ユミルとクリスタの二人が好きな理由 不完全な生だから美しいと思う (進撃の巨人 感想・考察)

「進撃の巨人」ユミルとヒストリア(クリスタ)について

大人気作品、進撃の巨人 

好きなキャラクターはおりますでしょうか!?

このアニメの面白さは、

予想のできないストーリー展開もありますが、

個性的なキャラクターがたくさん登場し、それぞれのキャラになにかしらの生きてきた背景がある細かいストーリーに惹かれたところでした。

そして個人的に惹かれたのがユミルです。

ひとことで言うとかっこいい・・・。

もう少し正確にお伝えすると、ユミルとクリスタ(ヒストリア)、二人のやりとりと生い立ち、設定の背景が好きというか面白いです。

二人のやり取りを考えると、人の中にある性格、内面、本当の自分とそれ以外の自分、などなど、

少し複雑な話になりそうですが、

誰しも多かれ少なかれ抱えている本音と建前の自己・・・

色々と考える内容でした。

※注)この記事は、アニメのSeason3視聴までの感想・考察になります。ネタバレを含みますで、アニメ放送分未視聴の方は、視聴後に閲覧をおすすめいたします。

 

 

 

スポンサーリンク

雪山の話から

ユミルとヒストリア(クリスタ)の存在が物語のなかで深くなっていくのは、雪山訓練の話からでした。

Season2 #30 「ヒストリア」の回からになります。

はじめにも書きましたが、進撃の巨人を視聴していちばん惹かれたのがユミルです。

なぜ惹かれるのか、

ユミルをみていると一人で生きている、そしてその生き方に芯がある。

信念がある。

洞察力の鋭さ、などなど。

魅力的な部分をあげるとキリがないのですが、ひとことで言うとかっこいい。

他の登場人物もみな信念や芯という部分ではそれぞれのものがあるのですが、ユミルの行動、言葉、性格は筋が通っていて好きです。

ユミルの過去はしんどい。

過去の過程から出来上がったユミルの人格、パーソナリティーを物語を通して考えるのが面白いです。

同時に、ユミルの性格と、もうひとり

クリスタ(ヒストリア)の性格

二人の生きる上での思考・行動を比較しつつ考えるのもまた面白かったです。

ユミルとヒストリア、二人の性格を比較するとまったく正反対ですが、

物語の中での二人の役割を考えると、人の中にある性格の両面性(本音と建前のようなもの)を現しているのではないかと感じたのです。

●ユミル・・・言いたいことを言って、一匹おおかみのように生きるユミル。

●ヒストリア・・・周りの空気を読んで、自分の意見を殺し、人に優しくあろうとしているヒストリア(クリスタ)。

よく考えると、この二人、どちらも信念がある生き方をしていて、その考え方が正反対なのですが、

どうして、ユミルの生き方、考え方に惹かれたのか・・・

ここは、あたり前のようですが、ユミルは「素直」に生きているからなんだろうか、と感じました。

思っていること、心の中にある感情に素直に生きることって簡単のようでけっこう、いや・・・かなり難しい。

そう感じることはよくあります。

その難しさを登場人物として、ユミルの性格と対比をして、物語の中で生きるヒストリアを通して考えると「素直」に生きる難しさという部分が浮き上がってきます。

素直に生きることってどんなことか?

ユミルのセリフで印象深い言葉がありました。

「クリスタ、わたしもだ、自分なんて生まれてこなければよかったと思ってた」

「ただ存在するだけで世界に憎まれたんだ」

「わたしは大勢の人の幸せのために死んであげた」

「でも、その時に心から願ったことがある。もし生まれ変わることができたなら、今度は自分の為に生きたいと!」

Seeson2 #30(ヒストリア)より

ここに、ユミルとクリスタ(ヒストリア)、二人の心のなかに潜在する共通意識の、つながりがあるのだろうかと考えました。

ユミルと対比して、クリスタを考えてみます。

生い立ちなど複雑な部分を置いておいて、クリスタの性格だけをみれば、社会的(世間的)には、クリスタの方がよっぽど価値があって、まわりからも喜ばれる存在であるように感じます。

