たましいがつながったと感じた瞬間 おばあちゃん

好きだった田舎という雰囲気

長野の祖母は私が小さい頃から長野で一人で暮らしておりました。はやくから、おじいちゃんが病気で亡くなってしまったからです。息子の父親の東京に出てきて暮らしている。両親の離婚の原因もあって長野へ訪れたのは記憶にないくらい子供の頃でした。親元である母が父方の長野に子供が行くことを嫌っていたからかもしれません。

私が子供の頃にいった写真を見てみてもいまいちピンとこない景色でした。

しかし小学校5年の夏休みに父と、姉と一緒に長野へ行きました。

新鮮な感覚、田舎の感覚、今まで生きてきた中でこれほどキラキラした感情ははじめてだったのではないかと。

子供の頃の東京から長野っておそらく、外国に行くくらい刺激が沢山あったのではないかと。

今まで見たことのない日本のお城、歴史が背景にある街並み、自然の空気。その土地独特のお土産。

どれもが新鮮で綺麗なものに見えました。
 

 

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一人で住んでいるおばあちゃんに会えるのも楽しかったです。

母親や母方の祖母が長野の親戚のことをつねにあまり良いことをいってなかったのですが、それが私にはあまり理解できませんでした。

のんびりした開放感、せかせかしていない、時間がゆっくりしている、私にとって、今まで見たことのない街並みは鮮やかな景色ばかりでした。

この長野という存在は心の避難所的な存在に私にはなっていきました。

広い世界 見たことのない世界

母親の心の状態があまり良くなかった私にとって、長野の田舎に行くことは辛い現実から逃れられる場所でした。

遠く山々に囲まれた景色、綺麗な空気、包み込む空気が凛として普段生活している現実から離れらる気持ちがしました。東京と違ってカラっとした乾いた空気。

いつもの日常を忘れられる。おだやかなおばあちゃんがいる。そこには私の心を攻撃してくるような存在はありませんでした。

小学校5年からはじまり、翌年も、その次の夏休みも、父に連れられて長野に行くことだけが唯一の楽しみのような気がしてなりませんでした。それまで待つ一年の長いこと。

この気持ちは小説「ひそやかな花園」のサマーキャンプを思い描く登場人物のような感覚に近いなと最近この本に出会い感じました。

世界と自身の心に違和感があってもその場所は受け入れてくれる安心感。その場所にいることでやっと生きている感覚がする。触れ合う人物もみな自然に受け入れくれる。


ひそやかな花園 (講談社文庫)

小説の最初の部分を読んで真っ先に思い浮かべたのが私にとっての長野の田舎でした。

中学になる前に一人で冬に長野の田舎に行った時に、おばあちゃんの親戚の家族とスキーにいったこと。こんなに綺麗な雪山の景色を見たことがなければ、子供頃に私をしっていたというだけでほんとに家族のように接してくれる親戚のひとたち。

スキー場に行く車の中でカーステレオから流れる当時の流行っていた曲を満員になった車の中に皆で歌っているようなそんな絵に描いたような平和な家族でした。

東京に戻った時のぎすぎすとした家庭の雰囲気。陰気な学校の雰囲気。それらのすべての存在がさらに強調されるように、長野の光景は私にとっての理想郷でした。

もう、良いな、冬の間は毎週スキーをして、温泉も近くて。

都会のはずれに住んでいる私にとっては長野の山も綺麗で人たちも純粋で空気も綺麗で何もかも澄み渡っている感情を持ってしまいました。

おそらくですが、子供であり過ぎた私にとっては良い面しか見えなかったという事実もあります。

東京に帰ってきた時に一緒に住んでいた東京の祖母に長野の良さを伝えても「たまにいくから良いんだよ。ずっといたら田舎だから飽きちゃうよ」と言われたのを覚えております。

その気持ちも今はわかります。

でも子供の私にとってはその意味もわかりませんでした。
 

 

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おばあちゃんとの最後の会話

長野のおばあちゃんはいつもほんとに優しかったです。学校の春休みなどのたびに特に多感な中学の時は学校などの現実から逃避するために良く一人で長野まで行きました。

色んなところをおばあちゃんと二人で歩きました。田舎なのに車などあるわけではなく。おばあちゃん一人でしたらから運転もできないので本数の少ないバスを乗り継いでお寺や神社、温泉など色々と歩きました。

そんなおばあちゃんも年齢を重ねます。

私も高校・大学と過ぎ、だんだん長野へ行くことも少なくなってきました。

大学の時にそれでも車の免許をとり、おばあちゃんを乗せて長野の田舎の道を走ったのは何よりの思い出でした。もう足も悪かったおばあちゃんはいつも一緒に歩いてくれたので、私の運転で一緒に遠いところへ行けることは嬉しかったです。

季節はちょうど秋でいつも夏や冬にきていた景色とは違った綺麗な紅葉の山道になっておりました。来ることができて良かったと言っていたのはいまでも印象に残っております。

話がそれましたが、20歳をこえて生活なども変わってきて、長野へ行くことが少なくなってきました。今思いましたが人間って残酷なものですね。苦しみや悩みが少なくなってきたら、自信の力である程度問題が解決できるようになってきたら、そういう大切なものも必要なければ行かなくなるなんて。

おばあちゃんのいる長野へ行ったのはもう30歳を超えてからになります。長生きのおばあちゃんでしたがもう高齢の為に、意思疎通はちゃんとできない状態でした。しかし父親のことはしっかり認識できるのでやはり親子の絆は強いのだなと感じました。

私のことを見ても「どちらからおいでになりましたか?」と私を認識してくれません。寂しかったですがしかたありません。

父親がおばあちゃんへ向けて「●●だよ!!」(●●→私の名前)を大きく耳元で伝えました。

一瞬だけ顔色が変わったのを今でもはっきり覚えております。うまく例えられないですが私にはおばあちゃんの心が蘇生したようにうつりました。

「●●くんかい。ずいぶん男前になって」

おそらく私を認識したような感覚が伝わりました。

心が通じた最後の会話でした。その後すぐに、またどちらからおいでになりましたか?とういう最初の話に戻りました。「最近は子供が外で遊ばなくなりましたね」と私に(知らないだれかに)話しかけておりました。この会話はおばあちゃんが元気な頃に良く私に話をしていた会話でした。もう15年以上前のことなのに同じことを思っていたんだと感じました。

 

私に余裕ができたらほっておいてしまった・・・。

おばあちゃんが優しすぎただけに私がそういう部分で甘えてしまっていたと。

もっと話すこともたくさんあったのにと心に後悔がありました。

伝えられる時に感謝の気持ちやありがとうの気持ちを人に伝えておく。後悔した時はもう戻れないことがあります。肉親だからこそ本当の感謝の気持ちはなかなか伝えられません。それは今でもそうです。今でも母や父、姉妹などに感謝の気持ちを伝えるのは照れくさいです。でも伝えられないままで終わることがあるかもしれない。直接話すのが照れくさくてもせめて態度で示せたら。そういう気持ちだけでも周りの、家族の空気は変わってくるかもしれません。

 

10月に長野へ行く予定があります。

もうおばあちゃんはおりませんが子供の頃に感じた懐かしい雰囲気、あの山々、空気、もう一度感じてきたいと思います。

 

 

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