さだまった場所なんて無いのだろう「天国はまだ遠く」あらすじと感想

瀬尾まいこさんの小説、「天国はまだ遠く」を読書しました。

この作品、疲れてしまった時に読みたい、ぴったりな作品でした。

183ページ、薄めの単行本です。

スッと読み切れるので、心がほんとうに疲れている時に読めるように、長さを設計して書かれたのでしょうか、

ちょうど良い長さでした。

文体もやさしくて、読み終わったあとの感覚も素敵でした。

ひとが住む場所とはなんだろうかと考えた小説


※この記事にはネタバレがございます。

小説「天国はまだ遠く」あらすじ

短大を卒業後、保険会社に就職し営業職で働いた千鶴、

会社、人間関係、なにもかもに疲れ絶望し、睡眠薬で自殺することを決めます。

見知らぬ山奥、集落の民宿へたどり着きます。

小説のなかでは、鳥取や京都の奥の方、北の日本海側と書かれております。

巻末のあとがきに丹後とあるので、京都の上、日本海側、その近辺だと思われます。

季節は冬になる前、晩秋ちかくです。

適当にタクシーの運転手に案内されて辿り着いた民宿、民宿と言ってよいのか、お客さんもいない宿、

辿り着いた夜、千鶴は睡眠薬を14錠服薬しこの世と別れを告げますが、薬の量が少ないのか、あっけなく失敗します。

生き延びながら、千鶴はその民宿の主人、ひとりで自給自足のような生活をしている男性の田村さんや田舎の生活、景色、都会とは違う日常に出会い、静かな生活のなかで自分を見つめなおし、主人公の千鶴は再生していく物語でした。

 

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田舎の癒しとは、ずっといる場所なのか

疲れた時に、田舎へたどりつく、田舎の景色を知ることで、人はふだん生活する都会の日常から離れ、別の世界を知るのだと。

田舎というのは、あらためて考えると不思議な場所です。

都会の満員電車、超高層のビルの群れ、汚い空気、平たんな地形、あげたらキリがない都会の息苦しさ、

せわしなく動く毎日の中で、当たり前ですが同じ時間で、遠い場所にちゃんと存在する静かな場所がある。

日常から離れて、山がたくさんある田舎の景色を知ると、ずっと同じ時間、ずっとここに、この場所は存在していたのだろうか、と、感じることがあります。

都会で、ものすごい速さで過ぎ去る日常とは違った時間が、あまりにもゆっくりで、同じ日本なのだろうか、と

決して田舎を馬鹿にしているわけではなく、

人が大勢集まり、何を目的で息づいているのかわからない都会よりも、ずっとコンパクトでシンプルな側面を感じる土地の気は、果たして同じ時間の流れの中に存在する場所なのだろうかと考えてしまうことがあります。

都会の生活で疲れた人間が田舎で再生するお話というのは、けっこうありますし、実際の体験として、私もそうです。

田舎の、ひっそりと静かな雰囲気が好きなので、この小説はどんどん主人公の千鶴に共感をし、田舎の生活の面白さも同時に読みながら感じました。

絶望した人間が行きつく辺鄙な集落でも、案外、人はどこでも生きることができて、本人が思っている以上に適応力もあって、いやむしろ馴染んでしまって、

例えば、小さな集落の民宿で自殺に失敗した千鶴は、その土地の食べ物のおいしさを、情報も交通も少ない場所でも暮らせる順応力を、自然の中での生活を知ることで気づいていくのだろうか、と感じた部分があります。

そして、しだいに回復し最終的には、田舎から旅立つことを決めた千鶴、

私なら、どうして、なにもかも平和で、なにもかも平穏で、あなたが今まで暮らしていた場所よりもずっと安全な場所なはずなのに、

どうして出ていくのだろうかとそう感じる結末なのですが、

案外、田舎暮らしというのは、そういうものなのかもしれない、と、

千鶴にとって、丹後の集落で暮らした21日、

自殺未遂の人間が21日で心を再生できるなんて、と、私は少し考えもしました。

彼女にとって、丹後は、いったん思考を現実から切り離して、ふだんの生活と切り離された異次元のような空間に無理やりもってくることで、

千鶴にとっては、死ぬために訪れた場所でしたが、結果的に心が緊急避難できた場所だったのだと思います。

ここから抜け出すのにはパワーがいる。だけど、気づいたのなら行かなくてはいけない。今行かないと、また決心が緩む。そして、私はやるべきことがないのを知りながら、ここでただ生きるだけに時間を使うことになってしまう。それは心地よいけど、だめだ。温かい所にいてはだめだ。私はまだ若い。この地で悟るのはまだ早い。私は私の日常をちゃんと作っていかなくちゃいけない。まだ、何かをしなくちゃいけない。もう休むのはおしまいだ。

「天国はまだ遠く」P170から引用いたしました。

旅立つか、とどまるか、

引用した部分に記載もありますが、「若さ」という部分なのかと、23歳という若さの千鶴ですら、旅立つのにはパワーがいると書いてあります。

千鶴が居たのは、21日間、たった3週間です。そう考えると、3週間は田舎の時間ではずいぶんと長いのだろうか、

東京にいれば3週間なんてあっという間ですが、

千鶴にとっての丹後の集落の3週間は、心を再生できた時間でもあり、一方で、それ以上いたらもう再び旅立てない、長くも短くもなく、ギリギリの時間だったのだろうと感じます。