ですが、この物語は、

一面的、表面的に見える部分が正しい訳ではないと教えてくれる描写が所々あって面白いのですね。

では、なぜユミルは格好良いのか

言葉使いも、人への態度もぶっきらぼうで、社会的・世間的にみればダメな分類のユミル、良い子ちゃんのクリスタと一緒にいることでなお、その性格も際立ちます。

言葉使いも粗暴で態度は不良。

ですが、なぜだかユミルに惹かれます。(実際、近くにいたら怖いのかもしれないですが)

アニメを観ながら思ったのですが、

ユミルの性格、生き方、考え方、それは、

クリスタの心に中に眠っていたインナーチャイルド、素直な本音、実はこうありたかったという部分、

自ら無意識のうちに抑圧をし、心を押し殺して生きていたユミル自身の過去の内面、心そのものを投影していると感じます。

クリスタは、はっきりと言ってしまえば、今の世の中でいうと毒家庭のような環境で育ったと思います。

愛情を注がない母親、

利己の為に娘の存在を欲する父親・・・

子供の頃、無条件に与えられる愛情が存在しなかった。

親からの愛情も知らず、母からの関心を引くために近寄っていっても殴られ、

良い子で育つしかないクリスタ、血の問題もふくめ父親からも本当の意味での「子供」としての存在を求められていなかった。

そんな自身の生まれた環境を感じ取り、クリスタの良い子でいるしかないという表面の人格ができあがってしまったのかと感じます。

※クリスタはどちらにしても良い子なのですが、人と接するにあたって、良い子であろう、思われようと無意識の中でしてしまう性(さが)のようなものですね。(ユミルから「おまえ良いことしようとしているだろう」(Season1 #3より)と言われた場面とかですね。サシャにパンを残してあげたところです。)

それは、ユミルが過去、背負った生き方と重ねて、

クリスタを見ていてわかりすぎてしまうというか・・・

クリスタの中に眠る本心を解っていたのだろうと、

というようなところを含めて、

ユミルもそうですし、クリスタも、二人の過去を考えると、

「生」の被害者であるように感じました。

それは、突き詰めると、

そもそも二人は「自分の為に生きる」ということがわからなかったから。

少し戻りますが「生まれてこなければ良かった」ということになるのだろうと。

 

実際の物語と現実の人間の生活を重ねるのはどうかと思いますが、

ですが、口に出さずとも、そう考える人、

生まれてこなければ良かったと考える人は結構いるのではなかと思うのです。

その、私もけっこう良くそんなことを考えるのですが・・・(いつも考えるわけではないですが)

なんだかどうしようもない不条理なこと、それは色々あるのでどんなことか、難しいのですが、

生きていてどうしようもできないことに遭遇すると、どん底まで気持ちが落ち込むと、「生まれてこなければ・・・」などと思ってしまうことはあると思うのです。

人によって程度の差こそあれ。

例えば、私の家の場合は、片親で、しかも親は酒浸りの生活でした。

アルコールの力で人格が豹変してしまう怖さですが、

小さい時に実際に目のあたりにした経験から、

どこか、どうしても、人間に対しての恐怖心のようなものが拭えなく・・・

いまさら大人になって、なにいってんだと言われればそれまでなのですが、

どうしてもどこか潜在意識のどこかで、

私の場合は恐怖心があるようで、それを、

実は今でも払拭することができていないのではないか、と感じる時があります。

今は母の飲酒は寛容したので、

人から言わせれば、何をいつまでも昔のことをと思う人もいるかもしれませんが、

私だって、例えば、心の底から人を信用できればと感じることがありますが、根底のどこか、これを具体的に例えるのが難しいのですが、無意識の部分で怖がるところがある。そんな、感覚が存在します。

それで、突き詰めてしまうと、もういっそ、ひとりの方が楽かなと思ってしまうところもあり、はっきり言うと、

こんな感覚・感情にならないで生きていられる人はうらやましいとも思うこともあります。

 

うらやましいし、他人と比べて感じる劣等感はどうしても消えない・・・

拭えない・・・

と、いつもどこかで感じます。

それは、私の場合なだけであって、人によって、生き方、現在までの過程、様々なパターンがあると思いますので、多かれ少なかれ誰もがどこかにあるような気もするのですが・・・

