この記事には物語の内容を含みネタバレがあります。閲覧にご注意ください。
最終話「旅路の果て」にでてくる、結末が書かれてない小説、『ガラスちゃん』について個人的に感じた部分は記事の最後、まとめに書いてあります。
※記事が長くなってしまいました。まとめから読む場合は、下のもくじ、「現代っ子、引きこもりの萌(もえ)の真実、闇落ちしたヒロインに待っていたものは、「旅路の果て」について」(ここをクリックで移動します)から進んでいただければと思います。(ネタバレ注意です。)
もくじ
「物語のおわり」(湊かなえさん著)読書感想になります
湊かなえさんの作品、「物語のおわり」を読書いたしました。
読書後の感想文になります。
まず、この作品「物語のおわり」を読み終わるまでにかなり時間がかかりました。
読み始めたのが6月の中旬、長野に行く新幹線の中でした。
いちばんはじめの章、作家の夢を持つ若い女性、絵美(えみ)の話、「空の彼方」を読み、途中で読書がとまりやっと先日読み終わりました。
この物語は8話あります。
普通の単行本の長さでして、1冊合計357ページでしたので特に長い小説ではありません。
ですが、8話それぞれに北海道を旅する人々が登場する小説でして、
ふだん私が読む本よりも登場人物が多かったせいでしょうか、各話のお話が濃くて、まるで8冊読んだかのような気持ちになりました。
この小説「物語のおわり」のメインの舞台、北海道を長い間めぐり、ようやく旅が終わったような感覚でした。
「物語のおわり」は8話の物語があります。
物語の内容は、作家を夢見る若い女性、絵美の私小説、手記にもとれる「空の彼方」からはじまります。
「あらすじ」 全8話の物語 それぞれの持った夢への気持ち
若くして物を書くのが好きだった絵美(えみ)、要塞のような山々に囲まれた田舎の土地で、実家のパン屋を手伝い成長していきます。(小説の最後に山陰という表現がありました。)
そして、高校の時にパン屋に訪れたハムさん(公一郎)と出会い恋に落ちる。(※ハムさんというあだ名は絵美が彼の名をまだ知らなかった頃、ハムさんが毎朝、絵美の実家のパン屋に訪れハムサンド、ハムロールを買っており、まだ彼の名前の知らない絵美が勝手にハムさんと呼んでおりました。)
ハムさんが北海道の大学を終えて、教師になって地元に戻ってきた時、20歳のときに、絵美はハムさんと結婚します。
おなじ頃、夢だった小説について、ある経緯で東京に住む有名な作家の目に作品がとまり、弟子入りの話がでます。
将来の約束がない作家になるなんてと親から反対され、もちろん結婚相手のハムさんも賛成してくれません。
それでも、どうしてもと夢を追い上京しようと向かった駅でハムさんがあらわれて作家の夢が途絶える。
「空の彼方」の主人公、絵美の私小説のような手記はここで終わっております。
この小説「物語のおわり」の全体を通して感じたところは、いつか見ていたそれぞれの夢、もしくは夢に対して持つそれぞれの感情を北海道の舞台とともに旅をしながら考える物語でした。
特に、最初のお話「空の彼方」の絵美、作家に憧れて夢に向かおうとした時に結婚相手から阻まれ夢をあきらめる。
人が持つ夢に対しての人間模様が面白く、しかし実際にありえる(もしくはそう想像できる)形で表現されておりました。
たくさんこの小説については感想を書きたいところがあるのですが、ただ、この本が何について書かれていたのかを一番わかりやすく感じた部分が、個人的にはこの一文かと感じました。
以下、引用いたします。
夢を追い求める人、夢をあきらめる人、夢を手助けする人、夢を妨害する人
「物語のおわり」P342より引用いたしました。
「物語のおわり」は夢に対して関わる人々を様々な角度で描いておりました。
誰にでもあてはまる部分が必ずあるはずです。
