もくじ
とにかく何もできなかった毎日 別の景色をみて
人は言い訳をする。
なんにだって、自分にだって、
言い訳なのか、なんなのか、とにかく何もできない毎日が続いておりました。
こうやってブログを起こすことすらできずに苦しみました。
なんでそんなことになったのか、答えがでずに、だから何も書くことすらできなくなりました。
人間、かなり苦しくなるとなんにでも言い訳すらできるとも思いました。
暑さ、寒さ、晴れ、雨、天気、水、PCがはやく起動しない、目に映る全てのもの・・・。
そうやって、答えもでず、自分を否定し、いつの間にか時間が経つ、そんな毎日で、何に対しても嫌気がでてしまっておりました。
いったん今の生活を離れてから
そもそもは6月のあたまくらいから、なんかしっくりきてない感じでした。
それでも自分に言い訳をして、まだリズムができてないからだとか、今までの仕事から離れた生活に慣れてないからだとか、どこかでそんな気持ちがありました。
私の中の期待では、仕事から離れた毎日というのはもっと、とてもキラキラで、前向きで、ってどっかにそんな気持ちというか期待というかあったはずです。
だから、少し思っていた感覚と違っていたことに対して、目をそむけて生きておりました。
自分に嘘をつくと後々それがかなりしんどくなってくる。
今思うとそんな感じです。
私の抱いていた理想、
もっと毎日記事を更新できる。
世界はきらきらしていて、楽しさで溢れていて、ストレスから離れられればもっと体調も良くなって・・・。
仕事をやめてからというもの、一時的には楽になりました。
ほんとに一時的にです。
ただ、その後でしばらく経ってから感じる、最初のイメージとの違いに少しずつ何かがたまってきておりました。
最初に感じたこと、
見るもの、例えばアニメですとか、本ですとか、音楽ですとか、全く頭に入ってこない。
これにはほんとうに驚きました。
こんな感覚、ほんとに味わったことがなく、
いや、あったとしてもしばらくすればまたいつものように自然に元にもどって、
でもその感覚がまったくもどってきませんでした。
それでも、横になって、スマホのページをなんとなく見だしはじめて、いつの間にか朝がくる。
もう、朝がくることすら怖い、鳥の鳴き声とかもう・・・。
これはほんとにヤバいなと感じました。
いったいなんでこんなになったんだろう。
少し前にさかのぼります。
田舎にいって
6月のなかばに急遽、長野へ行くことになりました。
父と二人で、東京の荷物を長野へ運ぶとのことで、車をつかって長野、東京を往復しました。
長野の景色、空気、とても好きで、ふだん生きている街とちがって、やっぱり穏やかで、今年はもう梅雨が明けましたが、その時はまだ梅雨時期でからっと晴れてなかったのですが、それでものんびりした感じはやっぱり好きだったり、
でもどこか違ったり・・・!?
ここでちゃんと考えるところだったのかもしれませんが、気持ちをそのままにしておりました。
温泉いったり、車を運転したり、美ヶ原から景色を眺めたり、
でもなんかこれは違うと感じたのですね。
なんなんだろうこの感覚は・・・!?
好きな場所のはず、好きな空気のはず、
そして帰ってきてから気づく、さらにしっくりこない感覚。
そこから、心の不調のドン底に落ちいってしまいました。
帰ってくる前から感じていた、みるもの、読むことが頭にはってこないことは、それが、はっきりとした感覚となり、
もう完全なる不調。
パソコンを立ち上げることすらできなくなる。
というか起きれなくなる。
頭は動いているので、スマホを開くとどんどん入ってくる情報、
頭をやすめているようで全く休んでいない。
とうとう頭のキャパがいらない情報で埋まり、頭がフリーズするという状況。
輪をかけて体調がもどらない。
はれぼったい体感が戻らない。
あれ!? なんで仕事やすんだんだっけ!?
