成瀬順の叫びとは!?アニメ「心が叫びたがってるんだ。」ネタバレ感想

成瀬 順(なるせ じゅん)は何を叫びたかったのか

アニメ映画「心が叫びたがってるんだ。」の感想になります。

※この記事は、物語のあらすじ、ネタバレを含みます。閲覧にご注意ください。
(記事がだいぶ長くなりましたので胸やけにご注意ください。飛ばし読みをおすすめです。)

「心が叫びたがってるんだ。」、通称「ここさけ」、埼玉県秩父市と横瀬町が舞台の高校生の青春群像劇です。

秩父は意外と都内からも近いイメージで池袋から特急で1時間半くらいの距離です。子供の頃に何回か、特急のレッドアロー号で秩父に連れられていった思い出があります。

もともとは明るく、夢見がちで、おしゃべりだった主人公の成瀬順(なるせじゅん)は、幼少時に受けた父親の一言で話せなくなってしまいます。

「言葉」が人を傷つけると思ってしまった順は、言葉を失ったまま成長し、物語は、順が高校生になった時点から進みます。

最終的に、順は過去、親から与えられた理不尽な一言によって受けた傷(トラウマ)を克服し、乗り越え、「叫ぶ」のですが、この映画をみながら思った、主人公の順(じゅん)は何を叫びたかったのか、というところも少し考えてみました。

 

順は、幼く純粋な感情をもった時期に、父親の一言をきっかけに「玉子の妖精」による、魔法の刷り込みによって、心の中から湧き上がる気持ちを、声に出すことができずに、閉じ込めるようになってしまいます。

「言葉が人を傷つける」と思ってしまうのです。

この映画をみて、最初に感じたところは、話すことの怖さでした。

話すことについては、素直に思ったことを口に出せないところがあったりします。

多くの人も常々、思ったことを口にすることは、そんなにないでしょうか。

私の場合、少し考えながら話してしまうところ、例えば、いちいち、この言葉は相手に対して傷つけてしまうだろうか、もしくは迷惑かけてないだろうか、などと、実際はそんなに細かく考えている時間はないのですが、考えながら話し、結局、言葉につまる時があったりします。

あとは、話したあとで、言ったことに対して、後々、考えてしまったりなどです。

話すことが少し怖かったりするんですね。

そして、「心が叫びたがってるんだ。」を観て、ヒロインの成瀬順から感じた、ほんとうの言葉を叫ぶ勇気とは、という部分も含めて、この映画の感想を書かせていただければと思います。

普段、日常で言葉にすることの難しさ(あらすじ)

主人公の成瀬順(なるせじゅん)が幼少時に玉子の妖精に出会い、声を発せなくなる。

きっかけは父親の一言、

順は心と声を閉じ込めて、話さなくなる。

物語の序盤は「たまご」がキーワードになります。

心も声も殻に閉じ込めるという間接的な表現が「たまご」の王子の登場であったり、順の父がお城から女性と出てきたことを母親に話す場面も、「たまご焼き」で口をふさぎ、もう二度としゃべってはだめだと母に言われる描写があります。

順のおしゃべりによって、浮気がばれたことを「全部お前のせいじゃないか」と順に言い放つ父親ですが、これほど悪い父親といいますか登場人物は、アニメ映画ではめずらしい気もしました。

それでもリアルな、生々しさを感じる登場人物でした。

物語の最後に改心し、順に贖罪する、もしくは、父を通して娘へ謝る、傷をケアする描写がなく、順の父は、ただ順のトラウマを生み出すだけの役割でした。

 