誰かは、多くの人が笑うような夢物語な夢を追っている人かもしれません。
一方、誰かはいつかの夢をそのまま、夢のままとして心に閉じ込めて今を生きている人かもしません。
または、夢叶わず、それでも他の誰かの夢を応援する人かもしれません。
もしくは、その人の本意でなくとも、ひとつの固定概念や嫉妬などにとらわれ、自分にはできない夢追い人を妨害してしまう人かもしれません。
この物語は、誰もが持っているそれぞれの「夢」についての捉え方、考え方、さまざまな登場人物の角度から話が描かれていて面白いのです。
以下、簡単に各話の登場人物のおさらいも含めて記載します。「」はタイトル、そのあとに各話、物語の主人公の名前になります。
「空の彼方」 絵美(えみ)・・・文章を書くのが好きな若い女性。ある作品が、東京の作家先生の目にとまる。結婚したばかりの夫、ハムさんに内緒で、上京をしようとするが駅にハムさんがあらわれる。(物語の最後でも、実際の絵美は、まだ実家のパン屋を営んでいるので夢をとめられたと思われる。)
「過去へ未来へ」 智子(ともこ)・・・二十年前、家族できた北海道をフェリーで目指す。父はその後すぐ病気で亡くなる。時を経て智子は結婚し子供を授かるが自身も父と同じ病にかかる。お腹にいる子を産むか産まないか、葛藤の末結論をだした智子。そして、いつか父と乗ったフェリーで北海道へ旅に出る。
「花咲く丘」拓(たく)・・・幼い頃の家族写真の一枚、拓は写真が撮るのがうまかった。写真家をめざしていた拓だが末っ子として実家のかまぼこ屋を継ぐことになる。北海道を車で旅をする。絵美の小説を読んで、渾身の一枚について、写真を撮ることの意味について答えを見出す。
「ワインディグ・ロード」 綾(あや)・・・大学生、小説を書くことを夢みる。好きな自転車で北海道を旅する。おなじく作家を目指す彼がいたが、綾の書いた作品を彼からこき下ろされ、あげく就職の内定(テレビ番組制作会社)に嫉妬さる。彼との別れの分岐点で綾は北海道を再び訪れる。
「時を超えて」 木水(きみず)・・・二十歳の娘を持つ男性。バイク、スズキのカタナで大学生の時にきた北海道を再び旅をする。娘は映画の特殊メイクをする仕事に就きたいと願っていた。木水は父の立場として娘を心配し、娘の夢を否定してしまった。木水は自分のしたいことを犠牲にして娘、家族の為にだけに役場で働いてきた人生を旅先で振り返る。
「湖上の花火」あかね・・・40歳を超えた女性、独身、子供の頃の貧しさから必死に勉強をしてきた努力家。証券会社へ就職しキャリアウーマンとして働いてきた。北海道大学の時に知り合った彼(修)は、脚本家を目指していた。30歳を過ぎてしまい、彼の夢を否定してしまったあかね。仕事に疲れ体調を壊しやすんでいたある時、昔の彼の名前をインターネットで検索し出てきたものは・・・。もう一度、むかし脚本家を目指していた彼と出会った北海道を旅する。
「街の灯り」 ハムさん(公一郎)・・・年をとったハムさん、学校の先生は今では非常勤として働いて現役を引退している。大学時代の同級生の退職記念のパーティに参加するため札幌を訪れる。パーティーで旧友から渡された「空の彼方」で妻の私小説の存在をはじめて知る。そして、自身がかつて教師という身でありながら、孫の萌(もえ)はある理由で学校を休み引きこもりになっていた。
「旅路の果て」 萌(もえ)・・・「空の彼方」を書いた絵美の孫であり、ハムさんの孫。中学生。萌も小説家を目指していた。学校のパソコン部で出会った麻奈(まな)もおなじ物書きを目指していた。パソコン部でこっそりと仲良くなる二人。しかし、あることをきっかけに萌は麻奈の物書きとしての夢を奪ってしまう。引きこもりになった夏休み、おばあちゃんの絵美と北海道旅行に二人で出かける。萌えはおばあちゃん(絵美)の書いた小説「空の彼方」を「過去へ未来へ」で出会った智子にフェリーで渡した人物でもあった。
