もくじ
雨と雪の二人の性格の違い・コントラストが面白い映画
「おおかみこどもの雨と雪」の感想になります。
私はこの映画を観たときに、弟の雨と、姉の雪、二人の対比された性格、コントラストを考える物語がとても面白いと感じました。
タイトルを見て感じたところですが「雨と雪」、
生まれたのは、姉である雪の方が先なのに、なぜ「雪と雨」というタイトルにならなかったのか?生まれた順番であれば、姉の「雪」の方が先の気もしました。
そんなところも考えながら、感想の記事を書いてみます。
※ネタバレが含みますので、未視聴の方は閲覧にご注意ください。
雪(姉)と雨(弟)が徐々に変わっていく面白さ
物語最初の方は、
元気で強いお姉さんの「雪」、
一方で、大人しく気の弱い弟の「雨」、
この二人が成長していく中で、徐々に考えが変化していくところが面白かったです。
「きょうだい」というのはコンプレックスの象徴であると聞いたことがあります。
自分から少し離れているけど、いつも目にする近い姿は良いところも、悪いところも、相手のことを良く観察できる。
それがコンプレックスとなるのか、鏡のような存在であって考え方の違い、価値観の違いがあると成長していくなかで、しだいに感じ、生活のなかで最初に触れる、身近な、自分と違う存在です。
私にも姉がいますが、生き方、考え方の違いを知るという部分では、身近な存在として、姉がいてよかったなと思いました。(そう思うのは大きくなってからでして、子供の頃は良く勉強できた姉は比較するのがつらい存在だったりしました。)
家族のなかでも近い年齢のほかの人間の考え、生き方を知ることができたから、私の考えはこういうことなのかなと時間が経って客観的に理解するところもあります。
簡単に言うと、自分の価値観、考え、生き方、そういう物の比較の対象となる存在。
それが時として、コンプレックスになってしまうこともあるのかなと思うところです。
「おおかみこどもの雨と雪」で描かれていた、姉の「雪」と弟の「雨」、活発な姉と、おとなしい弟の心境が、しだいに変わっていく場面が、5歳の時の柱につけた「しるし」のような気がしました。
やんちゃな女の子であった「雪」の背丈より、おなじ5歳になった時の「雨」の身長が、雪よりも少し高かったところです。
「雨」は男の子なので、「雪」とおなじ5歳でも身長が高いのはあたり前のような気がしますが、この部分の描写は、大きくなるにつれて弟の「雨」が姉の「雪」を追い越す場面につながるのかなと感じました。(弱かった雨がきょうだい喧嘩で、雪に勝ってしまうところです。)
二人は年子で年齢が1歳しか違わないので、より性別の違い、考えの方の違いをはっきりとお互い感じていたと思います。
実際に、どんな違いだったのかを考えてみます。
雪(姉)と雨(弟)のコントラスト(対比)
二人の子供、姉、弟の性格の違いについて考えてみます。
物語の中で、それぞれ成長し、しだいに心境が変化していく描写が好きでした。
母親である「花」についても考えたところがありますので、あわせて記します。
雪(小さい時の頃)
好奇心旺盛、誰とでも仲良くできる、良く食べる、運動も得意、アオダイショウを素手で捕まえたり、小動物の骨、爬虫類の干物を集める、など
雨(小さい時の頃)
大人しい、他の子と接触がない、母にいつもくっついている、学校もやすみがち、など
少し比べやすいように、下の表にまとめてみました。
雪(姉) | 雨(弟) | |
小さい時 |
好奇心旺盛 明るい |
大人しい 他の子と接触がない 母にくっついている 学校もやすみがち |
育つにつれ |
今までの行動が恥ずかしくなる おしとやかに女の子らしく おおかみであることを隠す
|
動物の保全に興味をもつ 考え方が自然よりになる 自然の方が生き生きする ズル休みの方が生き生きする
|
大きな違い | ひとでありたい事実(人間) | おおかみという事実(野生) |
表にまとめてみましたが、
最初は、
雪(姉)の活発な部分、やんちゃな部分の描写に対し、
雨(弟)の大人しい、静か、生き生きしてない部分を感じました。
雪、雨がそれぞれ、成長して行くにつれ、交互に雪と雨を描いております。
雪(育つにつれて)
だんだん、雪(姉)自身が、自分のやんちゃな性格に気づき、それを恥ずかしいと感じるようになり、女の子らしく振舞おうと変化していきます。