「心が叫びたがってるんだ。」から感じたところ、本心を伝える勇気、言葉の難しさ、繊細さを順という主人公を通して考える作品となりました。

「地域ふれあい交流会」(通称、ふれ交)の実行委員に選ばれた4人を中心に物語が進みます。

物語のおさらいになりますが、主な登場人物は4人です。

成瀬 順(なるせ じゅん) 主人公、ヒロイン、子供の頃の出来事を引きずり声を発せなくなる。

坂上 拓実(さかがみ たくみ)順が心を開き、恋心を抱く王子様的な存在となる。

仁藤 菜月(にとう なつき)もう一人のヒロイン、優等生で坂上君の元交際相手。

田崎 大樹(たさき だいき)野球部の元エースだが甲子園を逃し、肘も痛めて、同時に心に傷も負っている。

「地域ふれあい交流会」(通称、ふれ交)の実行委員は、担任の城嶋先生「しまっちょ」から強制的に選ばれた4人になります。

成瀬順の言葉を発せない、という状況はすごく極端な描写ですが、誰でも、言葉を選んで、話すことをためらうことはないだろうか、そう考える映画でした。

この映画は、「言葉」の難しさですが、言葉を発する側も、言葉を受ける側も、傷つけ、傷ついたりする、繊細な部分も考えます。

言葉について、誰にどんな影響を与えるのかというのは、ふだん強く意識することはありません。

その都度考えていたら何も発せなくなり、人間が持っている話すという、他の動物にはないコミュニケーションの方法を否定することにもなります。

ただ、人間というのは、色々と感じ、考える生き物でして、ふだん、息を吸う、吐くと同じくらいあたり前の行為、この映画ですと、「言葉を発すること」さえ、時にできなくなったりします。

正直、順が深刻に考えているほど、言葉で人を傷つける出来事はそうそうないと思いますが、

ただ、順には、過去のトラウマが強く影響してどうしてもできないのですね。

「誰にでもあるのだろうか?」と考えてしまいます。

話すというあたり前の行為ができない苦しみを持つことです。

少なくとも、そんなあたり前の行為を、過去、親から傷つけられた順が、自分の力で、そして出会った人間を通して、克服していく「勇気」というのをこの物語からもらいました。

 

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順の描かれる葛藤、そして登場人物の言葉についての葛藤

物語序盤で、順は「見られた。心の中を見られた。」と言うところがあります。

心の中を見られること、思っていることを人に知られるという行為が、人を、そして自分自身も傷つけるという考えに至って、順はずっと苦しんできた。

順は、過去のひとつの出来事にずっと囚われて苦しむ。

ひとことの怖さと、大切さを考える作品でした。

この物語では、登場する人物の「囚われた気持ち」の描写が他にもありました。

例えば、順の母親ですが、順の母親もずっと、過去、順に放ったひとことで、囚われてきました。

保険の外交員として働き、たまたま顧客先だった、順の同級生、おなじ「ふれ交」の実行委員、坂上君のおばあちゃんに、娘の順について語っていた部分ですが「明るくて、おしゃべりなんでしょう、いつもお友達と長電話して電話代がすごいって」

これが、母親の見栄というか、コンプレックスというのか、母親自身の「言葉」で順を話せなくさせたのに、自分の放った言葉で、順の母親自身もずっと苦しむのですね。

因果応報といえばそれまでですが、

父親の「おまえのせいだ」、母親の「あなたがおしゃべりだから」という、もう理不尽極まりないひとことで、ずっと順は苦しみ、そして言い放った本人、とくに母親も苦しむ描写があります。

言葉の、何気ない、重さ、怖さを考える序盤でした。

もう何も話さない方が誰も傷つかないという、順の気持ちにも共感してしまいます。

なにげない言葉の描写は、ふれ公の実行委員の集まりがおわった後に、仁藤 菜月(にとう なつき)、順と、坂上君の三人が、たまたま野球部の話を聞く場面にもあります。

ここで、肘が壊れたもう4人目の「ふれ交」の実行委員、田崎君のことを、「ぽんこつ」だと野球部員が集まって言う陰口をたまたま聞いてしまうのですが、菜月は、「言いたいことあるんなら、はっきり言えばいいのに」と言います。

この時に、菜月(なつき)の台詞に順は反応しました。順の閉じ込めていた心に対しての揺らぎ、ほんとうは話したい気持ちがあることを感じます。

ちなみに、恋の話という視点で考えると、「言いたいことあるんなら、はっきり言えばいいのに」という台詞は、同じくその場に一緒にいた坂上君に対しても無意識で放った気持ちだったのでしょうか。

何気ない一言の恐ろしさと怖さ(順の母親について)

話が前後してしまいますが、先に、順の母親についてお話しておきます。

この映画に登場する大人というのは、まあひどいと感じます。

最後の場面も「ふれ交」のミュージカルを観に来た母親ですが、順が登場せず、「やっぱりだめなんじゃない」と順を信じること、認めることができない母親の描写、順を気の毒に感じてしまう場面でした。