以上が各話のあらすじです。
物語を通して絵美が書いた私小説「空の彼方」が各旅人に渡されていきます。
私は後半の「湖上の花火」あたりから一気に面白くなりました。
「湖上の花火」のあかねは、脚本家をめざす彼(修)と大学の時に出会い、約10年付き合いました。時間は経過しますが、なかなか修の脚本家としての才能の芽が出ず、いつか彼の夢を否定し別れます。
でもあきらめなかった修、40歳を過ぎて仕事で体調を壊し時間を持て余したあかねが、ふと彼の名前をネットで検索するのです。
そこで出てきた検索結果、彼はひとつのドラマの脚本を手掛けていました。
金曜ワイド劇場「洞爺湖殺人事件・どさん子刑事大石三津五郎」、視聴率なんてたいしたことない作品でした。
しかしそのドラマの中でのあるひとつの台詞(セリフ)、メッセージ、「日本一の刑事」というフレーズ。
「日本一」というのは、いつか、あかねと彼氏だった修が二人で北海道を旅した時に出会った「日本一の坂」という看板の先にあった、「日本一」という名のおそば屋さんのことでした。
坂道が日本一ではなく、お店の名前だったのかと二人で笑い、いつかそのエピソードを修が脚本で使おうと話していたことでした。
一瞬で蘇る記憶。フラッシュバックしたであろう会話。
彼の昔の約束、ずっと夢とあかねとの坂道のエピソードを大切にしていたことをドラマのなかで知ったあかねは涙を流す。
この描写はほんとうに好きなところでした。読んでいて、もう、一緒に涙が出てきてしまいます。
そして、修が脚本した「洞爺湖殺人事件・どさん子刑事大石三津五郎」の原作者、『すずらん特急』という名の原作者は誰だったのでしょうか!?
少し話がそれましたが、旅をするなかで「空の彼方」が各話の主人公に受け継がれて読まれます。
その主人公なりの「空の彼方」の結末の解釈があるのが面白いですね。
人それぞれ「夢」に対しての戸惑いに、旅のなかで答えを見つける物語でもありました
ちなみに、「湖上の花火」のあかねから、「街の灯り」のハムさんへ小説「空の彼方」が受け継がれる経緯ですが、ハムさんへ「空の彼方」を渡したのが北海道の大学時代の友達、清原でした。あかねの恩師は、ハムさんの旧友であり、大学の教授になった清原だと思われます。
恩師、清原の退職記念パーティーへ訪れるついでに、一泊多く仕事の休みをとり、先に思い出の地である洞爺湖を訪れ「空の彼方」にめぐり会います。
スポンサーリンク
物を書くということでも、興味深く読めたストーリーでした
「物語のおわり」、このお話の最終的な主人公は、この小説で冒頭に登場する私小説「空の彼方」を書いた絵美、
そして最後の章「旅路の果て」に登場する絵美の孫、中学生の萌(もえ)の二人だと思います。
若い頃の絵美、そしてリアルで今の時代を生きる孫の萌、二人とも小説家、物書きを目指しておりました。
この小説の中では、「物を書く」「夢にする」というキーワードで考えるとたくさん考えるところがありました。
書いた文章を人に見せる気持ち、投稿する勇気、読まれた時の喜び、それを本業にする意思、人に話すと否定されるのではないかという恐怖、実際に否定される人物、否定された人の心象。
特に最後の、絵美の孫である萌の話、「旅路の果て」が面白かったです。
物を書くことでの大切さについて触れられている部分は、最後の「旅路の果て」につながって行きました。
現代っ子、引きこもりの萌(もえ)の真実、闇落ちしたヒロインに待っていたものは、「旅路の果て」について
「旅路の果て」が今の世の中では、ほんとうにありそうなリアルな物語に感じ、そして「物語のおわり」全体の展開としても素敵な最終話でした。
