沼田まほかるさんの小説、「ユリゴコロ」を読みました。
今回は、このハラハラ、ドキドキとページをめくった小説「ユリゴコロ」の読書感想文になります。
※「ユリゴコロ」はサスペンス、ミステリー要素の強い小説でしたので、ネタバレ無しで感想を書いてみました。(サラッと核心に触れる部分がありますので、絶対にネタバレは嫌だという方はご注意ください!)
「ユリゴコロ」感想
「ユリゴコロ」は読み進めると、序盤から独特な暗い雰囲気が漂ってくる小説でした。
途中で手記とおぼしきノートが出てくるのですが、そのノートに記載されている内容が正直、少し気持ち悪い内容なのです。
私は、この手の描写は(殺人シーンなど)あまり得意ではありません。
文章を読んでいて、思わず、「痛い・・・」と感じる描写が、ちょくちょく出てくる小説でした。
物語の前半、押し入れから見つかったノートの内容から、後半の物語の真実まで、とても読み応えのあるミステリー小説でした。
ノートの内容が、いったい誰が書いたのか?からはじまり、どんどん謎が深まっていく展開です。
「ユリコゴロ」簡単な、あらすじ
ネタバレが含みますので、簡単に「私的」あらすじ、物語の感じたポイントを記載いたします。
ユリコゴロは父の自宅の押し入れから見つかった4冊のノート、そのタイトルが「ユリコゴロ」でした。
ノートをめくる息子、ユリコゴロに書かれていたのは、小説、それとも手記だったのでしょうか。
生々しく人を殺めた様子が書かれております。
いったい誰が書いたのか?ユリゴコロを見つけた息子は過去の記憶をたどります。
昔、そういえば母が入れ替わったような・・・そんな不思議な記憶、感覚をノートを発見した息子の亮介は少しずつ思い出していきます。
ユリゴコロを読み進めるたびに少しずつ近づく真実とラストへの展開が面白い作品でした。
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物語で感じた部分、罪滅ぼしについて
「ユリゴコロ」を読んで、いちばん最初に浮かんだキーワードは「罪滅ぼし」という言葉でした。
罪滅ぼしという文字は小説の中でも、ところどころ出てきます。
物語のストーリーに触れてしまうので、あまり詳しくは書けませんが、
いつか、人を殺し、ある人へ罪を着せた。
それが巡って、大切な人にふりかかる。
あらすじをかなり簡単に書くと、そんな内容になります。
小説のお話ですので、現実だとあり得ないのですが、
私はこの小説を読んで感じたところは、過去、本人にとっては、なんとも思わずに犯したことの罪滅ぼしについて、
現実ですと、この小説のように、人を殺めてしまうというのは、あまり考えられないことかもしれません。
それでも読んでいて、最後の方は、ノートに綴られた手記、「ユリゴコロ」を書いた人物に同調してしまうのです。
この、なぜ、同調してしまうのかについて少し考えたのですが、
きっと、現実の世界でも、誰かれ、多かれ少なかれ、生きている中で、時間が経過した自らの過去の罪に苦しみを覚えることがあるのではないか、と思ったのです。
それは、例えばですが、子供の頃、昔は親の気持ちも理解せず、無意識のうちに言葉を使って傷つけてしまったことがあったとします。
それが大人になり、時間が経ってから、あの時の親の気持ちがわかったような、そんな感覚に似ているような気がしました。
もしくは、別の例えですと、以前、好きな人を傷つけたが、その時は相手の気持ちに気づかなった。
後になって、昔、自分がしてしまったことにハッと気がつく。
そんな感情になることは、誰にでもないでしょうか、
「ユリゴコロ」を読んで感じたところは、形は違えど、いつか自らがおかした罪、その罪滅ぼしについて考える作品なのです。
では、昔、例えば私がしてしまった、人を傷つけたこと、時間が経ってわかったことに対して、
人はどう本人の中で決着をつけて、罪滅ぼしをしていくのかについて、少し考えたのです。
大抵は、ありのままを受け止めて反省をする。
同じことを繰り返さない。
言葉で伝えることができれば努力する、できなければ他の形で償う。
簡単に書くとそんな感じです。
そんな罪滅ぼしについて、この小説、ユリゴコロは物語の中でとても美しく教えてくれました。
この物語に出てくる登場人物が犯した「罪」は決して綺麗な物ではありません。
倫理的に言えば、許されない、取返しのつかないことです。
世間一般から言えばそれは狂気です。
でも、一体、何が狂気で、何が正気か、この物語ではそんな尺度はあまり意味がないのです。