ここで思い出した私のことなのですが、私は、かつて受験でなんとか受かりまして、その時に合格を母親に報告したのですが、素面(しらふ)の時は、喜んでくれたのですね。

それは喜んでいたフリだったのでしょうが、

しかし、うちの母は当時、お酒に溺れてまして、酔い潰れ、酩酊状態でひとこと「〇〇なんて頭悪い大学ふざけんな」的なことを言い放ったのですね。

泥酔状態なので、それが意図的なのか、お酒の力を借りないと私に言えなかったのか、わかりませんが、「なんでそんなこと言うのかな・・・」と正直あの時は感じたところです。

親としては、さんざん育てたのにという想いから、心が酒浸りたかったのでしょうか、

少し、聞きたくない叫びでした。

これは今まで受けたなかで、思い出すとかなり気持ちが沈む、印象に残った言葉でして、さあこれから新しい学校だって時にこの一言でへこんだところもありまして、(弱くて申し訳ないです・・・)

しかもおそらく本人は覚えてないのに、言われた言葉なので、なおさら傷つきまして、

お酒の力を使って、人に本心は言ってはダメだと、たとえ思ったとしても、ちゃんと意識があってはっきりと伝えてほしかったものだと思ったできごとでした。

個人的には頑張ったつもりだったんですけど、結果より過程を認めてほしいものでした。

しかし、今、良い学校は、あまり意味ない世の中と感じるのですが、

例え、良いと定義される学校に行ったとしても、今はどうしていただろうかと、おそらく、今の生き方は、あまり変わらなかったような気がします。

安定、結果、そういう部分を期待しても、応えられず、どんなにすごい条件、環境を与えられても、たぶん私は、今の私のままなのだろうなと思うところです。

学歴社会という価値観に縛られてしまった母も、ある意味被害者だったのかもしれません。

親の抱く期待というのは、子供の幸せを願った表裏一体の難しい感情なのかなと思います。

時に、それは、子供を傷つける感情にもなり得るのだと、それは本人が意図しないでもです。

そんな過去を思い出しつつ、この映画に出てくる順の母親も、今まで生きてきた中で近しい感情をいだく登場人物でした。

順の母親も、言葉を失った順に対して、子供への期待、幸せを願っていたのだと思います。

色々な想いが強いと、人の感情は変な方向に行ってしまうと感じます。

親の子に対する感情というは、時として、言葉も含めて難しいのですが、期待と例えれば良いのか、それが間違った方向にいくと、親子関係は深みにはまりますね。

この映画は、話すこと、順を受け入れこと、ありのままの人を受け入れることの重要性、それが正しい愛情ではないのか、というのを考える一面もありました。

親子でもありますが、親は親、子供は子供で、自由にありのままに、切り離して、さらっとそれぞれ生きることがお互いの幸せなのではないかと考えるところでもあります。

ミュージカルを通して、順は言いたかった気持ちを母親へ伝えることができた。

傷つけた気持ちを母親は知り、自身の「言葉」の重さについても気づいた部分は救いがあり良かったです。

順の母親も、何気ない「言葉」の一言で子供がこんなに苦しむとは思ってなかった部分もありまして、母、娘ともお互いに苦しい親子関係を感じる物語でした。

ひとことで言うと「全て父親が悪い」のですが、順の父親の不義密通については、この物語で考える本質の部分ではない気がしまして、あくまで言葉の部分について考えてしまいます。

冒頭にしか登場しなかった父親も、どこかで改心し、せめて順が経験した苦しみを知り、いつか順と話せる時がくればと思いましたが、そうするとお話として出来すぎでしょうか、

話を物語に戻しますが、順は、徐々に、坂上君や菜月、田崎君などと通じ言葉を取り戻そうとしていきます。

 

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少しずつ順が、自己開示していくところの場面

話すことが苦しいながらも、それでも、順は、坂上君と携帯を通して会話するようになります。

父親の不義密通(浮気)の件、

「歌ってみるのもありなんじゃね。」と、順に対し理解を示し、考えてみたら、子供の時のあの日以来、順がはじめて心を開くことができたのが坂上君だったのではないかと思います。

心を許せた存在ですから、王子様であって、恋心も抱いてしまいます。

子供の頃からですと、おそらく十年以上、順はずっと言葉を捨てて、一人で孤独だったのですから。

言葉の部分で、一言の重さきましたが、坂上君が順に対して「歌ってみるのもありなんじゃね」と順へ言い放ちますが、逆に、

こんどは、坂上君の何気ない一言によって順が、言葉を取り戻すこと、まだその時点では話すことができないのですが、歌という方法でプラスの方向へ導くことができたのです。

伝えたいこと、たまごにささげようとリビングで横になって歌う「言葉をささげよう」という順の言葉に対して前向きになる姿勢に変わっていく姿が好きでした。

言葉について、しだいに物語に入ってくる田崎君も、

ホームルームで、

順のことを「ほんとうのことを言う、使えないやつ」と最初はいやな奴ですが、あとあと味方になります。

順は田崎君の言葉に対して、「私はやれるよ、不安はあるけどきっとできる」と歌で気持ちを伝えました。

やはり、苦しみを抱えながらも、前を向く、順の姿に、勇気をもらえるのです。

 

「順」が伝えたかったことってなんだろうか?