「旅路の果て」の主人公、萌(もえ)の闇落ちが、胸に突き刺さるお話でした。
この小説のはじめは、山に囲まれた田舎で、交通も不便なおそらく今から50年くらい前の時代の絵美、
そして最後は、孫である、萌の生きるパソコンやスマートフォンがある現代に、時代背景が変わります。
中学生の萌(もえ)は部活仲間の麻奈(まな)がいじめられるのを目の当たりにし、学校の人間関係が嫌いになり、不登校になる。
はじめは、萌(もえ)本人は加害者でも被害者でもなく、傍観者、
ただクラスメイトで同じ部活だったパソコン部の麻奈(まな)がいじめられているのを見るのがイヤで不登校になったという話でした。
ここの事実、隠された真実が面白い物語でした。
いじめにあっていた部活の同級生、少し地味な子、麻奈(まな)。
麻奈も、萌と同じように、小説家を目指し文章を書くことが好きな子でした。
萌はネット上にある小説投稿サイト「夢工房」で『ガラスちゃん』という素人が投稿をする連載小説を楽しみにしておりました。
その作品はじめてファンコメントを投稿した作品でもありました。
ある時、麻奈と萌はお互いが小説を書いていることを知ります。
そしていつか文章を見せ合う、完成したら見せ合うという秘密の協定のようなものを二人で結びます。
スクールカーストでは1番のグループだった萌、
一方、麻奈は地味で大人しいクラスメイトと一緒にいるような子でした。
時が経過し、お互いの小説が出来上がり、書いたものを見せ合う時がきます。
実は、萌が連載を楽しみにしていた小説投稿サイトの作品、『ガラスちゃん』を執筆していたのがクラスメイトで地味な子、麻奈でした。
原稿を渡されたタイトルには『ガラスちゃん』の文字が・・・、
投稿サイトで更新を楽しみにしていた、大好きな『ガラスちゃん』を書いていたのがすぐ近くにいた麻奈だったことをはじめて萌は知ります。
同じパソコン部でしたが、スクールカーストでは麻奈より上にいた萌、いままで麻奈に対して萌は意識の優越感があったのですが、小説を書くという同じ立場で圧倒的な実力の差を感じてしまいます。
心のどこかで萌にはない、麻奈の持っている才能に嫉妬をしてしまっておりました。
そして事件は、萌の友達だった、おなじカースト上位の女子チームの子、バスケ部のリーダー的存在の瑠伽(るか)が惚れていたパソコン部の男子が、ある時、同じパソコン部の麻奈に告白したのですが、麻奈はその告白を断ったのです。
麻奈が瑠伽が密かに好きだった男子の告白を断ったことが、クラスに広まります。(断られた男子がそのことを言いふらしました。)
そんな状況の時に、萌は瑠伽から同じパソコン部だった麻奈のことについて聞かれます。
そして、萌は、つい麻奈の小説投稿サイトのことを話してしまいます。
これが「つい」ではなく、萌(もえ)の心の奥底にある嫉妬という気持ちが作用した「確信」だったというところに人間の恐ろしさと、持ってしまう闇を感じた部分でした。
大好きだった小説を書いていた人が実は身近にいた人だった。
大好きという気持ちが、嫉妬に変わり、そして、人の夢を奪ってしまうほどの狂気にかわってしまう。
小説の萌は狂気な行動でなく、無意識に近い状態で麻奈を傷つけてしまいますが、そんな無意識で行ってしまうところも、じゅうぶん怖い人間心理です。
いち小説、物語のお話ですが、こういうことは私たちの生活でもあることで、麻奈の小説投稿サイトのことをクラスメイトの瑠伽に話すことで萌は、麻奈がどうなるか頭のどこかで感じていたはずです。
瑠伽(るか)が好きだった男子の告白を断った麻奈、
瑠伽の心理は、カースト上位の目線での嫉妬、ねたみ、なぜあんな地味な子が私の好きな人の告白を断るのか、そして告白の相手がなぜ瑠伽でなかったのか、
色々な優越感を砕かれたのでしょうか、人間の持つ感情の恐ろしい部分です。