何が美しいのか、と、ここは、ネタバレを控えつつも私なりの意見ですが、
どんな罪さえも抱擁する、いち個人への愛情です。
それが墓場まで一緒に連れて行くような、そう、この人であったら全てを話して、そして全てを預けても良い、というような感情です。
それは、あくまで「お互い」があっての感情なのですが、この物語で知る感情は、それぞれが抱えた闇が深く、暗いほど、結びつくと美しく輝くような愛情でした。
たまに、優しさについて考えることがあります。
「優しさ」とは、動物的弱者の立場である人間の、ささやかな抵抗なのかもしれない、と…。
強く生きることができない、動物的に生きることができない人間が、本来持った人間の根底(本能)に抗う手段として持つ感情のひとつが優しさなのでは、と考える時があるのです。
考えようによっては、自然の掟に逆らう動物らしくない、弱い感情が人間の「優しさ」なのではないか、と。
弱さ、悲しさ、臆病、怖さを知るからこそ優しさという感情を持つのかもしれません。
抱えた闇が深ければ深いほど、動物としての強さから遠ざかり、弱さから優しさという感情に逃げるしかないのだろうか、と思うことがあります。
考えると、「優しさは人間の欠陥」ではないのかと思うのです。
ユリゴコロは、深い欠陥を抱えた一人の人間、その人間の欠陥を、ここで例えた優しさ、という欠陥が補い救ってくれたのだろうか・・・。
例えるなら、欠陥どうしの愛情のつながりを美しく感じてしまう、そんな物語でした。
この小説から感じた美しさについてまとめます。
学物上は間違っていたとして、人をいち動物と考えるのであれば、人間関係に美しいと感じるなんて欠陥者の考えなのかもしれません。
それでも美しいと感じた、この記事は、いち弱者の意見です。
この物語に登場する人物たちは、いわば普通の生活ではおそらく出くわさない「大きな物を抱えて」おります。
ただ、どんな人にも、その人にしかわからない抱えた感情があるのではないでしょうか、「誰もわかってくれない感情」という様な、
そんな感情が、ある出会いでめぐり、そして、いつか清算される。
生きてこの世で時間を過ごし、人との出会いで知る偶然の因果、あらかじめそれは、とっくに決まり切っていた出来事のような偶然を感じる。
そんな感覚をおぼえることが、生きていると、ごく、まれにあります。
この小説、「ユリゴコロ」に出てくるのも、その手のたぐい、だと思いました。
読みながら、そんな感覚を思い出しました。
「ユリゴコロ」は、いつかの罪がめぐりにめぐって、じゃあ、どうやって罪滅ぼしをして生きていくのか、小説の中でひとつの例えを知り、考える作品でした。
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「ユリゴコロ」感想 まとめになります
何度も罪滅ぼしと書いてしまいましたが、では、人は背負った罪をどう償い、そしてその相手と向かい合っていくのか、
物語序盤の描写はかなり残酷で、きついシーンがあったのですが、最後はとても好きな終わり方でした。
きっと、序盤の痛みがすごい分だけ、最後の結末を知ると、背負った罪と人の愛情について考える部分がでてくる小説なのではないか、と、感じました。
愛があって、罪が滅ぼされるのだと私は、「ユリゴコロ」を読んで感じました。
愛を持つことで罪が滅ぶ、という言い方かもしれません。
愛情の多幸感が背負ったものを軽くしてくれる・・・という言い方なのかもしれません。
難しいです・・・。(結局、まとめになっていないですね・・・。すみません。)
ちなみに、この小説「ユリゴコロ」は2017年に映画化されております。
映画も鑑賞いたしました。
こちらになります。
映画の予告編の台詞が好きでした。
「あなたの優しさには容赦がありませんでした。」
小説の中には無いので、映画オリジナルの台詞です。
「ユリゴコロ」について、ひとことで表わしているとても的確で美しい表現だと感じます。
映画でストーリーを知るのも面白いので、ぜひ、お勧めになります!
果たして、罪を背負った人間が、その罪滅ぼしをせざるを得ない相手とは誰だったのか?
そんな展開も面白く、後半は一気に読むペースが進んだ小説でした。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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