順の綺麗な歌声について、坂上君菜月(なつき)が話す場面、「俺も言いたいのにいえないこととかやっぱあるから」

ここは、菜月に言いたかった恋心の部分になりますが、

この物語については、順もふくめた登場人物の4人は言えない気持ちをそれぞれ抱えています。

順の存在、物語において役割を考えましたが、

「言いたいことが言えない」という気持ちを抱えた登場人物をふくめ、それは、映画を観ている私たちもふくめた誰にでもある感情、究極の形、存在だったのではないかと。

登場人物の誰しもが、言いたいことを言えずに抱えて生きている。

それは、私たちの生活でも考えてみればよくあることですが、

青春群像劇でありますので、「言えないこと」というのが、それぞれの恋模様を描いたり、順の母親も含めて、誰にでも持ちうる感情なのではないかと、順の姿を通して間接的に感じました。

順は、少しずつでも変わろうとしますし、家にきた町内会の集金にでたりするのですが、

それでも、母親は「しゃべらない子でうわさになっている」と、また、言ってしまうのですね。

これは、もう、主人公の順に同情するしかないというか、ほんとうに毒親でしかないんじゃないかと考えてしまう描写です。

そんな母親に対しても、最後はミュージカルを通して閉じていた心を伝えようとするところも素敵な部分です。

せめて、母と娘で気持ちが通じて良かったと思います。

この物語から考えた部分ですが、言いたいことを言えないと人は死んでしまうのか?

順が「本当にしゃべりたいこと」とは、なんだったのだろうか?

という部分を私なりに考えてみました。

物語が進むなかで少しずつ、主人公の順が伝えたかったことがわかってきた気がます。

以下になります。(途中の段階で感じた伝えたかったことになります。まだ長くなり最後の方に結論を記載があります。)

①親から過去にもらった理不尽なことに対しての心の苦しみの部分です。

②あたり前にする行動を否定し、話すことで傷つけてしまうという、自分自身にかけてしまった暗示もふくめ、気持ちを表現できずに、究極に何も表現できない苦しみと言葉の怖さになります。

③最後は、「だけど、やはり、人は自分の気持ちを理解してもらいたいという生まれながらの欲求」がある。

まとめるとこうなりました。(長々書きましたが、なんだか普通の感想になり申し訳ありません。)

生まれながらの欲求にフタをしてしまい、ずっと生きてきた順の苦しみを感じます。

坂上君も、傷をもって生きてきた順に触れ、彼女と心を通わすことで、坂上君自身の両親が離婚したという傷を埋めようと、彼も再生しはじめます。

順の台詞から感じたところですが、

「言葉は傷つけるんだから、後悔したってもう、絶対に取り戻せないんだから」これは順が受けた理不尽などうしようもない苦しみへの、とてつもない絶望を伝える気持ちのような気がしました。

確かに言葉は人を傷つけることはありますが、そう思ってしまったらほんとうに何も話せなくなります。

でも、順はほんとうにそう感じて生きてきたんですね。

彼女が父親、母親から学んだとてつもない理不尽な言葉に対して、結論をしたひとつの真実です。

その中でずっと抱えてきた、反抗心、心に抑えてきた気持ちも感じました。

この映画の後半にかけて、見えてきたところ、それは、

「言いたいことがいえない苦しさの物語」と感じました。

順の母親に対して考える部分は、順の母親も配偶者に裏切られ、人を信じられなくなり、苦しみを子供に向けてしまい、母、娘ともに不幸が重なってしまいました。

母親は順の友達の存在を知ったり、順からミュージカルに招待されたり、変わろうとする順に理解をしめそうとしますが、それでも物語の最後、順がミュージカルに登場するまで、心が揺らいでおりました。

「言葉」は難しく、両刃の剣です。

 

