ダメな時ほどちょっと足して、半年以上かけて走る距離を増やした意味

ダメなときほど、少し足して走ってみた意味

こんばんは、今日は久しぶりにランニングについて書きます。

はじめから少し重めのタイトルとなってしまいました。(最後は前向きな終わり方だと思います。)

はじめに結論から書いてみます。

いつも長めの記事が多いので、めずらしく結論からです。

距離を伸ばした意味は、特にありません。

うまく言えないのですが、なんとなくの感覚です。

ただ、走りながら考えたのです。

なぜ、今年の1月頃に7Km走ってからずっと今日までそのままで、そして今日に8Km以上走ったのか。

参照記事:7Km走れた!!ランニング初心者が距離を伸ばすのにかかった期間

そんな、なんとなく感じたことを書いてみます。だめそうな時ほど感覚を大切に。

どうしてそうなったのかの背景

ここ最近、また不調におちいってしまっておりました。

ほんとうにアップダウンが激しいと自分でも感心するくらいです。

8月は特に家のことで、人の出入りも多く、ふだん会わない人などとよく話ました。

ほぼ半月くらいで一気にする出来事だったので、その時はやるしかなかったのですが、あとあと、心のどこかにふだん、やり取りしない人との「疲れ」のようなのものが溜まっていたのかもしれません。

そういうところに気づくのが遅かったり、もしかしたら、それが原因じゃないかもしれないのですが、

例えば時間を置いて少し残った用事などが昨日、今日あったのですが、細かい電話のやり取りがあると意外とストレスになったようです。

いったんほぼ片付いたのですが、まだ少し残っているところがありまして、そうすると、久しぶりに家に人がくるとけっこう緊張してしまうのですね。

この心理はすこし謎です。

というか、正直いいますと、前日くらいから落ち着かずに寝れなかったり・・・。

雨が続いて、来る予定がずれたり、そういうやり取りも案外、神経を使ったのかと。

お願いするなかで会話のやり取り、話しかた、一緒に作業に参加したりですね、

それで、だいぶ、いつの間にか疲れてしまっていたようです。

そして、キャパがオーバーしました。

まいったなぁと。

とりあえず元のリズムを探ったり、もしくは変化をつけてみたり

ここ数日、正直、なんにもできなくなってしまっておりました。

色々とお願いをしたやり取りが終わり、家にきた方の車を見送りホッとする。

力が抜ける。

いや、色々とお願いをして、無理も言ったり、ほんとうに感謝をしております。

私にできないことをたくさんお願いしたのですから。

感謝の気持ちがいっぱいなのですが、それでもどこかで気を使っていたのか、疲れてしまってふっと気持ちが抜けてしまいました。

いや、よくない感覚だなと。

もう、この感覚を誰かにわかって欲しいと説明も難しいのですが、

なんでしょう、心のなかに人それぞれ持っているこれ以上はダメという基準値、それをおそらく超えました。

うまく伝わってなかったら申し訳ないのですが、もう、疲れたと・・・。

ひと言でいうとこんな感情なのかもしれません。

まいったな。

どうしよっか・・・。

とにかく意味はないけど真剣に走ったり距離を伸ばしてみました

色々、悩む前にブログ書きだ!! 記事を書くんだ!!

と聞こえてきそうですが、あまりに心がカオスな状況だったので、そんな状態で文字を起こしても・・・。

(いや、今でもここまでの記事は、充分、カオスだと思うのですが、それでも少し落ちついた状態で書いております。)

じゃあ、心が少し疲れた時にブログ書き以外でなにかできることあるかな?

とりあえず体を動かそうか。

話はそれからだ、と。

夏の間、雑草と格闘していたので、体は動かしておりましたが、言われてみたら最近、真剣に走っていない。

走っても、途中でやすみやすみ、ダラダラとでした。

とにかく、ですので、真剣に走りました。

ずっと止まらずに、約7.2Kmほど、できるだけ全力で走ってみようよと。

それで、できればいつもより一往復長く走ってみようかと。

ほぼ真夜中に淡々とリズムを刻んで走る。

途中、パトカーとかも通りましたが話しかける隙も与えず、ただできる限り全力で走る。

まあ、そうすると、なんとなく落ち着いてくるんですね。

繰り返しますが落ち着く理由は不明です。

ですので、いつもの7.2Kmが終わりそうなとき、いや、半分くらい過ぎた時に「今日は今までよりも一往復走ろう」って気になってきたんですね。

なぜでしょう、それができなかったら、ここ最近感じたもやもやを振り払うことができない。

「今日でもやもやを区切ることができない」って感覚になったのです。

走りながらここ数日感じた悪い気を、風を切りながら振り払っていく感覚です。

自分のなかの最低の「気」を、体の中に残っている体力と一緒に吐き出していく。

そうやって、バランスをとらないとおかしくなると、この例えが難しいです。

ちょっと不調で例えば、自分の中で怠けたと感じてしまっていたら、わざと己で負荷をかけて、感じたマイナスの気持ちを調節していくようなものです。

怠けてたというか、「嫌だな」でも、コントロールできないと思ったら、わざとマイナスを生み出して、プラスの気持ちを取り込むようなものだろうかと、

わざとマイナス(走ることで体の負荷)を生み出して、プラスを取り込む感じです。

ほんとうに、ここは抽象的な例えで申し訳ありません。

でも、走りながら、いつもそんなことを考えていたりします。

いや、考えてないのでしょうか、なかば体から、上手くいやな「気」を吐き出せたかなと感じると、気持ちがハイになります。

こんな感覚も後付けのものなのかもしれません。(単純に体の仕組みの話かもしれません)

「ここぞ」というところで距離を伸ばすこと

距離を伸ばそうと思えば、前回書いた記事のように7Kmから、もうすでに8Kmなんてあっという間に走れていたかもしれません。

ただ、例えばダイエット的な部分だともうそれは足りておりました。

「ここぞ」で距離を伸ばして良かったと思ったところ、

それは、あたり前のことなのですが、「いつもとは違う達成感をあじわえる」ことでした。

自己嫌悪になってしまった時に、何かしら、肯定できるものは大切だと感じました。

例えば、このブログ書き、これで肯定的な感情を持って発信できればほんとうは良いのですが、それすらちょっと難しい状態でした。

じゃあ、あと自分に何が残っているだろうか?

とりあえず、何も考えずに走ってみようって、

「考えるな、感じろ」とは良く言ったものです。

結局、また記事を長く書いてしまいましたが、この文章でお伝えしたかったことは、

日々ちょっとでも出来ることを少し足して達成感を味わえば、心は救われたりすることもある。

そんなところをお伝えできればと、

後は、また落ちいってしまった時の私のためにも書いておこうと思いました。

ほんとうなら、こんなことも今日残さずに、疲れたので明日起きてから考えれば良いじゃないかってそう思っていたのですが、久しぶりに全力で、真剣に、あと少し距離を伸ばして走った後の冷たいシャワーを浴びて、シャッキリした感情を文章に残しました。

しばらくは全力走で乗り切りたいと思う今日この頃です。(特に深い意味はありません)

闇に足がかかった時ほど、「考えるな、感じろ」で直感を大切にしていきたいです。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

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