W杯2018年が終わりました。
決勝が終わってないので正確にいうとまだ終わっておりませんが4年に一度みるものとしては、ベルギー戦の敗戦で終わりを告げたと言っても過言でありません。
スポーツに関してはどちらかといいますと野球脳でして、サッカーについては最近はそんなに詳しくありません。
昔は夢中になってみたのですが、日本がW杯常連となり、けっこう強くなってからは強豪国との対戦も新鮮味がなくなり真剣にみるのはW杯の時となってしまいました。
野球はふだんもけっこうみますので「野球脳からの2018W杯」みたいな感じで考察をできればと思います。
とうとうアニメ、小説、歌詞などを飛び越えてスポーツの考察となってしまいました。
たまには、別のことも、ということで、真剣なサッカーファンの方は真面目にみないことをおすすめいたします。
こんな感想もあるんだなくらいで読んでいただくと、とてもありがたいです。
それでは感想・考察を書かせていただきます。
もくじ
決勝がまだ終わっておりませんが4年に一度の感想になります
さきほどお伝えしましたが、
真剣にいつもサッカーをみているわけではないので、そのことをあらかじめお伝えしておきます。
あくまでも素人目線です。
4年に一度の祭典は面白かったです。
開催前の監督の交代など、色々と話題が豊富なW杯でしたが、大きく騒がれた場面、ポーランド戦終盤のパス回しと、ベルギー戦での逆転負けを許したことについて、書いてみます。
ポーランド戦のパス回しについて
0-1で負けていた時点でのパス回しについて、
これについて、いち素人目線で考えたことになります。
何事も失敗から学ぶことがあると思うのですが、この終盤のパス回しというのは、過去の日本の戦い、経験から生まれた出来事なのではないかと考えた部分があります。
はじめは、パス回しで0-1のまま終わって、決勝トーナメントに進んだ結果は、戦う姿勢もふくめ少し納得できなかったのですが、後から思い浮かんだこと、
「ドーハの悲劇」が1993年ですので25年前の話ですか、
2-1でイラクにリードをしていて、そのまま勝てばW杯に初出場という試合がありました。
よく日本のサッカーは、〇〇の悲劇、〇〇の奇跡、〇〇の歓喜、などと謳われますが一番インパクトがあったのが「ドーハの悲劇」だったのではないでしょうか、
もうほぼ手中にしていた初めてのW杯でしたが、後半ロスタイムに相手に同点ゴールを許し出場権を逃す。
これは日本サッカーにとってはそうとう強烈な出来事だったと思います。
サッカーの戦いに限らず、スポーツの戦い方、戦術は過去の経験から生まれる気がします。
スポーツに限らず、人の生き方でも同じようなところがあります。
失敗しないとわからないところですね。
ポーランド戦の後半のパス回しって、「ドーハの悲劇」から生まれた副産物だったのではないでしょうか?
このままのスコアで流せば、次のステージへ進めるという事実。
セネガル対コロンビアの結果しだいという他力本願であったかもしれませんが、これ以上試合を動かす怖さを知った経験の上での判断だった気がしてならないのですね。
このまま0-1で負けても次に進むための究極の選択、というのが負けていても攻めないパス回しになった。
仮に攻めてカウンターにあい、追加点を奪われることを考えると、あと少しで次のステージを逃した過去の経験が指揮官、ベンチもふくめ、日本人の意識の中に強烈に残っていたのではないでしょうか?
それは25年前のことであっても。
開催前に監督が変わりましたが、これがフランス人指揮官だったら同じことをしたのかなと考えます。
ドーハの悲劇とおなじく、1994年アメリカW杯予選ではフランスも「パリの悲劇」という終了間際、ブルガリアにゴールを許し出場を逃したらしいのですが、日本人がそれをきいて同情はできますが、どれくらい切実だったかはあまりピンときません。フランスはW杯にすでに出てますしね。
同じくフランス人指揮官がドーハの悲劇の切実さを知っていたかというと難しいところです。
ポーランド戦終盤のパス回というのは、ドーハの悲劇を知っている日本人指揮官だから判断できた究極の選択だった気が終わったあとからしてきました。
あの状況でドーハの経験だけを意識した判断ではないと思いますが、終了間際にゴールを許すことで次へ進めなかったという記憶がどこかでつながっていたのではないかと感じます。
それだけ次のステージに進む難しさ、どうしても次にいきたいという気持ちだったのかと思います。(親善試合ではなく16強での試合は経験値も全く異なると思います。)
ベルギー戦での逆転負けについて
なかば勝利を確信する2-0のスコアをひっくり返されるという出来事もありました。
これについては8強の壁を3度目にしても破れなかった悔しさというのが残りました。
これも素人目で感じたところですが、もともと2-0の展開になるというのが予想できてなかったのではないかと感じました。
はじまる前に考え得る予想としてパッと思い浮かぶのが、
前半で0-1でリードを許す。(もしくは0-2)
前半で0-0の同点。(もしくは1-1)
前半で1-0で先制。
後半で0-1のリードを許す。
後半で1-0で先制をする。
などなどです。
後半のはやい段階で2-0のスコアになるシュミレーションがなかったのではないか、
ベルギーも2点を先制され選手を交代し、なりふり構わずパワープレーで攻めてきました。
途中、相手は8番の身長194cmの選手が入りましたね。
あきらかに身長差がありました。
あの高さめがけて中にとりあえずボールを入れられるだけで守備は大変だったはずです。
日本がリードして後半終盤を迎えるパターンもあり得て、ベルギーのパワープレーも想像できていたはずですが2-0のスコアがあまりに早すぎてどう試合をコントロールして良いのか、全体がはっきりしてなかったような気がします。
どちらかというと、後半日本がリードされて、日本の方がパワープレーで攻めるというゲームプランの方があったのではないでしょうか。
