小説の後半部分、先生からの手紙の独白は「一方的」に先生の過去の気持ちについて綴られおりました。

あくまでも、知ることができるのは先生の「こころ」であり、残された先生の奥さんである「御嬢さん」、そして自殺をした「K」の本当の「こころ」はわからない部分です。(Kは遺書を残しましたが、先生と御嬢さんの結婚については、触れられておりません。)

手紙を読んで感じたKの心の葛藤というのも、先生が感じた部分でKの心の内は、Kの自殺によってわからないままです。

Kは精進の道に励む自分が恋を覚えてしまったこと、自分に対しての絶望だったのか、親友であった先生と同じ人間を好きになってしまった絶望だったのか、先生の行動に絶望したのか、わからないままですが、ひとつの恋から生まれた複雑にからむ恋心に絶望していったのかと感じます。

そして、「こころ」を読んで最後にぼんやりと考えたところです。

果たして、御嬢さんは、結局、「先生」、「K」どちらと結ばれることが幸せだったのであろうか、そんなことを考えたのです。

「御嬢さん」の気持ちはいったいどうだったのか

Kが下宿先にくるまでは、御嬢さんの気持ちは先生にあったと思われます。

その後Kが現れ、生活の中に徐々にKが馴染み、いつしか御嬢さんの気持ちは「K」に移っていったと思われます。

先生が大学から下宿先に帰ってきた時、先生の扉を開ける音に気付いた御嬢さんはKとの楽しそうな会話を止める。

御嬢さんも無意識のうちに、先生からの恋心を感じており、また御嬢さんも好意を寄せていた。

しかし、いつの間にかKの存在も御嬢さんのこころに入ってきた。

考えたら、これは全て素直な御嬢さんの反応です。

終始、私はこの小説を読んで、ここに登場する女性、御嬢さんもふくめ、奥さんも恋愛に少し鈍いのではないかと感じました。

しかし、女性たちは、言葉に出さずとも感覚として解っていたのではないでしょうか。

ただ、女性の気持は、その時の気持ち、具体的には「先生」に対して、「K」に対して、その都度々、感じ、考えながら行動できるものではないのか?

この作品の中で、先生の女性に対しての見方が書かれていると感じた部分がございますので引用いたします。

御嬢さんの態度になると、知ってわざと遣るのか、知ならいで無邪気に遣るのか、其所の区別が一寸判然しない点がありました。

若い女として御嬢さんは思慮に富んだ方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。

「こころ」(三十四) 新潮文庫版P262より引用いたしました。

ここは先生の意見であって、感じた御嬢さん、もしくは若い女に対しての部分です。

この小説を読んで、御嬢さんは、先生、K、どちらなどと気持ちをはっきりとさせず、小説を繰り返し読み返すと、ただ単純にその時に感じていた御嬢さんの素直な気持ちで先生とKに接していた気もします。

御嬢さんの気持ちは、先生が御嬢さんに対して一途に考える一方、

先生の気持ちとは逆に、移り気であって、定まっていなかったように感じます。

ある意味、それは、御嬢さん自身の自分の異性に対しての好奇心が素直で、そして先生ほどの異性への嫉妬心はなかったでしょうか。

現代風に言いますと、恋をしている相手へ対しての感情の「重さ」の違いでしょうか。

先生の手紙を読むところでは、御嬢さんの気持ちは「K」があらわれたことで、少しずつこころの比重が無意識のうちに「K」に移っていった。

男性としてではなく、もしかしら人間としての興味だったのだろうかと感じます。

先生いわく、Kは、精進する人間、禁欲、恋の感情ですらいけないものと言っているような人物でしたので、先生とは違った意味で、人としての興味をKに対して持ったのかもしれません。

