FA移籍にみる、いったいファンは何に怒っているのかを考えてみる

時事ネタになります。

プロ野球のFA移籍のニュースを知って感じたことになります。

選手の移籍、それは出て行かれる側のファンと、迎えるファン、悲しみと喜びが生まれる少し切ない別れになります。

だいたいのところですが、FA移籍について考えた部分はやはり選手はお金なのだろうか!?応援したファンの立場は!?などなどの意見が出てくるものだと感じました。

もう選手を応援しないなどあまり良い感情が生まれないFA移籍ですが、いったいその感情はどうしてだろうか、

少し考えてみました。

両リーグMVP、優勝チームからいなくなるという部分でも、そして秋になるとおこるこの話題について少し深堀りします。(ですます調を省きました。すこし乱筆になります。)

夢をみたいし現実の浮世はいらない

選手はお金なのだろうか、応援した私たちの気持ちは、マネーゲーム、などなど、

出て行かれるチームのファンの立場としては、次も頑張って欲しいと心から言えるのは、よっぽど個人のファンでない限り、穏やかな心になれないのではないか。

ファンはチームを応援しているのであって、そこに所属する選手は一緒に戦ってきた仲間でもある。

いざ移籍する立場の選手としては、勝手に仲間にするなよという気持ちも正直あったりして、その時々、人間というのはお互い都合の良い解釈をするものだとも思ってしまう。

私はいま、そんなに熱心にひとつのチームを応援するという感情があまりないので、ファンも選手も、当時者たちはこのシーズンになると大変なことだと感じる。

綺麗なことを言うようだが、ファンはファン、選手は選手それぞれの立場があって、どちらも事情があるのでなんとも言えない。

しかし、今まで応援してきた選手があっけなく来年から別のチームへ行ってしまいライバルとなるというのは残酷な事実だと思う。

一方、選手は選手で彼らの人生があり、権利を行使したまでだから何も言えない。

子供の頃から野球ばかりで、30そこそこになるまでずっと続けてきて選手としてほぼ頂点に立つまで努力したのだから最後は好きなようにして欲しいという気持ちもある。

では、なぜこのFA移籍について、出て行かれるファンからしてみると手放しで喜べないのか、むしろ、不満になってしまうのだろうか、。

ここは、憤慨するファン、気持ちよく思わないファンほど純粋にプロ野球が大好きで、そこは夢の場であって、現実世界とは違うという認識があるのではないかと思う。

プロ野球はいわば憧れの場、夢の世界、非日常、きっと煩わしくて厳しい毎日から目を逸らすことができるもの。

そして、夢をみさせてくれる場所、それがプロ野球なのではないかと思う。

プロ野球は夢、ドリームの場という感情がそこにはあると思う。

いつも耐えに耐えて生活している毎日、嫌な職場、理解のない家庭、つまらない人間関係、改善しない経済などなど、あげたらキリがないが、野球をみて一喜一憂する人たちはそんな嫌な日常に目をそむけさせてくれるひとつのもの、

それが野球なのではないかと思う。

今が少し苦しくても、面白くなくても、チームが勝てば、優勝すれば、と、野球に情熱をささげることができる。

その感情がなぜ生まれたのか、きっと、応援する立場の人はあまり認識していないかもしれないが、いつかはじめて見たホームランだとか、一つの勝利、なにがきっかけで応援を続けるのかは人それぞれだが、

大切な思い出がそのチームとともにあるに違いない。

いつしか、それは自分がなにかできた時の喜びと同じような、かけがえのない物になっていったのだろう。

それが今を生きる支えになったり、毎日の楽しみになったりするのだと思う。

もっと広くすると、秋口だけチームの順位を楽しむ人もいたり、人ぞれぞれであるとは思うが。

そんな、それぞれの野球生活があるなかで、突然みたくなくても、見せられてしまうものがある。

FA移籍では浮世を見せられてしまう。

すこし例えが違うのかもしれないが、生々しい世間の現実を今まで応援した選手から、FA宣言という予告はあるが、ある日、突然、別のところに移籍するという心臓に悪いニュースで知ってしまう。

