雨の描写から漂う登場人物の心情
「言の葉の庭」の雨の描写が好きです。
鑑賞後に後からジワジワと心に響き、繰り返し観て、はまってしまう作品でした。
「言の葉の庭」の映像は雨の描写がメインですが、こんなに雨の日は美しかったでしょうか、
いや、そんなことはないと思います。
ふだんの日常から感じる雨と、この映画から伝わってくる雨の印象はあまりにも違います。
登場人物のを表すような雨の描写、主人公の秋月孝雄(タカオ)とヒロインの雪野百香里(ユキノ)の心情を雨で表現しています。
物語の最初に雪野が孝雄へむけて伝えた和歌、
物語の最後で孝雄が雪野へ向ける返し歌、
詩的で、美しい描写でした。
昔の人が思い謳った和歌の気持ちは、現代の生活でも、おなじように気持ちが通じるのかと、そう感じるのでした。
とても情緒がある作品ですね。
心も疲れはてた雪野(ユキノ)が孝雄(タカオ)と出会い再生していく物語
雪野は、古典の先生として働く職場などのストレスで味覚障害に苦しむ描写があります。
女生徒からの嫉妬に近い嫌がらせ、
雪野をほんとうに理解してくれているかわからない恋人と思われる存在、
雪野の生活の中で心が悲鳴をあげて、しまいには職場に行けなくなってしまいます。
心も相当病んでしまっていたのでしょう。
そんな雪野の繊細な心情や感情が雨の描写で現れているところが印象的でした。
どこか美しい雨にも感じましたし、どこか心細い雨の雰囲気にも感じました。
そして、どうしようもない、行き場のない心を抱える雪野の憂鬱な心も、雨の描写がよりいっそう引き立てておりました。
27歳の私は 15歳の頃の私より少しも賢くない 私ばっかり ずっと同じ場所にいる
雪野の台詞の中でここが個人的に一番印象に残りました。
私も思ってしまいましたが、同じく、15歳の時の自分と今の自分で何か成長したことがあるだろうか・・・。
何かわかったつもりであっても、それは、ただ、考えが老けただけで、
結局、根本の部分は変わらないまま、今でも生きている部分があるんじゃないかって、
ふと思ってしまったのです。
雪野は孝雄と出会い、夢へと向かう彼の姿をみることによって、よりいっそう15歳の時の雪野と今の雪野を比較してしまい、「ずっと同じ場所にいる」そのような気持ちを抱いたのでしょうか。
物語に話を戻しますが、雪野の中で、出会えた孝雄という存在、
孝雄は雪野の心の中とは対照的に、若くて夢を持っていてその力がみずみずしくて、真っすぐで…。
真っ直ぐで不器用ですが、孝雄という存在は、それは当時、生き方に迷い、人生の歩き方を忘れた雪野にとって、
ある意味、生命力のような感覚を少しずつ思いだし、前に進む気持ちを雪野は孝雄からもらっていたのではないかと感じました。
孝雄の存在が閉塞する雪野の心を救っていたというのは確かだと思います。
お弁当をつくってきてくれたり、靴を自分の力で創ろうとする孝雄、
料理下手など色々なことが不器用な雪野にとって、孝雄は雪野が今までみてきた世界とは別の世界の存在であったのだと感じます。
自身の生きてきた中で、今までとは知らない世界を教えてくれる存在。
もしくは雪野の心がまいってしまって閉じ込められた世界から少しずつでも、再び、歩けるようになるための存在が孝雄だったのではないかと。
孝雄を通して、雪野は心を再生していくきっかけを得たのだと感じました。
おなじく、孝雄も、将来、靴職人になるという夢はいまだ未知の世界ですし、それを職にできるかもわからない、そんな不安を、年上の雪野という女性の存在を通すことで癒しを得ていたのではないかと、そう感じました。
恋愛の力は時に大きなエネルギーで、人の心を支えることができるんだなと感じました。
これが、勤務先の高校の生徒というちょっと禁じ手のようなシチュエーションも秘密をまとっていて好きです。
印象的だった駅の描写
個人的に感じたのは、新海誠監督の作品は、駅のホームの描き方が特徴的だなと思うのです。
「言の葉の庭」ですと、中央線というか、総武線の間のところでしょうか。
駅のアナウンスですとか、構内の案内板の表示ですとか、なぜだか観ていて惹かれてしまうのです。
不特定多数の人が行き交う駅は、いつもさだまった景色ではない場所でして、なんとなく、そのような雰囲気が映像から伝わってくるからでしょうか、
過去に、代々木駅あたりを通勤で使っていたことがありました。
そのせいか、駅の風景も、発車メロディーもとてもリアルに感じました。
過去の作品を観るきっかけとなって まとめになります
「君の名は。」は、とても面白かったです。
それをきっかけにしてこの作品にたどり着く、昔からあったのに知らなかった、この作品に出会えたことに感謝したいです。
「秒速5センチメートル」もあわせて、「言の葉の庭」は「君の名は。」のヒットがなければ知ることができなかった作品になりました。
昔、テレビで流れていた時にチャンネルを止めたのでしたが、途中からみたので、そのままスルーしておりました。
映像が綺麗だなとその時は感じたのですが、ストーリーが入ってこず、あの時の作品が「言の葉の庭」だったのか!とあらためて観て知りました。
終始落ち着いた雰囲気で、雨の中で息づく。
静かで、密やかで、おだやかで、雨のベールがより一層、登場人物の二人の親密度を閉じ込めるような作品でした。
雨の日なのに、光が差し込む感じです。
ふだんの生活で出くわす雨の感じとは違います。
こんな雨の雰囲気は好きです。
そして、年の差も離れた二人がお互いの存在を通して、足りないものを補いあい、それぞれ次へ進んでいく、歩いていく、
「言の葉の庭」は、映像を通して、視覚的、感覚的に物語を感じる作品でした。
梅雨から夏にかけての季節の変化を、美しい映像を通して感じ、「雨」を通して、情緒と、登場人物の心情を感じました。
エンディングの「Rain」を聴くと最後に、涙が溢れ出てくる作品でした。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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