御嬢さんとKが二人でどのような会話をしていたのか小説の中ではでてきません。

想像するに、哲学の話など、御嬢さんの知らない、難しい世界の話をしていたような気もします。

Kの考える精進、禁欲の世界というのは、御嬢さんにとっては好奇心として聞く価値があったものなのかもしれません。

御嬢さんも、そして母親の奥さんも、どちらかと言えば、性格は能天気で、興味のおもむくままに、素直に、こころの赴くままに人に接していたのではないかと、

人物を比較するなら、先生やKよりもさっぱりとした人間であった気がします。

ただ、この小説を読み返すと、ところどころ、御嬢さん、奥さんは何か含みをもって先生と過ごしていた気もするので、やはり人のこころは不思議なところです。

ただ、先生の勘が正しければ、Kの気持ちを御嬢さんが聞けば喜んだであろうと思いますし、

御嬢さんはその気持ちを知っていたのか、Kがいなくなってからは、確かめるすべはありません。

先生の長い手紙から、Kと奥さんとの恋について、先生は様々な後悔を抱いていることを感じます。

御嬢さんが、では、結局先生とK、どちらが幸せだったかについて、ここの結論は難しいのですが、あくまでここも個人的な意見ですと、

御嬢さんとしては、先生と結ばれて良かったのではないかと最終的に思います。

あとからきたKは、当時の御嬢さんの生活で知る男性関係のなかで先生とは違い興味深い存在だったのは確か、かと思います。

ただ、長い目でみた場合の御嬢さんの幸せを考えますと、

Kはそもそも恋をするという時点で悩み苦しんでいた。

Kのいう精進の部分です。

もうひとつ、Kが居なくなってから、先生との生活で御嬢さんは大きな不満もなく生活してこれた。

ですので、御嬢さんは、御嬢さんが真相をしらないまま生きていたのですから先生との結婚で幸せだったと思います。

ただ、先生は最後に大きな過ちをもう一度してしまったと感じたのです。

私への独白があったとしても、やはり最後まで御嬢さんと一緒にいてやることはできなかったのか、御嬢さんへの愛があるのであればと考えました。

最後の先生の行動もまた、御嬢さんの気持ちを無視した人間のエゴであれば、再び先生の気持ちだけを通してしまいました。

大切なこころの真相を隠されたままだった部分は唯一にして、最も大きな御嬢さんの不幸です。

恋は性欲に分類されるのだろうか、どんな欲なのだろうか

恋は、人間に必要な生存欲なのだろうかと、考えることがあります。

食欲、睡眠欲、性欲、三大欲求。

性欲は、子孫を残すため。自身のDNAを残すため。

DNAなんて最近の話だと思うのですが、

昔からあるわかりきっていること、食が無ければ飢え死にする。眠らなければ健康を侵し精神を壊す。

では、恋、愛がないとしたら。

先生がとった行動も、御嬢さんに対しての恋の気持ちが性欲というのであれば、生存に対しての防衛本能だったのかもしれないと考えるのです。

御嬢さんに対する気持ちは、肉とは違うと手紙に書かれておりました。

純粋で信仰心に近いような気持ちと表現されておりました。

そういった意味では恋よりも、愛だったのでしょうか。

最初は恋でしだいに愛に変わっていったのかと。

先生の御嬢さんに対しての気持ちは、Kを自殺に追い込んでまでも、御嬢さんへの愛を保った。

この表現が正しいのか少し難しいのですが、「人間としての理性」はKのこころにあったと感じます。

欲を断って生きた部分です。

きっと、先生はいつまでも、Kのこころを知っていたのにとってしまった行動、人間のこころを超えた本能(性欲)で自分を守った行動、(愛、恋の部分での性欲と例えました。)

先生が本能に従いとってしまった行動に目を向けることで、出てくる苦しみ、

その絶望で最後に、先生も、Kと同じように命を断ちます。

御嬢さんの幸せを考えた時に、果たして、御嬢さんは、先生と、Kと、どちらと結ばれるのが幸せだったのであろうか?

考えてしまいます。

御嬢さんについて、「こころ」感想 まとめ 先生の愛の潔癖さ

きっと、答えは、先生の取り戻せない過去なのだと考えました。

さきほど、引用した、先生が考える女性の側面を引用しましたが、女性のこころといいますか、人間のこころも正直よくわからないところがたくさんあるのです。

それを、この小説に出てくる登場人物は、先生もKも、答えをだそうと苦しみます。

先生にせよ、Kにせよ、

生きる意味でしょうか、人を愛する意味でしょうか、恋をする意味でしょうか、

そんなの簡単にはわからないのです。

ただ、それでも考えるのが人なのですから、また不思議です。

もしかしたら、Kが死ななければ、Kが御嬢さんと結ばれていれば幸せだったかもしれない。

先生の色々な考えのなかに、ひとつこの気持ちがあったのではないか。

若い自分のあのときは、ひとりの女性をものにする為の必死なこころ、嫉妬心、独占欲、抑えることができないこころがあったが、時を経過しあの時を振り返って、

しかし、もう、検証するすべは当然ない。

ただ、御嬢さんの幸せの、可能性のひとつだったことは大いにある。

先生は、それをもう確かめることはできないだろう。

Kを自殺へ追い込んでしまった先生の背徳感、厭世的なこころを「私」宛の「手紙」で残した気もしますが、

一方でどこまでも純粋に、御嬢さんを愛していたこころを長い手紙で綴っていたようにも感じました。

それは、もう取り戻せないこと、だった。

御嬢さんにもうひとつあったであろう、生き方、Kと御嬢さんの未来を先生が断ち切った。

Kと結婚していれば、御嬢さんはもっと、幸せだったのではないか、取り戻せない、もうひとつの御嬢さんの人生について、

先生のこころだけ、エゴを通した自身に対しての嫌悪感とともに、御嬢さんに対する愛の潔癖さを感じました。

あくまで、個人的な意見ですが、先生が奥さんに御嬢さんとの結婚を切り出した時点で御嬢さんの気持ちは、Kにあった。

ただ、奥さんを通して、先生のお嬢さんに対する気持ちをあらためて知ったお嬢さんの気持ちは、先生にいった。

それは、先ほども書きましたが、この小説での御嬢さんは素直なままに二人と接していた。

Kにこころがあった御嬢さんの気持ちを、先生自身が動かしてしまったところにも、先生が人間の持つ、恋愛感情を嫌悪してしまったところだったのではないかと感じます。

「こころ」読書感想、まとめになります。

読み返すたびに、人の恋、愛についての真相はわからなくなり、とても複雑で繊細なひとの「こころ」を表現した小説だと感じました。

あとがき

時代による心の豊かさというようなことを以前、別の記事で書きましたが、これが100年以上も前の人の気持ちであるならば、今の時代とあまりかわらないことだと感じます。

何が、文豪の作品で、純文学かという意味、

少し考えましたが、その時の時代背景に左右されない、ひとつの人間の生態学(うまい例えがみつかりません)、真実を記録した作品がいわゆる名作と呼ばれるものなのだろうかと思いました。

ある、ひとつの恋が人間の性欲に分類される本能であるならば、

それに抗っ(あらがった)た、先生とKは不幸になるしかなかっただろうかと考えました。

お腹が減り何かを口にしなくては人が生きていけないように、体が疲れたら人は眠らなければいけないように、

恋愛感情も、ひとつの人間の生存欲であったのだと、それを否定してしまった結果、人はこころを失い死んでしまうのか、

そう考える小説でした。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

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