なぜ人は黙るのか!? 過去に話そうとしたけどもう良いかなって本音

まず、イメージした自分に変わることってできたかな?

最近ほんとに無口になったと自分自身で感じます。

特に日中の環境、職場ですとか、

だから以前の記事で職場の人間関係云々でと書いてしまいましたが。

そんな最近の経験から過去の私を通して、私は周りの人と同じく明るく、人間関係も接してられたらなぁって、

思ったこともありました。

過去の自分ほど、社会で生きて行こうという気持ちが強かった時ほど、

本当ではない自分でいようとしたことがあります。

でもやっぱり心の底から変わることってできなかったかもと思ったことがありました。

いや、心の底から変わることができないってことではないです。

自分が感じる視点が違っていたんじゃないかって思ったりするのです。
 

 

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自分を受け入れてしまえばそれで価値観ってどうにでもなると最近思うのです

私が人生について何かをわかったほど、

うまく語れるかは自信はありませんが、

ひとつだけ、感じることがはありました。

こうなりたい、こんな性格になりたい、明るくありたい、人と仲良く、理想の人間でありたい。

すべて私にないものだから抱いた気持ちだったのかもしれません。

大人になって、苦手な思春期の環境から解放されて、

社会と関わるようになって、

いわゆる「普通」である自分にあこがれ、そうあろうとして、そうなった気がして、

でもですね、振り返ると、それも苦しい生き方だったのかもと感じたのでました。

特に最近、周りの目をあまり気にすることがなくなってきてから。

もともとが、そう、先ほど書いた私がイメージしていた「普通の人」というのは、

あくまでも私がかってに創り出した人間像であって、

じゃあ、それが、人から、万人から良い人間だなんて、どの物差しで考えていたのだろうと。

そんな過去の私は、おそらく、今よりまわりと多弁であったと思いますし、積極的に人と関わろうとしていたかと思います。

でもですね、根本の部分、心の底の部分、ほんとうに思っていた正直な部分、

それを否定してまで、そうあろうとしていたものは偽物の私であったのだろうと感じます。
 

 

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良い意味であきらめてしまえば少なくとも今よりは楽にはなれる

私は最近、ほんとに無口になりました。

なんでこんなに人と話さないのだろう。

でもいつか、それに慣れると、これでいいんだって、

これでいんだってやっと気づけた私は、

なんで無理して話そうとしてたんだろうって、

それが素直な私であったら、ずっと楽じゃないかって、

陰鬱な私も、それがほんとの私で、受け入れてしまって、それで生きやすかったら、何をそんなに無理していたのだろうって、

みんな、私が勝手にイメージしていた他人からの視線であったり、こうでなくてはならいっていう固定観念だったり、

でも、そんな生きる上での余計な足かせを外して、

例えば、

周りから良い人で思われよう、明るい人であろうなどの考えが基準であったのであれば、

逆に

私は暗い人間だと思われても良いや、

みんなと仲良くできない人だと思われも良いや、

そんなことを受け入れてしまったら、

だいぶ楽になってきました。

少なくとも、辛くはない。

こっちの方が正しいような気がします。

それは、社会で生きる中では、話さなくてはいけない、必要なことは言わないといけない、そういう場面はあるかと思います。

あまり誤解されてもそれはそれで生きづらくなってしまいますので、適度に会話はしますが、

多少誤解されたとしても、まあ良いじゃないか、

もっと正確に言うと、人に理解されようとして話すことはなくなった、

そうすると必然的に話すことも無くなった。

もっと言ってしまえば、誤解されたとして、それを解かなくてはいけないほどの人間関係かどうかって、

大切に思っている人、誤解されたくない人は私の生活ではごくわずかなのです。

それなら、今の生活で関わる全ての人にその誤解を解きながら生きていくのは、たぶん、おそらく無理だと思います。

そんなことしていたら、いずれ壊れるでしょう。

私が思っているよりの私の器は小さいものでした。

おそらく、この無口になった理由って、他人に対する期待ですとか、そんな気持ちをほどいたからなんじゃないかって、

そう、人に期待するから、人間関係がしんどくなる。

いつしか、人に、主に、職場での他人に対しての期待というのを持たなくなってしまって、

だからほとんど余計なことは話さなくなってしまったのかと。

人から知って欲しいと思う気持ちもなくなってしまいました。

それも私の本音だったのかもしれません。

多くを語ったところで所詮、全てをわかってもらえるはずもありませんし、わかってもらったところでじゃあなんて言って欲しんだと。

そんなこと考えていたら、やはり無口になりました。

この記事のまとめ

無口でも良いじゃないか。

それで自身が楽だったら。

人からの視線なんて関係ない、どう思われようが関係ない、

それも人の個性で良いじゃないかって、

他人にどう思われようと、それは私の問題でなく、その人の問題なんだから。

やっと最近、少しずつ感じることができてきたんですね。

無理して繕って、それで合わせて、疲れて、そんな生き方には限界があるかも、

すくなくとも、それに時間を使う労力が今はない。

もうこの先もないかもないかもしれない。

だから無口になってしまったのだろうと。

そう考えるのでした。

 

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