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ほんとうのことを言うこと、音楽の存在について

心の何が叫びたかったのだろうか、

もう少し考えてみました。

劇中歌で「Over The Rainbow」を使用するところ、

人それぞれ、心にあっても言えない気持ちがあります。

しかし、ミュージカルにすること、音で気持ちを伝えること、ただストレートな言葉だけではなく、思っていることを伝えてくれる存在が音楽だと感じました。

メロディーから感じる雰囲気、音の強弱、

言葉だけでは、伝えらなものがあるから、色々と形は変われど、ずっと音楽は存在し続け、人は時として音楽に救われる。

それは、歌う人間も、聴く人間も。

「心が叫びたがってるんだ。」以外にも、音楽で、言いたいことを伝えようとする作品はたくさんあります。

それこそ「Over the Rainbow」を歌った「オズの魔法使い」のように、ミュージカル映画はたくさんありまして、最近ですと「SING」などなど、

歌(曲)の威力は、時として言葉を超えます。

「声がでないことで、誤解をまねく、首をはねられることで、言葉が溢れ誤解をとく、

失った言葉が叫びだす、愛していると叫びだす。」

順が言いたかったことは、理不尽な親へ対しての思いだったのでしょうか、それとも、愛を知り、前を向くことができた坂上君に対しての想いだったのでしょうか、

鑑賞しながら、最後は、考えたところでもありますが、

両方の気持ちがあわさっていたのだろうと考えます。

『ピアノソナタ第8番 悲愴』と『Over The Rainbow』を重ねて歌う表現は、

前者の「悲愴」が今まで、順が言葉を閉じ込めて、理不尽に生きてきたことに対して、叫べなかった気持ちで、後者の「Over The Rainbow」が坂上君に対して、恋心を素直に叫べない気持ちで、どちらもほんとうは「叫びたい」と順が心の底から抱いていた気持ちなのではないかと感じた部分です。

(※あくまで音楽を聴いて感じた、個人的な感想です。この映画の内容にあった、生きて行く中での苦しみですとか、青春のほろ苦さ、両方とも感じることができる、とても素晴らしい選曲だと感じました。)

まとめになります「愛していると叫びだす」

徐々に、ハッピーエンドにするというこの物語の描写は、

順の心境の変化であって、現実が変わること、今まで恐れていた事、言葉を発することを少しずつ肯定的に向き合えてきた順の心境だと感じます。

ミュージカルのラストをカットするかどうかのやり取りの部分ですが、

順の言う「何もみてなかった」と、順はただ、自分だけが苦しんでいたと感じ今まで過ごしてきましたが、坂上君達と出会い広がった世界、前を向ける気持ちを知ります。

悲愴をカットし物語を前向きに終わらせようと、順の心境は変化します。

そして、順を通して知った、坂上君の言う「押し込めた気持ちがすごい大事なもん」という気づき。

一番好きなところは、その二人の気持ちがあわさって、

「ピアノソナタ第8番 悲愴」と「Over The Rainbow」をミックスし重ねて歌う編集に変更されたラストでした。

 

この物語から感じたところ、心に正解なんてないいつも変わる。

だから、その時、その瞬間にも変わる。

順が叫びたかったこと、ミュージカルを通して自分史を伝えようとしますが、

ただ、今、思っていることを伝えたい、話したい、単純に今その時の気持ちを言葉にあらわしたかっただけなのではないかと

そして映画のクライマックスの部分になりますが、

しだいに、この映画は、はじめは親からの何気ない一言で傷つき、言葉を失った少女の再生の物語に感じましたが、坂上君と出会って生まれた恋心に対しての青春映画でもありました。

順が恋心を抱いていた坂上君が、もう一人のヒロインの菜月が好きなことを偶然にも聞いてしまう。

やっとミュージカルを通して、言葉を取り戻せそうになった、主人公の成瀬順(なるせじゅん)、

しかし、恋心を寄せていった、坂上君の本心を、偶然知ってしまいます。

結局、また、言葉によって、苦しめられる、

いちど見えそうだったものが、また、遠くなってしまう、

「言葉」に対して、今までよりも、もっともっと感じる絶望、

順にとっては、思っていることを口にしてはいけないという、いつかの暗示が決定的なことになってしまう。

順が歌で取り戻そうとした言葉が再び閉じ込められようとします。

順は、「ふれ交」の、ミュージカル『青春の向う脛』から当日、逃げ出してしまうのですが、

歌えない理由、できない理由が失恋の傷心ではなく、子供の時に暗示をかけた、言葉を発すること、心が叫んでしまうことで、不幸になると再び思いこまなければ、順の失恋も肯定できなくなってしまうのです。