なんでこんな感覚になったんだっけ・・・。
休む前にこんな感覚を想像してたっけ、
好きな長野に行ったのに、どうしてか釈然としない気持ち・・・。
あれ、なんで生きているだっけ・・・。
もうギャーッと叫びだしたい気持ちになりました。
いろんな要因
色々な気持ちがからまったので、
今回おこった感情をうまくまとめらずに、これが解決方法だなんて断定できたら、楽なのですが、
答えを見つけてから記事にちゃんと起こす方がと考えに考え抜いて、
しかしこの状況です。
記事の更新もできなくなりました。
おそらく答えがでてから記事を起こす時は、私はこの世にいなくなるぐらい人生を悟った時でしょう。
もう死ぬ時に、人生ってこんなだったんだなって、おそらく意識がなくなる瞬間に感じることのようなので、記事にすらできないかもしれません。
なので、こんな中途半場な形でも記事に残しました。
原因を今わかる範囲で書いていきます。
・自分のかってにいだいていた理想と現実のギャップを受け入れられなかった
・体のコントロールがきかないことにいらだっていた
・好きな場所と現実の理想に苦しめられた
・もうすでに違う環境であることに気づいていなかった
・固定概念なんてないって思いながらも、固定概念にしばられていた
・いつの間にか、いろんなことが作業的になってしまっていた
・いつの間にか白黒はっきりさせる考えになっていた
簡単にあげるとこんな感覚になります。
人間ってやっかいなところは、結局、答えとかあると安心するというか、こういう時はこういう形ってあると落ち着くところはあって、
私は結局、しっくりこない生活の中で、なんだか色んな枠というか、答えというか、いつの間にかそういう物にすがっておりました。
まあそれは例えばネットで記載されている、他の人の知識の生き方ですとか、参考になるのですが、それでも、読んだ時は納得できても、でもピンとこない・・・。
なんでだろうって考えて、他の人の生き方、考え方というのは極端な話、参考程度であって、絶対に同じシチュエーションってことはないんだろうって、なのに、考えがまとまらず苦しい時はどうしても他の方のブログなどを徘徊し記事にすがっておりました。
それでキャパオーバーとなり頭でっかちになる・・・。
あらゆる角度での回答があるので混乱する。
どんどん自分を見失う。
悪循環を断てない。
そんな感覚でありました。
これは、他の方のブログ記事が役に立たなかったということではなくて、自分の状況と客観的に照らし合わせる余裕すらなかったという感じです。
とにかくすがる、答えを求める。
インターネットでこうやって気持ちを発信しながらも、こんなことを言うのはどうかとも思いますが、それでも溢れかえった情報が多すぎると、やはり病んでる時はダメージも多いです。
人によって捉え方っていうのは様々だと思いますが、どうしても自分の都合の良いように解釈してしまい、
それはみんなプラスに捉えられれば良いのですが、ダメージを受けてる状況ですとマイナスの方向に勝手に陥ったりですね。
勝手に自分に対して敷いたレールから外れている時に、修正がきかなくなってしまっていたのですね。
ひとつづつ考えてみます。
自分のかってにいだいていた理想と現実のギャップを受け入れられなかった
これはほんとに自分のイメージしていた理想ですね。会社から離れて、好きなことをして、もっとやりたかったこともできると思っておりました。
でも、できないのですね。
じゃあ、会社に戻りたいという気持ちはまったくないのですが、感情が沸かない、強烈なストレスがないので、見ているものに対して深く考えれられない。
これにはかなり焦りました。予想はしておりましたがこんなにしんどいとは。
じゃあ戻ってあのストレスにさらされて、また体調がおかしくなってと、想像するだけでも怖いのですが、それでもいやな環境から離れて少しは、いやもっと、楽しいことが増えると思っていたのですが、こんなにつらい感覚になるとは、想像しておりませんでした。
しかし、その現実を受け入れられなかったのですね。
ここが一番のポイントの様な気がします。
戻っても地獄、今でも地獄と認めると、もう行き場がなくなってしまう怖さですね。