それから麻奈の投稿サイトは当然、萌の話から見破られるわけで、小説の投稿サイトに悪意のコメントが書かれるようになります。
そして学校でもいじめ。
麻奈は学校に来なくなり、投稿サイト上で他の作品と書籍化を競っていた『ガラスちゃん』も落選し、ライバル小説に負けさんざんな結末になってしまいました。
萌(もえ)は、麻奈の小説投稿サイトのことを瑠伽に話してしまった自分に対して憎悪し、不登校になる。
これが萌の引きこもりの真実でした。
麻奈の夢を無意識の嫉妬で潰してしまった罪悪感。
萌だって小説家になりたかったのにどうしてそんなことをしてしまったのか、
この小説はほんとうに面白いです。
誰もが夢を見て、そして持つ権利がある、だけど夢をもつ誰もが、誰かの夢を奪うこともある。
萌(もえ)のおじいちゃんにあたる「ハムさん」だって、若い頃の萌のおばあちゃん、「絵美」が作家になるため上京しようとする駅で絵美を待ち伏せた。
最初の絵美のお話「空の彼方」から様々な物語を通り、最後は孫の萌の物語、「旅路の果て」に繋がっているこの小説のストーリーは良くできていると感じました。
そして、闇落ちしてしまった萌(もえ)に救いを与えたのが、いつか夫であるハムさんに夢を奪われたであろう、おばあちゃんの絵美でした。
家族にも不登校の本当の理由を話していなかった萌、
おばあちゃんである絵美と二人、北海道の旅先で真実を語ります。
おばあちゃんは、孫の萌が何かを心の中に持っている(隠している)ことに気づいておりました。
だから引きこもってしまった萌を北海道の旅へ連れ出したのでしょう。
本を読むのが好きだった萌(もえ)は、不登校になったある日、おばあちゃんの私小説「空の彼方」をおじいちゃん(ハムさん)の書斎の本棚から偶然見つけます。
おばあちゃんと二人旅の中、いつか小説家の夢を否定されてしまったおばあちゃんに、夢を奪われた気持ちについて尋ねます。
果たして、おばあちゃんの真実は、どうだったのでしょうか。(ここはあえて省かせていただきました。)
おばあちゃんは、萌と話します。
萌が抱えた闇を振り払う方法について、
萌が不登校になり、引きこもってしまった理由。
この先、ずっと「萌」の軸で考えるのか、それとも小説家の夢を折ってしまった「麻奈」の軸で考えるのか。
「萌」の軸でこの先を考えることは楽です。
萌がこれからどれだけ傷つかないように生きればいいか、痛いことから逃げれるひとつの方法は閉じこもることです。
引きこもっていた方が確かに、簡単だったかもしれません。
でも、もうひとつの楽になる道がありました。
少し苦しいのですが。
「麻奈」の軸で萌の視点から考えることでした。
そんな考え方を、おばあちゃんである絵美は、孫の萌と旅先の景色を見ながら会話の中でヒントを与え、萌に考えさせました。
そして、その答えが「物語のおわり」に書いてありました。
以下、引用になります。
「あたしは・・・・・・、麻奈に謝らなきゃいけないと思う。それで・・・・・・、誰がなんと言おうとあたしは『ガラスちゃん』がとてもおもしろかったことを伝えたい。また、新しい作品を書いて、ってお願いする。楽しみにしている人がたくさんいるから、とか、麻奈の才能がもったいないから、とかじゃない。あたしが読みたいから書いてください、って頼む・・・・・・。どうやって?」
「物語のおわり」P347から引用いたしました。
萌の行ったことは無意識でも、大好きな小説『ガラスちゃん』を書いた麻奈の夢を奪ったことはこの先ずっと、このままでは消し去ることができない。
萌がずっと、麻奈のことについて決着をつけずに生きていったら、ずっと引きこもったままだったかもしれません。
じゃあ、どうするのか、
先ほど引用した萌の気持ちは、萌(もえ)自身、自分を助けるためにも、そして夢を奪ってしまった麻奈の為にもできる唯一の答えだったのではないでしょうか。