選手の移籍に対してファンが面白くないと思うのは、何度も触れているが、正直に言うと金銭の部分だと思う。

今まで所属している球団よりも高い提示のチームへなびく。

選手は金額ではないと言うかもしれない。

環境面云々、その真実はわからない。

はっきり言うとその真実がどうなんてあまりたいしたことではない。

ファンががっかりするのは、それはあまりにも現実の社会と似た結果に、それが見えてしまうからだ。

「要は金か」

これが、現実社会、いやプロ野球だって現実社会なのだが、一般の人間の日常とは違う世界であることは確かであってその世界に日常をかいまみてしまうので、正直、萎えてしまうのだろう。

例えば会社員の社会であれば、できる人と言われ、自分に自信がある人間は給料も含めて躊躇なく今を捨てて次のステージに出ていくし、まわりもそれに対してネガティブな感情はあまりない。

仕事場での戦力を失うというデメリットは感じるだろうが、今と違う条件面を求めていなくなった個人を批判することはほぼない。

一方で、会社や組織としての戦力といえば良いのか価値、所属し働いているところ、競争社会で資本主義の世の中では、ほぼ、どんなところも、どこかと比べているか、もしくは比べられている。

自分の会社と他の会社の規模の違い、売上、働き方、もちろん給料、

それは個人で働いていても同じかもしれない。

お金で動いている浮世であれば、どんな部分も貨幣という基準で比べるしかない生活がまっている。

それは、ペットボトル1本を買うにも、だ。

ここはあそこより安いなどと、無意識でも考えながらお金をだして生活している人たちがほとんどだろう。

私たちはお金に囚われ生きているのは確かだ、お金持ちでも貧乏でも。

良い悪いは別とし。

そんな浮世で生活するなか、いつも非日常として見ている野球までにも、突然、現実を見せつけられる。

ここに怒りと不快な気持ちの本音があるのではないかと感じた。

ここから以下は、本当のことは別として感じてしまう本音の部分になる。

①選手が自分のチームを捨てた現実

②応援よりもお金を取った現実

③一生懸命応援したのに報われなかった現実

④ライバル球団に金銭で負けた現実

⑤最後に愛は勝たない

ここにあげた①~⑤はふだんお金にとらわれ生活している現生、浮世によくあてはまる嫌な現実ではなかろうか、

例えば会社や人間関係にあてはめてみる。

①捨てられる。リストラ、意にそぐわない異動、自分の力ではどうしようもない不可抗力、恋愛などにもあてはまるかもしれない。

②お金を取った現実。選手の真意はわからないが、それは現実の人間関係でお金を優先される部分、好きな人がお金持ちへなびいた、などなど。

③の一生懸命応援したのにという感情も、一方通行な愛情を感じたりする。愛したのに振り向いてくれなかった。もしくは一生懸命働いたのに職場であっけなく裏切られた。クビになったなどなど。

④のライバル球団に金銭で負けたが一番大きな部分かと、資本主義の現実を見せつけられた無力感とライバルに負けた嫉妬心。

⑤愛は勝たない、いや信じたい、夢みたい。せめて浮世以外では。努力が報われないのはふだんの生活だけで充分だ、と。

どれもつらい・・・生きていると感じる現実・・・。

ふだんの浮世を忘れて楽しみ、熱狂し応援する場所にいきなりこんな現実を見せつけされたらやはり萎えるのではないだろうか。

やっぱり資金力か・・・、一生懸命、まだ若い時から応援し活躍を願い一緒に戦ってきた。(つもり)

それはまるで自分のことのように気持ちを込めた。(身勝手)

あっさりと現実では想像できない金額を提示されて新球団へ行ってしまう。

無力感・・・。

特に今年は、両リーグ優勝した主軸がそれぞれあっさりといなくなってしまうのだからファンはそりゃ不満だろう。

しかもそのコメントが誠意に云々などなど、(あまりしっかりと聞いてないので本当にそう言ったかは不明)あまりにも杓子定規で実際の会社でみかける空気を読んだような発言を思い出し、なお萎える。

どれも選手への否定的な感情、大金で引っこ抜いた他球団への批判的な感情が出てくるなかで、本当はみたくなかった日常の現実(浮世)を見せられたことにファンは嫌気がさしたのではないだろうか。

これが、来シーズンは活躍しなければ、移籍した選手は活躍しない、などと一部、負のエネルギーをまとった感情に変化するからなおやっかいだ。

そんなことで、FAについて、個人的に感じたことを以下にまとめました。

 

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戦力がなくなるというよりは相手から見ると戦力を剥ぎ落す

FA移籍について感じたのは、選手がいなくなるという痛手もあるが、いちばん感じた部分はライバル球団がお金を使って、FAの選手が元所属していた球団の戦力を落とすことができる部分にあるのではないかと思う。