自分と向き合うべきなどと過去の記事で話しておりましたが、そんなことできませんでした。
体のコントロールがきかないことにいらだっていた
体調面についても大きな要因だったかと思います。体調がすぐれない部分については、職場のストレスだと感じていた部分でして、ストレス要因から離れれば良くなると考えておりました。
いやなかばもう逃避だったので、確信ではなかったのですが、ストレスの原因が心を通り越して体に出ていると感じてました。
なので、しばらくすればもう少し良くなるかなって感じてたのですが、あまり良くならない。
じゃあ、根本的な要因ってなんなんだと、
こういう性格なので答えを探してしまうのですね。
スルーしてしまえば良いのですが、それが出来ずに苦しんでおりました。
これも負のスパイラルというか無限ループになってしまった理由というか、むしろ体がどんどん重たくなる感じがますます色々と考える状態になりまして・・・。
体の中にあるエネルギーの塊がどんどん小さくなるような感じですね。
踏ん張って大きくしようとするのですが、立ち上がる気力すらない。
気を紛らわすのに、好きだったアニメでも再生しはじめますが、まったく頭に入ってこない。
もう歌なんてノイズとすら感じてしまうありさまです。
重症です。
好きだったことが義務として感じるようになるとヤバイと聞きましたがまさにそのような感覚です。
好きな場所と現実の理想に苦しめられた
こんな状況に追い打ちをかけたのが、長野へ行ってきたところでした。
自分はやっかいな人間だとほんとに感じのたですが、もうこのあたりで下降線だったのかもしれませんが、いつもいる場所から離れること、それがタイミングとして良い時と悪い時があるというのをはじめて感じまして、それがたとえ好きな場所だからすべて良い状況になるとは限らないと・・・。
いまある心の状態と理想郷とのギャップに苦しむかたち・・・。
単純に楽しいですとか、景色よいなって思えたら良いのですが、うまくいってない時ほど、好きな場所や景色は、時として残酷なものに映る時があります。
そしてどんどん目に入ってくる景色も処理に追い付かなかったりと、ふだんの生活から見える景色とは別の風景が痛く突き刺さることがあったりします。
穏やかな田舎の雰囲気も空気も、これから帰る現実を考えると苦しくなったりですね、あとは、現実逃避したかったのに、逆に抱いていた景色がそれほど美しくなかったりですね。
そんな相対する心が複雑に交差してしまっておりました。
もうすでに違う環境であることに気づいていなかった
ひとつずつ書いていくと結構なボリュームになりますね。
少し話はそれますが、気持ちを抑えていた時のブログの文章は圧倒的な熱量を放ちます。
今まで我慢していた、抑えていた気持ちが出るので、あっという間に文字の数が増えます。
逸れそうになりましたが、「もう違う環境であること」というのは、会社を休んで、辞めて、今の生活であること、
それはただ単に休むということとはもう違うということ、
そこが曖昧になっていたというか、自分の中でもはっきりしていなかったところでした。
もう私は戻るつもりは休んだ日からどんどんなくなっていったのですが、それでも休みの延長にある気がしていました。
だから今までの生活と違っているようで、どこかつながっているようで、だから何かが曖昧でした。
でもはっきりとわかったんですね。
働いていた世界は、もう別の世界だということを。
最近みたアニメではないですが、もう世界線がまったく違うのだって。
過去の記憶はあるのですが、もう別の世界を生きている。
そんな感覚です。
ただそこに気がつけておりませんでした。
どこかで後悔ですとかあったのでしょうか、少しまだひきずっていた気がします。
ただ、もう、どちらにしても戻らないのですね。
だって、すでに私の籍はいつの間にか消されていたということで・・・。
本部のようなところから保険証を戻してくださいとメールが来ました。
いつまで有効だったか確認したところ、最後に有給を使った次の日からでした。
私から問合せをしない限り、社会保険喪失の書類も送られてくることがありませんでした・・・。