ここで、この物語の母である「花」について、すごいなと感じたところは、
雪は雪らしくで良く、「やりたいようにやれば良い」と雪に言って、今までの娘をまったく否定しないところにとても母性を感じました。雪らしくあればそれで良いと思えるところです。
それでも、女の子らしくいたいと言う、娘のために古いミシンでワンピースを縫ってあげたところも素敵でした。
雪の考え方が変わる転機が、クラスに引っ越してきた草平(そうへい)君だったと思います。
子供の頃に人から言われたなにげない一言が、結構、その後の生き方、考え方を大きく変えることがあります。(子供の言うことは大人の言うことよりも的を得てたりするのでやっかいだったり・・・。)
雪にとっては、転校してきた男子の草平君から言われた「動物のにおいがする」という部分です。
雪もうすうす気づいていたのですが、正確にいうと気付かないふりをしていた部分だと思います。(ここはにおいの部分ではなく、おそらく草平君は子供ながらに直感のようなもので、雪がおおかみこどもというか、他の子と違うという部分に気づいたところです。)
雪も草平君から指摘されてあらためて気づく現実・・・。
これでも小学校の時は私は、だいぶ明るく活発だと思っていたのですが、ふとクラスの子から「暗い」と指摘された部分が今でも印象に残っており、その事実に今でも考えたり、しばらく悩んだりしたことがあったりしました。
雪は草平から指摘され、それからトイレで手を洗ったりと、雪自身がおおかみこどもである現実を気にしはじめます。
草平が近づいてきた時に、母の花から教えられた「おまじない」が効かなかったことも、よりショックとなり、雪の考え方を変えた部分であります。
草平君も雪について、何か気になってもそっとしておいてあげればよかったのにと感じましたが、それでも物語の最後は、草平君は雪にとって大切な存在となります。
雪は、しだいに大きくなるにつれて、人間でありたいという現実、おまじないが効かず、雪自身がおおかみに一瞬なってしまい、耳を傷つけてしまった草平君が、それでも雪に優しくあってくれて、だんだん女の子の考え方に変わっていったように感じました。
雨(育つにつれて)
雨(弟)についての描写も面白かったです。雨が成長していくなかで、雪と反対に、男の子なのに、弱々しく、物静かで、臆病で、学校でも一人で、いじめられている時は、時に雪に助けられて、
そんな雨ですが、10才くらいになり、彼の居場所を見つけていきます。
母親の花の仕事について行って、山の自然を知り、彼は何が自分にあっているのかを感じて、見つけていきます。
この物語ですごいなと感じたとろは、母の「花」なのですが、雨がなんでも知っているという、先生である山の主(きつね)を「花」に紹介するのですが、ここでも花の母性の大きさを感じました。
生き生きとした雨の姿を信じて、人間ではない、雨の先生のところに会いに行く、子供の先生が動物だなんてほんとうであればびっくりしてしまいますが、花もおおかみと結婚した女性でありますから、大きな驚きはなかったのでしょうか、
ここの描写から感じた素敵な部分は、結局、子供の一番いきいきとした生き方がどんなことであれ(犯罪はダメですが)認めるという花の母性の深さを感じたところです。
「おおかみこどもの雨と雪」姉と弟からみたこの物語の感想、まとめです
「おおかみこどもの雨と雪」の感想、まとめになります。
雨と雪、ふたりの性格のコントラスを比較しながら鑑賞してしまった映画でした。
物語の後半は、二人の生き方がだんだん、いままでと反対になってきた感じがしました。
雪は自然も大好きで元気いっぱいの女の子でしたが、おおかみになってしまい草平君を傷つけてから、しだいに内向きになるところ。
雨が何に対しも臆病なのに自然を知ってからしだいに力強くなっていくところ。
雪は雪で、草平君というクラスメイトとの出来事がきっかけで、おおかみの血をもった雪自身に対して現実的な考えになってきます。私は雪が草平君という子に、はやめに出会えたことはとてもよかったと思いました。
おおかみこどもであることを雪が隠せば隠すほど、生きるのはどんどん苦しくなるはずです。雪が傷つけてしまった草平君は、雪がなぜか気になっていたのですね。雪の隠し事も受け入れてくれた登場人物で、雪の人生のはやい段階で草平君という人物に出会えたことは、よかったと感じます。