世間一般では「まとも」な環境でも、逆に過保護であったり、与えすぎであったり、あるいは物理的な暴力でしんどい思いをしたりなど、おそらく私の知らない場所でのしんどさというのはたくさんあるのだろうと、

他では、会社や学校でのいじめで人格を否定されたりしたなどですね。

そんな経験をひた隠しにして、クリスタのように無理して笑顔で過ごしている方は多いのかもしれません。

そんな事実が実際にあるから、

例えば、アニメに限らず、映画でもなんでも登場するキャラクターに感情移入ができて、共感することができるのだと思います。

私の場合は、ただ覚えていることは、子供の頃、よく、意識のおかしくなった親から、

「親の心、子知らず」ですとか、

「誰のおかげで育ったのか」などと、

お酒の力で言われた過去の言葉は、

いつもではないですが、気持ちがどん底に落ちた時は、そんな昔の言葉が考えのどこかでよみがえってしまうことがあります。

あとは学校の受験、合格した時、素面(しらふ)の時はおめでとうと言っていたのに、泥酔した時にふと口に出された本音・・・、「あんな馬鹿な学校ふざけるなぁぁぁ」と、無意識で叫ぶ、親の本音を聞いた時は、恐ろしく、

やっぱり人間って怖い・・・

どうあがいても怖い・・・

こういったことが積み重なると、信じろと言われても、

やはりどこかで人が怖い。

そういった、過去かけられた言葉の体験は、

色々、一回りすると、

「それじゃ、なんで生んだんですか、と」

だいぶ進撃の巨人の話から逸れてしまいましたが、

そして、「生まれてこなければ良かった・・・」という、

まるで思春期の子供のような、だいぶこじれてしまった思考も生まれてしまうのです・・・。

それが、ことあるごとに大人になっても、まったく関係のないしんどい場面でフラッシュバックをすると、引きずっていると、

例えば、それを誰かに話したところで、いつまでそんなことを言っていても仕方ないと暗にしめされた態度を感じてしまうことがあるので、(かってにそう解釈している場合も、もちろんあると思います)もう、そこから負のループがはじまってしまって、

ひとことで言うと、心に救いがないのです。

かなり、個人的な話になってしまいましたが・・・

多かれ、少なかれ、

人はそんな「生」に対しての漠然とした否定的な気持ちを少しは持っているのではないだろうか、と、

それが例えば道徳的に言って、

親に感謝ですとか、周りに感謝ですとか・・・、人に感謝ですとか、

暗黙の「空気」があって、なお、抱いた感情を心のどこかに終って、それを笑顔で隠して生きている人がどれだけかはわかりませんが、存在している気がしてなりません。

存在しているような気がするというのは、そう感じている人は、絶対に言わないので・・・

実際のところはわからないのです。

ここの文章で書いている、生きることって、みんなつらいですとか、みんな同じなんだからなどという第三者のことばがあった場合に、

あくまで個人的な気持ちですが、おそらくけっこう的外れな、「なぐさみ」の言葉だと思うんですね。

そうじゃなかったら、生をあきらめて命を断とうと考える人は、そんなに多くいるはずがないのです・・・。

クリスタの生い立ちから至る思考で、しんどいなぁと感じるところは、最後まで良い人と思われたまま、雪山でダズを助けようとするふりをして死のうとまで考えてしまうような生き方です。

ここは、だいぶ偏っていると承知のうえで書きますが、子供をつくった時に、どうすれば幸せにできるかって想像するに、死にたいなどと思わせる隙もあたえずに、「死にたいっていう概念って何?」ぐらいのいきおいで子供を育てあげて成長させることだと思うのです。