ポーランド戦の後半のパス回しが過去の経験からどうやって試合を運んでよいのか、強烈な過去のできごとから(ドーハの悲劇)無意識下で判断できたとすれば、ベルギー戦は、強豪相手にリードをしてパワープレーを受けるという過去の経験がなかったのではないと感じました。
今回、8強の壁を3度目にして崩せなかった。
1度目は2002年、相手に先制を許す。
2度目は2010年、スコアレスドローでのPK戦。
3度目は、はじめてリードをする。真剣勝負の舞台でリードをし、そのまま相手をかわす経験がなかった。
見ていて、そのような気がしました。
今後について感じたところ、打ち合いの展開について
真剣勝負での打ち合いで日本が勝ったイメージがあまりないので今後について、少し気になりました。
2013年のコンフェデ杯、イタリア戦での3-4。
2017年リオ五輪、ナイジェリア戦での4-5。
真剣勝負の舞台で、日本と打ち合いになった際は対戦国は日本に打ち勝てるのではないかとのイメージができてしまったら、今後、同じような展開の試合があった際に難しい部分があるのかなと感じました。
野球好き目線でのW杯 感想 まとめになります
ポーランド戦、ベルギー戦での感想、まとめになります。
サッカーにあまり詳しくない目線で色々語り失礼いたしました。
かつてサッカーに詳しい方に、日本のサッカーはなんでゴールエリアに近づくとボールを外に回して、ゴールからどんどん離れるのか聞いたことがありましたが、「もしそれでも、中に入っていくことができれば世界レベルで無敵になる」というようなことを聞いたことがあります。
あとは、「日本は攻めているように見えるけど、攻めさせられている」というのも、なるほどって感じた部分です。
さて、野球目線でと言いながら、野球の話がここまでなかったのですが、
4年に一度のサッカーを見て、感じたところ。
それは、見る側も4年に一度だから、なかなか今回のように8強の壁を突破できないのではないかと感じるところもありました。
これがいわゆる国民レベルでのスポーツ文化というところを思うのですが、
そもそも野球も今、人気があるかわからないので国民的スポーツと言えるかは難しいのですが、それでも野球に関していうと人それぞれが好きなチームの監督のようなところがある気がするのですね。(あくまで個人的な意見です。)
野球の試合の流れを読むというのは、それは子供の頃といいますか、物心ついた時からの共通認識のような気がします。(野球好きの中だけでの話です。)
スポーツをやる人も観る人も同じ根底にあるそのスポーツに対しての戦術、試合の流れを読む力。
試合の流れ、戦術というのは国によって違うものだと思います。
それが「スポーツ文化」というような気がするのです。
例えばですが、野球でいうと、次に投げる球がストライクになるかボールになるか、一球で試合の流れが変わる空気、そんな感覚が競技している選手も観ている観客もわかり、会場の空気として伝わる。
あとは例えば、日本人的野球観でいうと、「ここはランナーを送るだろう」などそんな部分です。
なので会場全体の雰囲気が選手、観客一体となり、より濃い空気になる。
観客も試合の流れがわかっているので、それが選手に伝わり、高いレベルの空気になる。
子供の頃からある共通認識が、スポーツとしての文化、強さ、共通した戦術の理解になるのではないかと考えるところです。
それを、ではサッカーで例えると、ここが押しどころ、ここが守りどころというような、無意識下で試合の流れを読む、スポーツ文化レベルでの国の共通認識、経験というがやはり少ないのではないかと正直、感じたのです。
国の共通認識というと先ほどのドーハの悲劇ではないですが、ロスタイムでゴールを許し次のステージの道を断たれる。
そのような過去の強烈な経験が国民の意識レベルであったので、なりふり構わず、今回のようなポーランド戦の戦術がとれた。他の国からなんと言われようとも、過去の経験があったのでそういった戦術をやり切ることができた。
じゃあ、ベルギー戦は、
ノックアウト形式の真剣勝負で2-0というスコアでリードした経験がなかったのではないか?
国際試合に限らず、大切な試合で国民レベルで思い出せる同じような過去の経験がなかったのではないか?
これがもしかしたら、国民の多くが子供の頃から外国のように高いレベルの試合を地元チームの応援をしながら見ていたとしたら、2-0で逃げ切る国民全体の共通認識、戦術、無意識の中でもこうすればという全体の共通した試合運びがあったのではないかと感じたりしました。
2-0でリードした際に、3点目をとりにいくのか、守り切るのか、全体として意思統一がはっきりしてないようにみていて感じました。(攻めるのか守るのか、それともバランスなのか、難しい選択だとは思いますが)
そういった意味では今回の結果というは、何事も経験なのではないかと感じます。
2-0から逆転された、これは強烈な経験として多くの人の無意識の中にも残ったのではないでしょうか。
あと次に8強をめざす中で今まで経験したことがないシチュエーションってなんだろうって考えました。
予想外の展開・・・。
あとは、日本がコロンビアのように試合途中に退場者を出して数的不利になったりすることでしょうか?
どちらにしても25年前のドーハの経験がポーランド戦のパス回しにつながったのであれば、ベルギー戦の経験もいつかの未来のW杯に生きるのだろうと、そう思うのでした。
強烈な経験だからこそ、次につながるではないかと感じるのでした。
野球好きによる、素人目線での2018年W杯の感想になりました。
結構ながくなってしまいましたが、たまにはスポーツでもと、いうことで書いてみました。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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