さすがにそれはないのではないかと思いましたし、体調が悪くて休んでいるので病院だってかかるのですが、そういうのも教えてくれないのですね・・・。
まあほんとに私は使い捨てだったのだと、笑ってしまうくらいでした。
寂しさ、虚しさ、そんなもの通りこして、もうなんの感情も沸いてきませんでした。
むしろ清々したくらいです。
話を戻しますが、そうした生活が変わるという現実に目を向けていたようで向けていなかった。
逸らしていた。
そんな気もするのです。
もう前の働いていたところについて何か言ったところで、何もありませんし、思い出すだけ無駄ですし、そんなところに労力は使いたくもなく、ぐちぐち言ったところで、です。
ただ、生活がかわったことをもっとはっきりと認識すべきところでした。
固定概念なんてないって思いながらも、固定概念にしばられていた
これが難しい感情だなって思ったのですが、固定概念というもの、今までのブログでもけっこう何がただしくて、何がただしくないっていうのは個人的にはあまりないという考えだと思って、まあそうであるかなと感じていたところでした。
でもどっかで固定概念がないっていう固定概念にしばられていたというか、もうすでに、ここでカオスな説明になっていたら申し訳ありません。
今の状態でいうと、色々な物から解放されたのだから、もっとできたはずというところでしょうか。
「はず」という固定概念を持ってしまうことで、できなかった時に柔軟に対応することができなくなる。
話が重複しますが環境が変わればもう少し、色々なことももっと進むということですね。
体調の部分ももっと良くなると勝手にイメージして。
それが、うまくならずに、どんどん自分を追いつめて、責めてしまっていたのですね。
しんどいです。想定していたもの以外のことがくることを予想できてなかった。
だから対応できなかった。
もう一度、どんな状況もあることを認識するべきでした。
結局、今の生活でもどんどんに記事を起こしたりですとか、やらなきゃいけないことはたくさんあって、それなりにしんどいはずなのに、勝手に抱いていたイメージとズレてしまって、現実を見ていなかったのです・・・。
いつの間にか、いろんなことが作業的になってしまっていた
これもひとつの原因です。どんなことも作業的になれば、しんどいです。
これをやっていればということが、うまくいかなったりすると、その作業的なものですら信じれなくなり、しまいには何もできなくなります。
私の場合だと、毎日記事を更新していればというところでしたでしょうか。
ただ、これを作業と感じるとかなりしんどいというか、感情を記すのに、正しい答えがこの時はこれだって、アイデアが浮かんでくれば良いのですが、私はまだそんな感覚ではありません。
前はできていたはずなのに、とか考えるともっとしんどくなりまして、心は常に変わるので、同じようなことはいつもできないとわかっておくべきでした。
今はダメな時だと認める勇気でしょうか。
それがわかっていてもできない時もありまして、ドン底になりました。
いつの間にか白黒はっきりさせる考えになっていた
私は感情の上がり下がりが大きい方だと感じたり、まだ、うまく良い時のイメージを続けることが難しい時があるのですね。
振れ幅があるのが人だと思っておきながら、認めることができない時です。
とにかく、そういったスランプの時には答えにすがるのですね。
原因をはっきりさせて、解決しなければ進まないというようなことも考えてどんどん自分を追い込んでしまうのですね。
体調が戻らない部分も正直あせりがありました。
じゃあ、どうすれば良いのかって。
少し考えを変えることができたこと
そうやって、体調の部分でもどんどん自分を追い込んでおりました。
ひとつきっかけのようなものがありまして、これが答えだとは思わないのですが、
もう体調も戻らずに、重たく、気分も最悪で、どうやって気持ちを変えようかと色々と考えておりました。
なんとなく自然とですが、今までしばらく食べてない物を食べたいという気になりました。
もはや色々な意味でどん底ですので、もうこれ以上体が悪くなったところでですし、それで久しぶりに揚げものですとか食べたのですね。
去年体調を壊してから、ほんとに久しぶりです。
