「紙の月」小説を読んで映画を観てみた感想 透明感とは

小説と映画の違いについて

※この記事は物語のネタバレを含みます。(閲覧にご注意ください)

最近、角田光代さんの小説が面白くて、良く読みます。

「紙の月」もあっという間に読んでしまいました。

主人公、梨花、普通の主婦で子供のいない41歳の女性。

パートから銀行の契約社員となりその顧客先で出会った客の孫、大学生の若い光太と恋に落ちる。

関係が深くなりわかる光太の借金。

光太の借金を肩代わりする為に顧客のお金を着服し、取返しのつかないことになっていきます。

また、光太との関係を続ける為、お金の使い方もだんだんとおかしくなっていきます。

この「紙の月」小説と映画の違いですが、ラストシーンがそれぞれ違います。

小説では、最後に梨花自身の犯した罪に対し、東南アジアまで逃げますが、いつかその逃亡にも刺激がなくなってきます。

最後は梨花自身が誰かに見つけてもらいたという気持ちになります。

見つかったところで感じる安心感のようなものでしょうか。

欲望に対して、あるがままにやりたいことをした代償、それに対して背負った罪悪感なのでしょうか、何かを隠し続けていたものに終止符を打ちたかったように感じました。

 

一方、映画の部分のラストは梨花は窓ガラスを割って走って逃げます。

ここでも最後にたどり着くところは東南アジアです。

かつて高校の時に愛の子供プログラムでお金を支援した子供に偶然出会い、林檎をもらうところで終了します。

その子供は大人になり、幼い子供も持っていました。

梨花の高校の時の愛は伝わり、命がつながっていたと感じる場面でした。

映画がこちらになります。

受けるより与える方が幸いだ しかしどこか歪んでいる愛

映画をみると高校の時の教えが梨花の心にあるのでしょうか、

キリスト教の教えで受けるより、与える方をえらぶこと。

しかし、実際は梨花の愛情というのは、歪んだものだったのだと思います。

また、梨花が愛した光太のだめっぷりが映画でも良い意味で表現されていました。

小説で感じたイメージと少し違い、もっとやんちゃな感じがしました。

梨花は何故こんな子供のような大学生に恋をしたのだろうと少し感じましたが、これがわざと幼い雰囲気の演技を、観ている側に感じさせたなら、上手い演技なのだろうと思いました。

光太は、お金の部分だけで梨花とつながっていた訳でもないと感じました。

梨花を大人の女性として、好きだったのだと思います。

ただ、借金があった、それに対して、若い光太を愛した梨花が返そうとした。

それで平凡だった主婦の梨花が、おかしくなって行きます。

でも、もともと光太の借金があったから、結局こういう結末になってしまった気もしますし、そもそも結婚していた梨花が顧客先の孫とつながることじたい、おかしなことだったのですが・・・。

 

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映画での梨花の感想

映画の「紙の月」では梨花役を、宮沢りえさんが演じておりました。

この宮沢りえさんの梨花役は、とても良かったです。

宮沢りえさんが、まだ恋愛を題材にした演技ができるところは凄いなと思いました。

光太との恋愛でどんどん綺麗になっていくところ、美しくなってくるところが演技でも表情でも明らかにわかります。

この小説を書いた角田光代さんも言っておりましたが「透明感」の部分はほんとによく伝わりました。

でも少し思いました、小説を読んで感じた部分、恋愛で満たされいるはずの梨花ですが、どこか寂し気な表情、それが映画の梨花でもずっと感じていました。

透き通っているのですが、透明で綺麗な水のように透き通っているというよりは、どこか儚げで終わりを感じているような色、濁ってはいないのですが、どこか不自然な透明感。

そんな感じがしました。

どんどんお金をつぎ込んでいくところ、ホテルでお金を支払うところ、声が小さくなって、か弱くなって、少し胸が苦しくなるような感覚でした。

声を振り絞るように出している演技はすごいなと思いました。

あと、光太と待ち合わせで会った時に、顔をみて明るくパーっとなる表情ですとか、

映画後半で光太が若い彼女をマンションに連れ込んでいるところを見てしまった時の一気に年齢が老けてしまう表情も凄かったです。

映画を観ていて、明らかにこの表情の違いがわかります。

 

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映画オリジナルの配役「隅」という人物

私はこの「紙の月」の映画のラストも面白ろかったのですが、映画オリジナルの配役、小林聡美さんが演じる「隅」というベテラン銀行員も面白い存在だと感じました。

隅は梨花の務める銀行のお局的立場です。

小説の登場人物では「亜紀」に近い存在のような気もしました。

映画の隅と、小説の亜紀では生活スタイル、お金の使い方など真逆ですが、どうして梨花が横領をしたのかと考える役目が近い存在かなと感じました。

最後の、梨花と隅との掛け合いが、かなり見ごたえがあります。

小説では存在しない部分の描写です。

宮沢りえさんと小林聡美さんの共演も初めてだったとのことです。

この「隅」という人物はなんとなくですが、この小説を書いた角田光代さんのように感じました。

梨花が最後、窓ガラスを割って逃げる前のシーンですが、梨花に対して

「あなたみじめなの?そうなの?」

「あたしあなたのこと考えてた、最近、ずっと」と言った部分ですが、

この気持ちは、横領で捕まった人を題材に「紙の月」を書き上げた角田光代さんの言葉のようにも感じました。

梨花を見つめることで、どうして着服する人はこういうことになってしまったのだろうと考えながら、この小説を書いた著者の気持ちのように感じました。

最後の梨花と隅とのやりとの部分ですが、

隅が梨花に対していう言葉、「お金じゃ自由にはなれない、あなたがいけるのはここまで」という台詞が印象に残ります。

そして、その後、梨花が窓ガラスを割って逃げる前のシーン、

梨花が隅に対して

「一緒にきますか?」と問いかけたところ、それに少し隅が動揺したように思えたのです。

「一緒に行ってみたい」って口には出しませんが、頭のどこかでふと思ってしまったのではないかと感じたりもしました。

最後、銀行の会議室で隅が、梨花が割って逃げた場所の窓ガラスを眺めるところで、やはりそう感じました。

二人の最後のやり取りの細かい部分を、私が全て伝えられているか難しいです。

もし小説で「紙の月」の内容を知っている方がいて、映画を観ていないのであれば、この最後の梨花と隅とのやり取りはぜひ観て感じてほしいと思います。

この映画で描写される景色ですが、いつも空は綺麗に晴れてない、なんとなくグレーな感じが、梨花の心の模様を映し出していた気がします。

映像の中から登場人物が、終始不安を抱えていて終わりを感じる雰囲気が印象的でした。

流れる音楽、讃美歌「あめのみつかいの」も印象的でした。

最後、光太は若い彼女と腕を組みながらクレープを食べて歩く描写がありますが、梨花のことを思い出すことはあるのだろうか?・・・あってほしいと願ったりしてしまいました。

そして、梨花をやりきった宮沢りえさんの美しさ、映画の最後は、ほんとうに透明な表情に映りました。

小説を読み、映画も通して、この作品の面白さを知りました。

両方の角度から考え、楽しむことができました。

原作の小説がこちらになります。

紙の月 (ハルキ文庫)

長くなりましたが、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

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