不安を知ることで大切にしようと考えたもの
以前、こちらの記事にて記載した体の心配についての続きの記事になります。
3か月後ということで病院に行ってきました。
まず現状として
・LDHの値は3か月前にみた時と比べてほとんど変化ありませんでした。
・リンパ線の腫れも変化しておりませんでした。
あまりネガティブな感じになってしまうのも嫌ですので、
今回の出来事を簡単にまとめさせていただければと思います。
やはり結論としては原因は不明ですが、数値が上がったのはアトピーの症状が関係している可能性がある。
また、もし、万が一にリンパ腫であったとしても、進行が年単位であり、今何かをすることはない。
結論からいうと3か月前と変わらない結果でした。
もうここで区切って、この件はこれで終わりとする。
ここ半年間、なにかぼんやりとした不安がなんなくあり、もやもやしましたが、
この不安を知ることで、色々と生活の面、こころの面で考えることはたくさんありました。
体に向き合うきっかとなりました
このブログの中で良く書くランニングですとか、体を動かすこと、
たぶん頭のどこかに、この不安を打ち消すように、
どうかなくなるようにと、
そんな気持ちで色々と試して、動かしました、
まだ自身の体についてはわからないこともあります。
それでも、このはっきりしないことも、まあ良いんじゃないかと、
はっきりしないから、また続けて考えながら体を動かしたり、食べ物のことなどを考えたりできるのではないかと個人的な結論となりました。
少し大げさですが自分の命がかかることを心から考えると、なんとかしようとなる、必死になる、真剣になる、
生きたい、死にたい、そんな感情は別として、
ただ生存しようとして色々と考える仕組みになっていること。
今回の出来事で得た教訓
では、この体のことで得ることができたことについてですが、
たとえば、このブログですが、おそらく、このような日々の不安な気持ちを整理するため、
どこか危機感のような感じで、
必死にいま思っていることを書きとめようと、
そんなエネルギーにもなったと思います。
必死になにかを残そうと、
たとえば、去年の私とでは、考えることのエネルギーが、頭の使い方が少し違っているような気がします。
どこかぼんやりと、好きなように、気楽に? あまり危機感とは無縁に、もしくは見ないふり(こっちの方が本音の気がします)で生活していたと感じます。
何かを作ってみようとブログを作成することについて調べたり、何かを記して残そうと、そんなきっかけにもならなかったと思います。
私の今までをちゃんと考えたり、両親の事を考えたり、食事について考えてくれる親に感謝したり、果物を送ってくれる親に感謝したり、
感じた気持ち、考えたこと、知ったことを、
誰かに何かを伝えようと、
そんな私に出会うことがなかったような気がします。
何かを伝えようとしても、具体的に自分が行動するまでにいたらなかったと思います。
そういう意味では今回の出来事は良い方向にプラスになったんだと考えます。
苦しい時こそ何か得ることができる感情があるのではと感じる経験でした。
そして、自分のエネルギーは限られていることも少し感じました。
優先事項を考えながら、漠然と人の為じゃなくて、自分があってこその人の為なんだとも考えたりしたのでした。
今後についてのまとめ
私なりに今回の出来事、体について思うことについて、まとめさせていただきます。
同じような状況の方は少ないかもしれませんので、お役に立てるかは別として、
私なりの結論になります。
はっきりしない状況というのはもやもやしてスッキリしないものですが、
そういうこともあったりします。人間の体について白黒つけるのは難しこと。
例えば、私の場合はネットで簡単に情報を得ることができましたが、
それが良いか悪いかに限らず勝手に動揺する可能性があります。
特に体の悩みは勝手に都合よく解釈してしまいがちでした。(良い意味でも悪い意味でも、その時の心の状態に左右されてしまいがちです。)
例えば、弱っている時はほんとに心がどん底に悪い方向に悪い方向に考えたり、逆に安心になるような情報をあさってしまったりすがってしまったり。
心配するのは自由ですが、全て自己責任の気もします。
素人の予備知識をもった相手に説明をする先生も大変だなと思いました。(色々とありがとうございました。)
そして、万一の時の場合というのも少し考えることもできました。
実際にはもっと体重が落ちたり、寝汗や、発熱ですとか、そのような症状が出てからでも良しとすること。
あまり具体的なことを書くと私自身がまた心配になってきそうなのでもうこの辺にします。
これからも、これ以降も少なからず、体を気にかけることができるのであれば、
今回の気持ちを心のすみっこに持っていれば良いんじゃないかと感じました。
こんな状況になって、それだからこそ必死に体を動かすことを覚えて、その後に食べるご飯は本当に美味しいことを知りました。
食欲もありますし、ご飯も美味しいですし、「それ以上、今の自分の体に何を求めるのだろうか!?」と、この記事を書きながら自分に問いかけました。
ふだんの生活の中で体を気にかけること、それを知ることができただけでとても大切な経験となりました。
以上となります。
ひびが入った壺は長くもつということわざもあります。
えてして、ひとは、(特に私は)、白黒はっきりつけようとするとなんかやっきになってしまうところがありまして、
それが良いのか悪いのか別として、
あまりひとつのことにとらわれてしまってもいけないなと感じたのでした。
ひとの体はほんとに不思議です。
ここまで、最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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