もうとにかくその時に食べたいと思うものを2.3日食べました。
パンですとか、甘いお菓子ですとか、そういう物も。
もう少し太らないとと思いまして、とにかく食べました。
やや暴食気味にですね。
そしたら、不思議なことに少し楽になってきたんですね。
これも始めのうちは悩みました。
先にもあげたように、調子が悪いので白黒はっきりさせようとしてたのですね。
良い変化のはずも悩みになるという・・・。
ただ、ここについての結論ですが、やっぱり体調と精神というはつながっていて、いくら体に良いことでもストレスがある時は、少しぐらいは甘やかしても良いのではないかと。
子供の時に風邪をひくとアイスが食べれたように、アイスで風邪がなおるわけないのですが、美味しいものを食べれるという感情に体調も上向きになったりですね、そんな感じだったのではないかと思うのです。
これについては、いったんこれ以上考えても無駄だとおもいますが、体はあらゆる慣れに対して、手を変え品を変え、変化を求めてくる生き物なのかなと思うのです。
体に良いことをしても、さらに良いことを体が欲しがって、悪いことも取り入れないといけないというか、もうそんなのいちいち考えていたらキリがないというか、面倒くさいなと思うのですが、
例えて言うなら、ランニングでしょうか、いつか書きましたが、走り慣れると筋肉痛にすらならない。さらに長い距離を走らないと走った気にならない。
キリがない。
たまには休んだり、ダラけたりして、筋肉を衰えさせて、たまに気持ちよく走って筋肉痛になる方が、心にも体にも良いのではないのかと感じたのです。
自分の体調を把握して管理するというはほんとうに、難しいところです。
まとめになります
久しぶりにたまっていたマグマのような気持ちを書き連ねました。
しかし不調に陥った原因を解決しておかなければ次に進めないと、そんな白黒はっきりつけないといけない感情が襲っておりました。
それが一番よくないのですが、もっと色んな感情に柔軟に対応できる人間になりたいとは思うばかりでした。
そして、不調を脱することができたのか、少しまだ疑問ですが、ここ最近の感覚にまたなってしまったら、少しでもこの記事が自分への忘備録となればと、そんな気持ちも含めて残しました。
たまに、こんな弱音を吐く記事を書くこともありますが、そんな時はどうかスルーで見逃していただければと思います。
個人的な愚痴をたくさん吐いてしまい申し訳ありません。
ここまで読んでいただいた方、ほんとうに、ありがとうございました。
晴れ色さん、
気持ちわかります。
焦っても どうしようもない けど、心が焦ってしまいますよね。自分で 自分を 追い込んでしまいますよね。
過去に出来た事が 出来なくなったり
過去、楽しめた事が 楽しめなくなったり
ジレンマにも似た ある種の呪い?の様な感じで自分自身をに 粘着性を持った何かが まとわりつく感覚・・・。
メディアの評価、評論されている方だと 私よりもっと 自分を 追い込んでいてそうだと思います。
良い記事だと思いました。曝け出すのには、勇気がいったと思います。(こんな簡単な言葉でごめんなさい) やっぱり、吐き出さないと ウロが 溜まって やがて、何も出来なくなっちゃいますからネ・・・
月さん
返信遅れてすみません。
少しマイナスな表現になってしまいましたが、コメントいただき、たまには素直な気持ちを書いても良いのかなと思えました。ありがとうございました!(コメントもいつもありがとうございます!)
どんどん書いて下さい。メディアの評価は、それはそれ。気持ちを書ける場所を 持ってるって、素晴らしい事だと思います。
「暗い」?、良いじゃ無いですか? 明るく努め無いと行けない時もあれば、素直になれる時もありますよ。このサイトのお陰で 随分、前向きになれました。本当に感謝しております。
これからも いっぱい、書いて下さい。楽しみにしております。
月さん、とてもとてもありがとうございます。
今までは、サイトを通して誰かに考えていることを届けることができればと思っておりましたが、こうして読んでいただく方に助けてもらっているのだと感じるばかりでした。勇気をいただけました!ほんとうに温かいコメントをありがとうございます。