「言葉」を発することの怖さと、もうひとつ、「現実を認める」怖さもこの映画の中のテーマにあるのかなと感じました。

「おしゃべり」のせいにしなければ、失恋をという事実を肯定できない。

しかし、最後は、順と坂上君は本音を言い合います。(順が一方的に言うだけなのですが)

「傷つけていいよ」と坂上君から、受容されること、

順にとっては、言葉を失って以来、そんなことは、はじめてのことではないか、

言葉を放っては、ダメだと思っていたことを肯定されること、

やさしくて卑怯もの

イイカッコしいやろう

嘘つき、いいひとブリッコだ ああいうのが一番たちが悪い

思ったことを言い切ること、

この映画をみてなんとなく感じていた、青春映画というカテゴリーでうまく綺麗に包まれている描写を、ヒロインの成瀬順は言ってくれました。

このシーンで、単純に坂上君への愛の告白だけでは、順がやっと取り戻した言葉の力も薄まってしまう気がしました。

どこか、この映画を見ている人も、順と同じように、坂上君や菜月に感じていた部分があったのではないでしょうか、

映画を観て感じた登場人物への感想も含め、代弁ではありませんが、順は閉じ込めていた気持ちも含めて、言い放ってくれました。

青春映画ですので、当たり前な部分はありますが、坂上君は綺麗すぎる、もうひとりのヒロインの菜月も良くできすぎているといいますか、優等生です。

順が今まで見てきた人物(主に両親)と比べると、眩しいといいますか、少しむず痒いような気持ちを抱いたのは私だけでしょうか、クラスメイトと団結してミュージカルをつくる青春映画の描写も少し苦手でした。

人に対して感じる、黒い心ですとか、それも白い心と一緒に必ず存在するものだと思うのです。

人間は天使のような心だけで生きている訳ではないのです。

悪魔のような黒い心も存在し、うまくバランスをとってなんとか生きているのです。

順は良くも悪くも、感受性が強すぎるのだと思いました。

物語の中の登場人物として、可哀そうな役回りのヒロインでした。

でも、話せなくなるほど過去の心の傷をもったのにも関わらず、最後は、言いたいことをぶちまけた順の勇気に心を揺さぶられました。

私も正直、あまり言いたいことが言えない人間なので、順の言葉を失った過程に考えるところがあるのですが、

順の言い放ったような感情は、誰だって持っているんじゃないかなと、例えばですが、好きな人に対してだって、その人の全てを肯定できるのか、

人間だれしもが、天使なのか、順が叫びたかったことは、理不尽に封じ込めた今までの言葉をミュージカルにのせた部分もありましたが、思っていてもなかなか言えない本音を伝える勇気、心に閉じ込めた気持ちをぶちまける勇気、ながながと書きましたが、私がこの物語の順から感じた、一番言いたかった部分はそのひとつです。

「心が叫びたがってるんだ。」の主人公、成瀬順から感じたまとめになりますが、

人は大人になっていくにつれて、言いたいことを言うのことは、なかなかできなくなります。

意図的に悪い言い方をする人もいますが、難しい部分ですが、大抵の方は「言ってはならない一線」みたいなものを、生きながら学んでいくと思います。

そこを青春群像劇として、言葉にできない恋のもどかしさと、苦しい気持ちを抱えたひとりの少女が、歌を通し、人を通じ、受容されることを覚え、過去のトラウマを克服し、言葉を取り戻した。

そして、言葉を取り戻すのと同時に、心を取り戻す勇気を教えてくれた映画でした。

「言葉」を話すというあたり前のこと、あたり前のことができなくなる怖さ、でも、そのようなことは、生きて行くなかで実際にありうることで、それは、「話す」ことだけではないかもしれません。

この物語は「言葉」を失うがテーマですが、生き方が違えば、人によって失うものは違うかもしれません。

ふだん考えなくてもできていたことを失う、そんなあやういことに簡単に陥る人間ですが、

それでも、勇気をもって、いっけん簡単で、あたり前なことすら怖くてできなくなる人生もあるけれど、それでも人生を切り開いていく勇気を、主人公の成瀬順から感じたのでした。

 

ほんとうに、長い文章となってしまいました。

つらつらと、まとまりなく、長い感想となってしまいました。

最後まで、読んでいただきまして、ありがとうございました。

(完)になります。

 

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