物を書く、万人に受けるよりも誰かの為に書くことができたら、書き手はそれはどれだけ嬉しいことだろうか。
広く、浅く、なんとなく、雰囲気で面白いこと、万人受けした読み物、そんな文章にどれくらいの価値があるのだろうか、
文章を書くのって怖い、誰が読んでいるかわからないから、いつだって書きながらどこかで何かがつっかかる。
でも、ある唯一の人が喜んでくれるのであれば、どんなことでも書けて、そして何も怖くない。
きっと文章だけでなく、物をつくる何かってこんなひとつの大切な気持ちだけで良くて、そして、実は、それが真実だったりするのではないだろうか。
きっと誰かひとりの人へでも書けること、そのたった一人というのが実はその他大勢いるどんな顔も知れない人よりも唯一無二の最強な文章なのではないだろうか。
そう、読みながら思ったのです。
これがこの小説「物語のおわり」そして、「空の彼方」の私なりの結末です。
おばちゃんの絵美が書いた私小説「空の彼方」をはじめて他の人に渡したのは、萌が、北海道旅行の行きのフェリーで出会う「過去へ未来へ」の人物、智子でした。
智子の手に渡った「空の彼方」は、最後は、「街の灯り」のお話で、絵美の若い頃の小説家の夢を奪ったであろう「ハムさん」こと旦那さんの手に渡ります。
小説だって、歌だって、メロディーだって、歌詞だって、詩だって、映画だって、ドラマだって、もしくは木彫りの作品だって、もともとはあの人に伝えたいという、たったひとつの気持ちだったりして、そして、それが唯一無二の最強なものなのではないだろうかと、この小説を読んでそう私は感じたのでした。
物を書く、ブログだってそうです。
誰かひとりのために届けばよい。
そんな書く基本をあらためて気づき、そして夢についてたくさんのメッセージを感じた「物語のおわり」でした。
ブログを書くことが怖くなったら、この作品を読み直そう、きっとまた何かヒントを教えてもらえるそう感じた作品でした。
麻奈の書いた小説『ガラスちゃん』について(まとめになります)
最後に、もうひとつ、この作品のなかで、「空の彼方」以外に出てくる、麻奈の書いた小説、
『ガラスちゃん』について少し触れてこの記事を終わりにいたします。
『ガラスちゃん』の物語は、登場する主人公(エマ)がある時、七つのパーツに分かれたガラスの体、ガラス人間されてしまうところからお話がはじまります。(実際にはガラスのように見えない)
そして、毎日ひとつ「誰かのためになる行い」をすれば、ガラスのパーツの体は壊れない。もしできなければ、毎日一回、零時の判定で七つに分かれたガラスの体のパーツがひとつ割れる。
一週間過ぎた時に、ひとつでも体のパーツが残っていれば元の人間に戻れるが、もし全部割れてしまったら死んでしまう。
そのようなストーリーでした。
『ガラスちゃん』の最初の章で、主人公がなぜ、良いことをしても右手パーツが割れてしまったのか、それが一章、おそらく一週間のうちの一日目、合計7章の作品だったと想像できますが、それが何故だったのか小説の中で記載されておりませんでした。
これは私が勝手に想像した結末なのですが、他者の為ですとか、意識して良いことをしようとして行ったことは、結局は、他人を利用した自分の為であってほんとうの善ではないと、
そんなメッセージを伝える内容だったのではないかと考えました。(すごく漠然とした言い方、ありきたりな推測ですみません。)
小説『ガラスちゃん』の伝えたいメッセージは、苦しんでいる誰かが心から欲することに、ガラス人間にされてしまった人自らが切実に考え、そして苦しんでしまった人を救う作品だったのではないかと思います。
この物語でいうと、小説を書く夢を奪ってしまった麻奈に対して、萌がほんとうにしてあげれること、