いなくなったチームは戦力的にマイナスしかないが、引っこ抜いた球団は戦力プラス、かつライバル球団の戦力をマイナスにできる。

ここが戦略的に、いちばん大きい気がする。

正直、活躍しなくてもありなんじゃないかと、今年優勝したチームの主力がいなくなるのでそれだけで来シーズンはチャンスなのではないだろうか。

そして同じように活躍、もしくはキャリアハイになればなおラッキーだくらいの本音がなんだかチラチラする。

形としては選手の意思を優先して獲得をした。

当然、そういう部分はあるだろうが、相手の戦力をお金で削ぎ落すことができるというのは、FA移籍のルールのなかでのひとつの戦術ではないかと思ってしまう。

海外FAでは不満がでない不思議 サッカーと同じく

もうひとつ、面白いなと思ったのは、国内のFAはネガティブな意見が多いのだが、海外FAについてはその意見がほとんどないところだ。

おなじFAとして選手が長年やってきた権利なのに、どうしてこうも違うのか。

面白い。

結局、野球ファンは選手に「夢をみさせてくれよ」と言いたいのではないか。

海外への挑戦は今をもってドリームであり、わくわくする。

未知への挑戦というのか、単純に選手自身が自己を高めるために挑戦するという行動がわかりやすい。

同じ環境の変化でも、国内と海外ではまったく違うのはわかりやすい。

成功すればOK、失敗してもよく挑戦したし自分にはできない夢をみさせてもらったと大体言えるのではないだろうか。

これはサッカーに例えるとわかりやすいのかもしれない。

サッカーにおいてはスポーツとして成長してきた過程が違う部分もあると思うが、むしろどんどん出ていけという気持ちが強いのではないだろうか。

むしろ、有望と思われる選手は、国内、海外問わず、強いレベルでプレーするべきだという部分があると思う。

 

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選手の立場として

色々と書いてしまったが、少し選手の立場の部分も書いてみようと思う。

選手も正直、10年近くおなじ場所で頑張ったのだから、選手生活の最後くらい自分の意思で行動できても良いのじゃないだろうか、

もちろん、最終的な選択がお金のある球団になりがちという現実、構造はあるとは思う。

見る側からしては、球団愛などと勝手に夢を重ねてしまうが、でも、それも含めて環境なわけだし、逆にサラリーを選ぶという選択は人間味があって良い気もする。

いつだってスーパースターでいられる訳ではない。

全員の夢をかなえるのはやっぱり難しいことなのだ。

それこそ、海外に行っていち野球選手として成功すれば、誰の不満も無く、みな日本人が幸せな気持ちになり円満だとは思うが現実の状況など色々考え、できる範囲で選択したまでだと思う。

ただチームに色々な部分で愛着を感じ残る選手もいるわけだから、こればっかりは価値観の部分もあると思う。

そんな色々な状況の中で、ファンはそこに資本主義で成り立つ浮世をどこかで重ね合わせてしまう部分は少なからずあると思う。

 

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解決策はみないこともしくは期待しないでみることだが、野球の質が下がりそう

ここまで、FA移籍について思ったことを書いたが、では、じゃあどうすれば良いのだろうか。

個人的な解決先、行き着く先は、もう見ない。

もしくは勝ち負けのこだわりを捨てること。

それぐらいしかパッと浮かばない。

でも最終的にこんな騒動がストレスになるのであれば、そうするしかないのではないだろうか。

ただ、スポーツの本質である結果へのこだわりを見る側も捨てはじめだしたら、もうその競技は終わりに向かい始めるのではないだろうかと思う。

それでも、WBCやオリンピックなどの国際試合もあるので、もうそこに全力をつぎ込めばよいのではないかと、ただ、4年に一度に結果を求めるのは見る側も競技する側もプレッシャーは厳しいとは思う。

ということで、あまり結論になっていないが、スポーツはみる側もほどほどに、そこに熱を入れると結局、自らがその結果に左右されてしまう。

試合の結果だけでなく選手の移籍でさえ。

思うのだが、今回、両リーグ優勝したチームから選手の移籍があったが、どちらも最終的には日本一を逃したチーム、オフシーズの話題が移籍の話になってしまったのは、両チームとも報道的には少し助かったのではないかとすら思ってしまった。

追記:よく考えたら今年は一試合も野球の試合をみていなかった・・・。

 

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

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