こんなこと言うと気が狂っていると思われるかもしれません。

例えば、色々な苦労があるからこそ人生が豊かになる、という見方も人生の一理なんだろうと。

実際に色々な体験、経験を通して人の心は成長するとは思います。

でもやはりネガティブな気持ちなど、知らない方がやっぱり楽だよねと、正直、思います。

知らなきゃ知らないで良いじゃんって。

苦しみや苦労が人生の糧になるだろうというのは、つくった側の、大人の都合の良い希望的観測なだけじゃないかって・・・

喜びからの糧の方がよっぽど生まれた側も嬉しいだろうし、

苦しんだ分だけ成長できたなどと感じるのは、

それは経験した側が後天的に自発的に感じることであって、生を与える側がはじめから生きることに関して、苦しみも生のうちなんて、そんな解釈をしてしまう場合があるのはどうなのだろうかと、

生きることはつらいことばかりだと思うのは自由ですが、そう悟っていたら生をあたえるべきではない、と、極論ですがそんな結論にいたるときがあります…

ですが、まあ・・・それでは、多くの生に救いがないですかね。

そのうまく伝わっているか難しいのですが、要は、悲しみや苦しみにも程度があって、簡単にいえば、生きていることですら、お腹が減ることも悲しみや苦しみのひとつであって、

しかし、もっとしんどい心労もなんだか「人生」という言葉で、おなじくくりになってしまっている気もするのです…。

長くなりそうですので、もういったんこの話はやめます。

すみません。

ただ、それでも救いなのはユミルの二度目の生き方でした。

ユミルがヒストリア(クリスタ)を救うことで、ユミルの過去を救うこと

自分の名を偽って生きていたヒストリア(クリスタ)。

彼女のインナーチャイルドはユミルのインナーチャイルドへの報復でもあると感じました。

少しわかりづらい書き方になってしまいましたが、

Season3 #44「願い」の回で、実際の話ではあってはいけないのですが、ヒストリアの父から骨髄液の注射をせがまれた場面、

ユミルの言葉ですが、

「クリスタ、おまえの生き方に口出しする権利は、わたしにはない。だからこれは、ただの、わたしの願望なんだがな。おまえ、胸はって生きろよ。」

Season3 #44「願い」より

この放送回のタイトル、「願い」とは、ユミルのクリスタへの願いであるのだなとこのセリフを聞いてあらためて思いました。

ヒストリア(クリスタ)は、ユミルの言葉を思い出し、

父親の主張は、所詮はヒストリアへの愛情でもなんでもなく、都合の良い扱いでしかない。

ただ親だということで、抱いていたヒストリアの感情、

無条件に反論してはいけない感情、

そこにあらがって、注射を拒み父親を投げ飛ばす・・・

最後は、巨人化した父をヒストリア自身の手で始末するのですが、

この一連の話の流れは、そもそも、ヒストリア(クリスタ)の中での、生まれてこなければよかったという感情に対しての、正しい、まっとうな、生への反逆だと感じたのです。

ヒストリア(クリスタ)が胸の内に抱えてしまった、こころの正当防衛のようなものだと。

実際の私たちの生活では、同じようなことはできないですが、

それでも、

生を与えてくれた親に感謝ですとか、そんな綺麗ごとではなく、

もっと、せっぱ詰まった、

ヒストリアのこころを守る為の唯一の手段であったと思います。

自らを守るためにも、自らを生み出したものを否定する。

なかなかにそんなしんどい環境下でこの世に放り出されるとは、生命の残酷さを考える部分です。

 

スポンサーリンク

自分に正直に生きることを示してくれたユミル

ユミルの言葉を思い出して、ヒストリア(クリスタ)なりの「生」を選んだこと。

ということで、

私は進撃の巨人だとユミルの過去を含めてヒストリアへ伝えた生き方に胸を射抜かれた物語でした。

正直に生きることは、けっこう難しい・・・

過去の経験が頭の意識のどこかで、遮り、

なお、ふだんの生活の中でも出会うことがけっこう良くあって、

生まれ持った環境など、それ以外の場所でも。

例えば、働いていれば、変な会社や組織、もっと広く言えば生きている社会、政治など、不条理に感じるものはけっこう簡単に転がっていると思います。

ヒストリアのセリフでは、ここが一番好きです。

「むしろ人類なんて嫌いだ。巨人に滅ぼされたらいいんだ!つまりわたしは人類の敵。わかる?最低、最悪の超悪い子!!」

Season3 #44「願い」より

つまりは人類なんて滅んでしまえば良いんだという、超良い子ちゃんの模範例みたいなヒストリアが言うのですが、

人類なんて滅んでしまえばよいなんて究極論ですが、「生まれてこなければ良かった」という意味では、ひとつの正解でもあって、なんだか言ってはいけないようなフレーズですが、人の「生」がしんどすぎれば間違ってもいないと思うのです。