千鶴は、休むのはおしまいと理解し、再び都会で生きる力を取り戻し、そして向き合う決心をつけた。

私は、このあいだ、長野の方へ6日間ほどいたのですが、好きな場所でも、千鶴と同じように、なにか、それ以上いてはいけないという気持ちが確かにあったのです。

なぜ、田舎の方へ訪れた人間は、同じようなことを考えるのだろう・・・、少し不思議に思いました。

私は千鶴みたく若くはありません。

田舎はやはり不思議な場所です。

都心や街と同じ時間軸のなかで確かに存在し、人は生活をしている。

しかし、別の場所から来た者からすると、そこは異世界のようなところなのではないかと考えました。

田舎を訪れて、今までの生活に戻ると、遠く離れ、訪れた場所も人も、まるで思い出じたいが蜃気楼のような不思議な感覚があります。

私であれば、千鶴みたく若くないので3週間いたら、その地に居座ることを決めてしまいそうです。

実際にもう都心で思い残したことはないというのが、正直な心境でして、

ですので、ゆっくり余生を過ごしても良いかなと思ってしまいそうです。

個人的なことですが、都会の刺激を欲する気持ちは、だいぶ遠いところに置いてきてしまったなと思っております。

「天国はまだ遠く」は、疲れた人が読めば、田舎へ行ってみようかなと思え、そして再生しよう、そう思える作品であり、

ああ、もう、だめだと思ってしまったら、田舎にいってもいいやと、そんな心の逃げ場があることも教えてくれる、けっして、今いる所だけがあなたの場所ではないと、そう伝えてくれる作品でした。

 

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その土地が好きになれば美味しく感じる、その地の食事

「天国はまだ遠く」で描写される食事のシーンについて少し感想を書きます。

小説の中では、質素で新鮮な食べ物の美味しさに千鶴が気づく描写が所どころありました。

以下、引用・抜粋いたします。

「あれ、硬いんですね」

私は鶏肉を口に入れて驚いた。すごく弾力があるのだ。すぐには噛み切れず、何度も口の中で咀嚼しなくてはいけなかった。

鶏肉でも魚でも新鮮なものはほんのり甘い。

塩や柚子のおかげでその甘さが、ちゃんとわかる。

鶏肉の味がゆっくり身体に伝わった。

「天国はまだ遠く」P131、P132から引用・抜粋いたしました。

(引用の部分は少し長くなるので、抜粋させていただきました。)

ファーストフードなどで食べるチキンより、よっぽど美味しそうな鶏肉の表現です。

鶏肉も鮮度、飼育の仕方でこんなにも食感が違うのかと読んで知ります。

よく口にする、脂肪がたくさんの柔らかいブロイラーと違い、ふだんから綺麗に管理されたケージの中で走り回っている鶏は身が締まって歯ごたえがあるだと知りました。

民宿の主人、田村さんが絞めた新鮮な鶏肉でした。

他にも、この小説に出てくる、畑の野菜やら、果物、近くの海で採れた魚、蕎麦、

生きる為に食事をし、丹後の集落で口にした食べ物たちが小説の中で出てきます。

都会暮らしだと、これでは質素で物足りないと思う人もいるかもしれません。

都会の生活が好きで、ファーストフードの味が大好きな人であれば、千鶴のように美味しいと感じなかったかもしれません。

この小説での食は、田舎の食の新鮮さを表現する部分もありますが、(実際に美味しいと思いますが、)

その地の食の美味しさに気づくことで、丹後の生活を受け入れていった千鶴の姿を伝えたかったのだと思います。

自然に近い形で育った食を口にしたことで、千鶴の体と、そして心の細胞が入れ替わっていったのだと感じました。

まとめ、人がその地にいる理由とは

「天国はまだ遠く」は人がその地にいる理由についても考える作品となりました。

以下の引用の部分が印象に残りました。

都会に戻ったからって、するべきことがあるわけじゃない。やりたいこともない。存在の意義なんて結局どこへ行ったって、わからないのかもしれない。

「天国はまだ遠く」P169より引用いたしました。

 

結局、答えはないのかもしれません。

 

千鶴は、自分の若さとこれからの人生を見つめなおし、直観として理解し、離れることを決めたのだと、

そこには、21日前は自殺しようとしたであろう、人生のどん底のような気持ちもまた待っているとわかった上での旅立ちであると感じます。

しかし、千鶴の旅立つ先は、どん底ばかりではなく、例えばこの先、結婚や出産、喜びも混ざった未来を、都会の地で少しは想像できたのでしょうか、

もしくは、田舎にいても、千鶴は千鶴であって、どんな暮らしでも落ち込むことはあり、大好きになった小さな集落の地で、また同じように人生のどん底を味わう気もしたのでしょうか、

それだったら、いっそう好きな場所は好きな思い出のままでと思ったのでしょうか、

どちらにしても、どんな結論にしても、

 

きっと千鶴は都会に戻り、ちゃんとやっていけたとしても、

またいつか、21日前と同じように、人生に疲れ、くじけ、死にたいと思うようなことがあったとしても、

 

その時は、また、丹後の小さな集落へ戻ってくれば良いのだ、と、

 

心の居場所を見つけただけでも、今までの生き方よりずっと世界は広がったはずだと思うのです。

現世を捨てた、田舎の素敵な部分を小説の描写から感じるとともに、

どこに住んだとしても千鶴は千鶴であり、そして、それは誰にも言えることなのかもしれないと、

そんなことも考える小説でした。

「天国はまだ遠く」、読後の感想になりました。

読んでいただきまして、ありがとうございました。

 
追記:こういった田舎で再生し東京へ戻るという物語を知ると、じゃあ今抱えている不安というのは、場所を変えて、環境を変えても無くなるのは一時的なものなのだろうかと、考えることもありますし、でも、それは経験してみないとわからないことなのだろうかと、
 
大好きだと思った所も、もしかしたら思っていたよりも違った、その逆もあったりと色々考える面白い小説でした。
 

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