麻奈の小説を読むのが楽しくて、でも自分より実力があって嫉妬してしまったこと、クラスメイトに書いている人が誰かを伝えてしまったこと、
全てを話し、萌が麻奈を救うこと、そしてもう一度、麻奈に小説を書く力を与えることだったのではないかと考えました。
ガラス人間は萌(もえ)だったのかもしれません。
『ガラスちゃん』の最終章で書かれた内容は、読み手であった萌の迷いを救い、そして小説を書いた麻奈も救いに導く、そのようなメッセージが込められた物語だったのではないでしょうか。(『ガラスちゃん』についての細かい「物語のおわり」はありませんでした。)
麻奈にとっては、つらい出来事だったと思いますが、きっともっと、これから麻奈の書く小説に深みがでるような、そんな経験になったのではないかと考えます。
「物語のおわり」を最後まで読み感じたことですが、きっと誰かひとりが救われて、誰かひとりが喜んでくれて、それが物を書く、文章を書くことのひとつの答えではないかと、そんなことも『ガラスちゃん』のストーリーを想像し考える小説でもありました。
この小説の解釈は「物語のおわり」に登場する人物が絵美の書いた「空の彼方」を読んで、それぞれの答えを見つけたように、「物語のおわり」を読んだ人なりの解釈、「物語のおわり」があるはずだと、そう考える一冊です。
湊かなえさんの小説、「物語のおわり」の感想になりました。
こんなに素敵な作品に出会えたことに感謝いたします。(『ガラスちゃん』の結末がとても気になった作品でした。)
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
あとがき
うちの田舎のおばちゃんも、よく私が春休み、夏休み、冬休みと一人で田舎へ行けるとき、田舎に帰るたびに毎日どこかに連れて行ってくれました。
一人で田舎に住んでいたおばあちゃんなので車もなかったのですが、それでもバスに揺られ、時にはバスもなく、とてつもない距離を歩きながら色んな風景を見た記憶を思い出します。
私も、中学の時は引きこもりではなかったのですが、学校でのいじめでなどでおとなしい子だったと思います。
どこか元気がない孫に何かを伝えるために、絵美おばあちゃんのように、私を外に連れ出したのでしょうか。
いつも田舎には、現実逃避するように訪れていたなと感じます。
高い山々に囲まれた場所が、東京の嫌な喧騒から守ってくれるような安心感が好きでした。
おばあちゃんは、足が悪くならないためだとか言っておりましたが、私を外に連れ出したのは、景色をみせて何か感じてほしいということもあったのかもしれません。
東京ではどこもいけなかったなというか、まったく思い出がなかったなと考えると、いつかそんな田舎の綺麗な景色をみせてくれたおばあちゃんにはありがとう、という気持ちになります。
そして中学一年の夏休みに書いた、歴史の授業の宿題で、歴史新聞みたいなものを書いたのですが、それを田舎に持って行った記憶も思い出しました。
まだ中学生であった私は文章なんて自分の言葉で書けずに、ほとんど、みた本の内容をパクっただけでしたが、おばあちゃんは良く書けたねと言ってくれて、私の知らない、早く死んでしまったおじいちゃんのいる仏壇にその歴史新聞をしまっていたことを思い出します。
今、思い返せば、どんな文章でもほめてくれて、それはとてもとても嬉しいことでした。(もうすでにその歴史新聞の行方は不明です。)
追記:「物語のおわり」は古本屋さんで買ったのを読んだのですが、中には栞の代わりなのか前の持ち主が入れたと思われる新千歳空港行きの飛行機のチケットが本にはさまっておりました。北海道へ旅をする前に読むにはちょうど良い小説かもしれません。いつか北海道に行くことがあればこの小説をまた読み直そうかなと思います。
コメントを残す