存在しなければ苦だって味わう必要もなかった・・・

じゃあはじめからいらないじゃん・・・

極端な話、人類そのものが必要ないんじゃないかと。

言うのはすごく勇気がいることですが。

ですが、超良い子のヒストリアに、そこまでの本音を叫ばせたユミルの存在は、やっぱり好きです。

格好良いといいますか、美しい。

ユミルとヒストリアの二人の思考について

全ての人ではないかもしれませんが、誰かし少しはマイノリティーな考えを持っているのではないかと、

ふだんの生活の中で漠然と感じていること、

正しい、正しくない、そういったことを抜きにして、

ヒストリアのような子が「むしろ人類なんて滅んだら良いんだ」などと言い放ったシーンに、正直、少し胸がすく思いもしたのです。

二回目の人生で、ふだんを正直に生きまくっているユミルが言ってもあまりピンとこないかもしれません。

物語の中では、どんなキャラクターがどういうセリフを言うかで伝わり方も意味も変わってくるのだと感じました。

それでだいぶ話の前置きが長くなってしまいましたが・・・個人的にはやっとここで本題でして・・・

それで、ユミルとヒストリア、

面白いのが二人のつながった関係性と性格です。

この二人を観ると、

あくまで個人的な意見ですが、

本来、一人の人格にあるべきものが、

ユミルとヒストリアそれぞれ半分子になっているように感じました。

ヒストリアがユミルに「なんだか不思議なんだけどあなたといればどんな世界でも怖くないや」(Season2 #37 「叫び」)という、ここらあたりのセリフですね。

二人の性格は、ずいぶんと両極端で、

ですので、なんでしょうか、

ふだんの生活が生きやすいと感じる人というのは、つまるところ、ユミルとヒストリアが持っている考え方をバランスよく、しかも無意識で出来ているのかもしれないと思ったのです。

ここら辺は、突き詰めると精神分析などの専門的な区分けも、ある、できる、かもしれませんが、難しいところは置いておいて、自我ですとか、インナーチャイルド、隠された本音、心的外傷などなど、色々な専門用語が出てきそうで、長くなりそうなので、ここは省きます。

それで、ようやく最初の出だしのところに戻りかけますが、

なぜユミルに惹かれたのか?

結局のところ、進撃の巨人でユミルの過去の話をふくめて、生き方をみていると、

ああ・・・生きていると難しいこともありますが、最後の最後に悩みですとか苦しみの底にたどり着いた時は、

ユミルの考えのように、もう、所詮、生まれてきてしまったからには、残りの人生はボーナスステージのようなものだと割り切って、

思うがままに生きてみるしかないのかなと、

そんな簡単に吹っ切れないのですが、せめて、苦しみのどん底になったら、そこまで突っ切ってしまって良いんじゃないかと、ふと思いました。

無垢の巨人から元に戻って目覚めたユミルが目にした夜空と表情がほんとうに美しくて素敵です。

ヒストリアへの結婚しようという手紙の意味も、

みてきた世界と考え方も二人で一人なのだと・・・そんなメッセージが含まれているように勝手に感じてしまいました。

 

スポンサーリンク

 