また、雨は雨で、自然を知り、自身に素直に生きることを覚えます。
はじめて、自分に素直に生きるをことを知った部分、姉との対比で雨のいちばん印象的だった部分は、姉の雪が雨に対してどうして学校に行かないのかつっかかったところ、弟の雨が、山、自然について「いきいき」と、はじめて雨が雨らしく語る場面でした。
弟の考えを否定する雪、人間でいたいという雪の事実とおおかみであるという雨の事実、ここで二人は喧嘩をして、弟の雨が勝ってしまいます。
いままで、どちらかというと、弟より強かった姉が、雨に喧嘩で負けてしまいます。
そこから二人の考え方が変わって行くのですが、それぞれの道を歩き始めることを不安に思う母の「花」、
最後は、弟の「雨」の自立の部分を映画のメッセージで強く感じたところでした。
雨がどこかに行ってしまうという予感があった花は、雨に対して山に行ってはダメだと言います。
まだ10歳の子供ですから当然です。
最初は、子供を手放す怖さに感じました。
雨は父が、かつていたであろう、自然という場所に引っ越してきた時点で、もうそうなる宿命だったのかなと感じます。
雨が出て行った後に、母が子供を探すのは当然の心理であって、はじめは手放す怖さに感じましたが、
雨がどこかで震えてないか、帰れなくなって困っているのではないか、守ってあげないと、という心理だったのですね。
花は雨が離れていくのが怖いのではなくて、母親として、ただ子供の雨が困っていないか心配だったのだと。
雪は、雪で本当のことが話せるクラスメイトに出会えてよかった。小学校の時に本当のことを家族以外で話せる人に出会うという、雪にとってはとても大切な出会いを経験しました。
二人の子供について最後、交互に語られていくところが、より姉弟の、人間の個性の違いをはっきりわからせてくれた部分でした。
雨を見失い、森の中で意識を失う「花」は、結婚し二人が生まれたあとすぐに亡くなってしまった、おおかみおとこである、「夫」に夢、意識の中で出会います。
死んだ夫は、花に対して「もう大丈夫、自分の世界をみつけた」と伝えます。
あれだけ弱虫だった雨で、母親にすがっていた子ですが、雨らしく生きていける場所をみつけた。
弟の雨が自然を選び、母の花との別れる描写がいちばんつらい場面でした。
たとえ、雨が自然で生きることが彼の宿命であり、雨らしい生き方であっても、わかったとしても心では納得できない苦しさがあるような気がしました。
やはり親子の別れはどんな時だってつらいです。
ただ、最後に雨の遠吠えを聞いて、早い別れだけど、雨の生き方を受け入れた花、
離れても本人らしく生きること、それが本当の幸せだと考えられた花の母性は、深いと感じましたし、そんな人間になれたらと感じるところでした。
山に帰った雨もいずれ、お父さんと同じようにいつか街にきて、花と再会するのか、それとも花はずっと雨が守っている山の近くで過ごし、たまに聞こえる雨の遠吠えを聞いて幸せに暮らすのだろうかと今後について考えてしまいました。
姉弟について最後に書きます。
雪はお姉さんらしくなり、人はそれぞれ生まれた役割に、しだいに落ちついていくのかなと感じました。
弟の雨は最後は一人で自然に帰っていき、ある意味すごい自由であるというか、弟で末っ子という奔放さも感じた部分でした。
雨も雨でしだいに、生まれ持った自分の役割に落ち着いていったのだろうかと感じました。
タイトルについて「雨と雪」はじめになぜ、弟の「雨」の方が先なのかと書きましたが、単純に読んだ時の「ひびき」の問題だったのか、もしくは、人の幸がその人の望む生き方という部分を伝えたかったのか、どちらかというと「雨」に物語の最後のボリュームが置かれたから「雨と雪」になったのだろうか、などと考えました。
「おおかみこどもの雨と雪」この作品は「花」の母性について感じるところもたくさんありましたが、雨と雪、二人の姉弟の成長を通して、子供の個性、人の個性について考えた作品になりました。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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