他のキャラクターとも対比してみて

ユミルとヒストリアの性格の対比についてだいぶ書きましたが、他のキャラクターとも少し比べて考えてみました。

主人公のエレンはけっこうまともといいますか、いわゆる自己肯定感・受容感は高いと感じます。

両親がいて、しかも二人ともまともというかごく普通、あたり前の環境で育ってきたのでどちらかというと自分自身を信じることができて意志を貫ける強さも感じます。

物語のメインキャラというのは、考えてみたらけっこうまとも(?)という例えがあっているのかわかりませんが、常識の範疇での人格が多いのかもしれないと思いました。

レイス家の礼拝堂の場面では、エレンは父親の真実を知って精神が打ち砕かれるので、自己を形成する親の存在は強い影響力があると感じるのですが、

ヒストリアから頭を叩かれてけっこうはやく立ち直るので、本来もった己への信頼という部分では、もともと人格形成上で強いのだろうかと考えました。

うらやましいです。

立ち直りが早いというのは。

ユミルとヒストリアが最終的にたどりついた生き方は、

「人のために生きるのをやめる」

自己犠牲や自己献身なんてどうでもよい。

自分のために、まずは、生きるんだと。

人の為になるというのは、ある意味、欺瞞かもしれないです。

人+為で「偽る」という漢字ですから。

主人公のエレンとかは生きる目的がけっこうはじめからはっきりしているなと、それは巨人を駆逐するという自分の願望の為ですから、

ですが、ユミル、ヒストリア、この二人の生い立ちは、もともと自分の心を削って、それが人の為と、そう思い込むしかなく、葛藤し、最終的には、本当に自分の為に生きるという答えにたどり着いていく、そんな描写が好きです。

まとめ それでも、もって生まれたものに逆らえない人間の複雑さ、ですがそれが美しい・・・

それでも、Season2の最後、

座標の力が発動されて巨人どもに襲われたライナーとベルトルトを助けてしまうユミル・・・

襲われている二人の境遇がどういったものなのか、

考え、悟ってしまったユミルは、

結局は、自分の為に生きるといいつつも、

ライナーとベルトルトを助けてしまうのです。

本来であれば彼らを見捨てて、大好きなヒストリアと共に逃げることができたはずなのでですが・・・

自分は馬鹿だと言って、最終的には、自分の為に生きることができなかった。

ここは切ないです・・・。

このユミルの行動をどう呼べばよいのか考えたのですが、

良心・・・

優しさ・・・

いちどは否定したはずの自己犠牲の精神・・・

難しいです。

ですがここに、個人的に感じるユミルの美しさがあるのではないかと、

結局は、わかっていても、不完全な部分です。

理屈では、ライナーとベルトルトを置いていくことこそが、ユミルの為なはずとわかっていながら、

生まれてしまった環境、境遇、経験してきた過去、

痛みを知っているから、直視してしまったら逆らえない・・・

馬鹿だとわかっていても、あえて間違えて生きてしまう不完全さに美しさを感じ、むしろ胸を打たれるのです。

あとがき

この記事はかなりネタバレ要素もふくめ長く語ってしまいました。

進撃の巨人を観て、ユミルとヒストリア(クリスタ)の感想は、

他にも圧倒的な内容量の作品ですが、この二人だけでひとつの物語にできるくらいだなと思いました。

他の登場人物もそれぞれ魅力的ですので、多々、書き始めると終わらないのですが・・・

随分と物語の内容も含めて、書いておいてあれですが、

はじめ、このアニメを観た時は、よくある少年誌の戦闘もので、どうやって巨人をここから倒していくのかぐらいの内容で、

巨人の絵もシュールに感じるような作品でしたが、(最初、姉と一緒にみていた時は少し巨人の絵で笑ってしまうところもあったりと・・・)

ですが、どんどん話が進むにつれて、ミステリーな部分もすごくあって、例えば、ニシンの缶詰の読み方のくだりでちょっとぞっとしたりして・・・物語に引き込まれていった作品でした。

Season3の2期までで個人的に話は止まっておりますがファイナルまで楽しみです。

戦争、利権、宗教などなどそんな部分も突き詰めて考えるので最後にどうなるのか・・・

それで、長くなりましたが、

ユミルについて、感じたところで伝えたかった部分は、なんか人って不完全であって、理屈抜きの行動に、言っていること(自分の為に生きる)と最後は矛盾して、馬鹿やって、利己や自己を捨てて生きてしまう。間違っているけど間違ってない行動に美しさを感じ、心を揺さぶられたのです。

長くなりましたが、ユミルとヒストリアの考察・感想文になりました。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

ヒストリア(左をクリックでAmazonプライムビデオへ)

 

スポンサーリンク

 

5mail

  5mail

  5mail

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください